冗談かと思った埼玉県虐待禁止条例
麦畑の準備が進んでいる。ハンマーモアーで草刈りをして、よみがえり堆肥を撒いた。今週中にはトラックターでロータリーをかける。
子どもだけでの留守番や外出を「置き去り」として「いじめ」として禁じる。この驚くべき条例案は取り下げられることになった。取り下げられればすむような話ではない。こんな発想をする政治家が存在すると言うことを深刻に考えなければ成らない。
埼玉県の自民党の議員団の提案で出来る条例だったらしい。自民党の政治家のレベルが想像される事例になった。この条例案を考え出した人達の、世間離れにまず驚く。健全な子供時代がなかった人達なのだろう。世界平和統一家庭連合の教えに近いものがあるところが、妙に気になる。忖度があったのかも知れない。
子どもに家で留守番させることはもちろん、親がゴミ出しをするために外に出ることや、100メートル先の回覧板を届けるための外出も放置に該当するという。子どもだけで遊ばせたり登下校させることや、お使いに行かせることも虐待に当てはまるほか、18歳未満の兄弟に子どもを預けて外出することもできない。
条例には通報義務が盛り込まれており、子どもを残して外出した親を見かけた場合、住民は当局に通報しなければならない。罰則規定は盛り込まれていなかったものの、条例を厳格に適用すれば、すさまじい監視社会になるというトンデモな内容だった。
最近の自民党の憲法改定に出てくる家庭主義には、色濃く統一教会の影響がある。そうした要望に応えている忖度姿勢が、選挙応援に繋がると考えているのだろう。統一教会がまだ強気な背景が伺える。自民党議員は自分で考えると言うことが出来ない程度の人達なのだろう。不自由なものだ。
まさか自分で留守番禁止を考えたとすれば、恐ろしいトンチンカンではないか。これは言わされたものとしか思えない。まともな人間が考えるような条例ではない。いや、こんなレベルに自民党は成っているのだろうか。知り合いもいないのでわからないことだが。
提案した自民党田村団長によると「内容は瑕疵がなかったが、説明が不十分だった」 ので取り下げるというのだ。これもまたひどい言い訳である。説明を十分聞かなくとも、誰が考えても内容がおかしいと思える。これでは一人親家庭では埼玉には暮らせないと言うことになる。
どうも一人で子供を家に置いておくのは虐待だと説明したらしい。そういう条例を作るのであれば、埼玉県にお願いしたらそういうときには、派遣職員が来てくれる条例も用意されなければならない。岸田氏は異次元の子供対策をすると言っているのだ。これなら異次元だ。
子供だけの登下校も虐待だという。子供だけで遊ぶのも虐待だと決めつけている。一体これでは埼玉県では子育てが出来ないと言う事になる。埼玉県では放課後誰かが家まで送り届けてくれることになるのか。遊ぶときは誰かが付き添ってくれるというようなことを条例で決めようというというのか。
もちろんそんな話は全くない。単純に統一教会を忖度して、家庭の平和の為の条例を画策したと思われる。頭が足りなかったから、こんなに妙な条例になってしまったのだろう。存在感の示し方の方角が違うのだ。子供のことなど考えても居ない。
すべての日本の子供は虐待を受けていたと言うことになる。今も日本中の子供が虐待を受けているとでも考えているのだろうか。統一教会の教義ではそうなのかも知れない。むしろ子供は一人で遊ぶ必要があると考える。親がつききりでは自立成長ができない。おかしな言い訳が東京新聞に掲載されている。
昔のことを言っても始まらないが、私の親は自分のことで精一杯で、子供のことどころでなかった。だから長いこと向昌院で暮らすことが出来たのだ。そのことがかけがえが無く良かったと考えている。それが虐めだと、想像したこともない。東京で必死で働く親を見て感謝して育った。
子供は田村議員が考えるほど馬鹿ではない。親を見ている。一人の留守番が親の事情でしなければならなければ、十分出来る。一人でどう遊べば安全かぐらい分かる。もちろん分からない子供も居るだろうし、様々な事例はあるだろう。しかし、特殊事例を挙げて虐待だと決めつけてはダメだ。
子供は一人で遊べるようでなければダメだ。当たり前の事だ。そうして自立心が出来る。発達障害傾向の子供ではあったが、一人で遊ぶのが好きだった。一人で川をせき止めて水泳場を作ったのが小学校4年生だったと思う。筏を作りそれにのって遊んだ。
まったく一人でやっていた。お爺さんもお婆さんも知らなかっただろう。命じられた担当の仕事もあった。風呂沸かしである。水汲みから始まる。水道をひねるのではない。水源からバケツで水を汲んできて風呂を沸かすのだ。もちろん風呂を沸かす薪集めもした。
雨が降れば屋根から落ちる雨だれを何十もあるバケツで集めた。そうすれば水替えが楽だからだ。すべては小学3年生くらいからやっていたことだ。児童虐待どころか、誇りを持ってやって
いた。だからお前がおかしくなったと言われればそうかもしれないが、御陰でまともに育ったと祖父や祖母にも感謝している。
いた。だからお前がおかしくなったと言われればそうかもしれないが、御陰でまともに育ったと祖父や祖母にも感謝している。
子供が働くことを児童虐待にしているが、日本の戦後社会ではごくごく当たり前の事だった。国連などでもそうし子供の農作業などを児童虐待としているが、私は違うと思っている。私は実際にやらされていた人間であるが、それがおかしいなど今も思わない。ありがたいことだと思っている。
小学生で4反ぐらいあった桑畑の草取りなども、やらなければならなかった。やらなければ草が伸びてしまう。そうすればお蚕さんができない。お蚕さんができなければ生活が成り立たない。そこまでは分からなかったが、暑い中辛かったが、子供のやるべき事だと考えて我慢してやっていた。どこの家も子供も同じだった。
何でも昔は良かったなど思わないが、子供が働くことを法律や条令で禁じる必要は無い。子供自身が訴えるのであれば別だが、子供が受け入れてやっている場合は認めるべきだ。こどもはそのくらいの判断力はある。子供を大切にすると言うことは、過保護にすると言うことでは無い。
まあ、今時自民党の議員になろうというような人を想像してみると、領域の違う人達なのだろう。あれこれ忖度がうまくて、そのうち国会議員になれればと考えているのだろう。脂ぎった名誉欲の怪物達である。日本がどうしようもない国になった理由はこういう政治にある。
寅さんが帝釈天のご住職から「手に油して、額に汗して働く人間になれ。」と言われて、天ぷら屋に勤めるシーンがあった。私もそう言いたい。子供には仕事を与えるべきだ。勉強など二の次で良い。田んぼがやれるような子供なら何とかなる。