あーぁ,忖度日本。
だめだだめだの日本に一言言わせて貰いたい。アベ派のパー券キックバックは、日本人の大多数のものが、そんなものが政治だろうと思っていた。元に会派の会長が、政治は金がかかるのが当たり前だと叫んでいた。確かに金がかかるらしいが、何にかかるのかはどうも分からない。こう思ってきたのではないだろうか。
多分、買収には相当金がかかるのだろう。料亭は安くはないだろう。贅沢もしているに違いない。それを承知で、自民党に投票していたのだろうと思う。だから国民が一時怒り狂うかもしれないが、波紋が収まり何も変らないと感じているのではないだろうか。
企業が自民党のパー券を買うのは、もたれ合いである。お金の在るものが、自分を優遇して貰うために、パー券を買うのだ。そんなことは当たり前の事で、まったく意外だったというような人はいないはずだ。上手く補助金が欲しければ、パー券を買うのだ。それが当たり前になっている。
日本の政治の贈収賄体質は、当たり前の事で変らず続いている。今や政党助成金まで上乗せして、体質化している。原発もそうだし、高速道路網も、いらない飛行場も、リニアモーターカーも、公共事業の多くがこうした構造の中で計画され、実行されている。みんながそれにむさぼりついているのだ。
あの法人税だけ値下げしも、政党助成金が出来たのもパー券効果である。そんなことは誰もが、何度も指摘してきた。この問題で私が不思議なのは、国民の大半はパー券の御陰で大損をさせられているにもかかわらず、自民党に投票してしまう人が減らない現実である。
それは自分もその恩恵にあずかろうという、ぶら下がり根性派が多数派と言うことなのだろうか。この自民党の腐敗を承知で、投票している薄汚さが一番嫌いだ。多分この日本人の鈍さというか、いい加減さが限度を超えているのだろう。そう思わざる得ない。
自民党が金持ちと連んで、自分たちだけ上手いことやっているのは、誰もが気付いている。気付いた上で、何とかそこに自分も入れて貰いたい。入れてくれるなら、パー券ぐらい買う。桜の会に出させて貰い、総理大臣と並んだ写真があれば、今度の役所の仕事は貰えるはずだ。そんな輩が多すぎる。
こういう日本人の腐った根性が、ぶら下がり族を生んでいると言うことだ。反日組織の統一教会が、えせ宗教で多額の寄付金を集めて、違法にならなかったのもアベ効果だ。清廉潔白な人が、政治家など成らないことぐらい誰でも知っている。自分が上手くそれにぶら下がり、要領よく立ち回ることが、大人の知恵なのだ。
公共事業が企画されれば、何らかの恩恵が自分にも巡り巡ってくるではないか。上手く政治家に取り入っておけば、自分の役立たずの所有地が買ってもらえるかもしれない。あるいは自分が働いている下請け建設の仕事も、増えるかもしれない。社会の至る所にそんなゲス根性が蔓延したと思われる。
良い子でパー券さえ買って、自民党クラブに入れば、悪いようにはしないから。これが忖度社会の構造だ。日の丸社会に入れて貰える会員権がパー券なのだ。パー券にも段階があるのは当然で、ブロンズ券から始まり、ゴールド券からプラチナ券。ダイヤモンド会員権も、無敵のブラックカードもあるのだろう。
こんな反社組織の政治が、35年も続けば当然日本の社会は停滞する。まともな人が、どれだけ頑張っても報われにくい社会が強固に出来上がったのだ。民主党政権も歯が立たなかった。もうそこに割り込むことすら難しい。だからこの構造は分かっていても、崩壊しない。当然自民党へ投票する岩盤層は変らない。
これは中国の習近平独裁よりも、ある意味悪質な耐えがたい真綿首である。日本人に優秀な人が現われないわけではない。大谷翔平選手は素晴らしい日本人だ。しかし、勤務先はアメリカだ。優秀な人が活躍できる日本社会ではないと言うことだ。優秀な人が官僚になっても、空しいことになるのだろう。アベの尻拭いで、公文章を書き換えさせられても、誰も有罪にはならない官僚の社会。
そして、アベ尻拭いの官僚が出世する社会だ。忖度学者なら、学士院会員になる。たてつく学者は排除。まともな人が耐えられるような社会ではない。絵描きの画壇の序列も似たようなものだ。自分だけが良ければ良いという、ゲス根性がこのひどい差別社会を作り上げた。
なぜこんなことになってしまったのかを、なぜ安倍の顔や菅の顔が政治家らしくギトギトで、嫌らしい顔をしているのかを思い出しながら、考える必要がある。日本人には本来、この忖度の特技があった。良い意味であれば思いやりである。見えない形で、手当をする人情。
その反面というか、それだからかもしれない日本人が自立していないと言うことがある。自分の実力で立っていれば、何も怖くない。ところが、依存しもたれ合いで出来ているのが、最近の日本社会である。これは、1970年以降そういう諦めの空気が広がった。
労働組合が力を失った頃からだ。あの連合の女性委員長吉野氏の行動を見ると、パー券を買っている連中と変らない。別段吉野氏のことはよく知らないので申し訳ないのだが、あの人の行動を見ていると、ストライキを打って戦う労組とは
異なる。沖縄返還の頃から色々変ったのだ。
異なる。沖縄返還の頃から色々変ったのだ。
学生闘争の中で、ここで出来なかったのだから、迂回するほかないと思った。迂回がフランスに行くことになり、戻って絵描きを目指して、行き詰まり挫折する。自給自足の暮らしに入り、全体を換えることが出来ないのであれば、自分のまわりだけでも良い社会を作ってみようと考えた。
それがあしがら農の会の活動だった。自給農を通して、自分と回りの人との関係だけを変えようと考えた。自分のためにやることが人のためでもある。みんなは一人のために、一人はみんなのために。働けるものが働き、必要なものが食べるという理想の関係を模索した。
こんな行き詰まった社会を変えるのは難しいことではない。一人一人の意識が変れば、がんじがらめの支配体制が、一気に崩れ去る。次の選挙で自民党に投票することを止めれば終わる。自民党が政権から落ちれば自分の仕事も危ういなどと考えないで、自民党に投票しないことだけだ。
社会に一度大きな崩壊が必要なのだ。崩壊したら明日からの生活はどうなる。この不安があるから、野党に投票できない。野党の無能は報道が完成させた。大事なことは、だめな自民党に投票しないと言うことだけだ。だめでもどうせ投票すると思っているから、これほどひどい政治になったのだ。
ダメでも安心な自民党という選択の余地は無い。共産主義者でなくとも、共産党に投票した方がましだ。共産党には確かに経済を上手く回す能力はないかもしれない。今は、そんなことも言っていられない状況なのだ。ある種の投票で革命をしなければならないほどひどい状況なのだ。