明日香村の奈良万葉文化館に行ってきた

昨日まで明日香村に行ってきた。3日目に夜明けを待って、明日香村を描いてみた。朝霧から浮かび上がる明日香村の景色は、この世のものとは思えないような、荘厳で、静かで、しかも明るい華やいだものだった。人間の作り上げた世界観が景色として明日香村に在った。良いものを見せて頂いた。
まさに修学院離宮に模式図化された世界が、ここに在った。日本を豊葦原の国として、稲作と人間の暮らしがどのように結びついてきたのかが、よく見えてきた。これこそ日本人の暮らしの本来の姿ではないだろうか。明日香村に行ったならば、お寺や史跡よりもこの田んぼを見てもらいたい。
写真は石舞台から少し登った、上居集落の公民館のようなものがある場所から撮ったものだ。又描かせて頂ければと思っている。明日香村にはここ以外でも素晴らしい棚田がいくらでもあった。この棚田は明日香村棚田4選に入っていない。
秋の実りの時期だったことも良かったのだろう。溜め池や飛鳥川も素晴らしいものだ。村内どこを回っても、黄色の稲穂が目に付いた。車さえ止められれば、どこでも描きたくなる景色だ。一度や2度では到底描けるものではないと思う。また行きたいものだ。
3日間絵を描いた。その里地里山風景は素晴らしいとものだった。50年以上前に行ったことがあったのだが、久しぶりの明日香村は昔よりも美しく整っていた。棚田の素晴らしさが感動的だった。明日香村の稲作の姿こそ日本の姿ではないかと思った。
この景色を造り出している方々の、ご苦労を思った。丁度案山子コンクールが行われていて、案山子の写真が展示されていた。電柵などはほとんど無い。奈良なのに、鹿が食べに来ないのかと思ったのだが、鹿の方も上手く棲み分けているのだろうか。
飛鳥には文化を感じさせる歴史がある。その文化に繋がった田んぼがある。そこにある日本の意味を深く味わう必要があると思って絵を描いた。人間が自然と調和して暮らしている姿。ただ目の前には自然がある。そこに織り込まれている人間の暮らしが少しの違和感も感じさせない。
自然の有り様に溶け込むように田んぼがある。自然を壊すことなく、暮らしを織り込んでいる。この生き方を忘れ無いようにしようと思った。たぶん私が美しいと感じるのはこの暮らし方であるのだろう。その暮らし方を描きたいという気持ちが強くなっている気がする。と言って農家を描くというのではない。
明日香村には万葉文化館と言う県立の日本画を中心にした美術館がある。その文化館には絵の展示スペースも併設されていて、展覧会が行われている。ここで水彩人展が出来ないかというので、相談をさせてもらいに行った。公の施設なので、6ヶ月前に申し込んでから審査して決まると言うことだった。
ただ、例年の例では空いている期間はあるので、その期間であれば水彩人であれば、館の目的から照らして、やらせて頂けそうだと言うことは分かった。私は研修を目的とした水彩人展に出来ればと考えている。朝から写生会をおこない、夜は批評会を行う。
写生と制作と言うことを考える会をやりたい。水彩人では昔は写生会をよく行っていた。そうした研修で水彩人が出来てきたとも言える。水彩人が大きくなり、写生会としては行われなくなった。久しぶりにやってみる価値はあると思う。
見ると言うことと描くと言うことを考えてみたい。水彩人展の中で写生会を企画する。展示してある絵を見ながら写生を行う。その意味は大きいと思う。水彩人展には必要な形だと思う。水彩人が水彩画の研究のための会であるということを思い出す必要がある。
そう考えると万葉文化館は最適な場所ではないかと思われる。展示した絵の批評会も時間をかけて十分に行う。会期中に出来るだけの会員同人が集まれればと思う。連日その日に参加した人を中心に、朝10時から11時頃までは絵の前でその日集まった出品者を中心に絵の批評会を連日行う。
出来れば写生会も何度かやりたい。朝6時から描いて10時から展覧会会場に集まると言うことは出来るはずだ。会場で描いた絵と自分の絵を前にして、11時まで批評会を行う事もできるはずだ。素晴らしい会場で、仲間の絵と並べて、自分の絵を考えてみることは重要である。
しかも、明日香村の風景の中で描くことが出来る。この計画は素晴らしいものになりそうである。何とか実現したいものだ。今度の1月の総会の時に提案したい。承認されたならば、来年の秋に申し込み、3月後半に開催すると言うことが可能になる。
今回の明日香村での写生はやはり、石垣島との違い感じるものだった。石垣島は色が強い。陰がない。明日香村の風景は色のない水墨の世界を感じた。特に早朝の霧から浮んでくる風景は、思い出すものが次々に現われるものだった。やはり子供の頃の藤垈の景色だ。
里地里山の水田が失われている。失われてはならない景色が失われて行く。瑞穂の国日本が失われて行く。その理由は経済である。稲作で生計が保てないのだ。明日香村でも行政の支援無しで、あれだけの棚田が維持されているとすれば、
そこにあるものこそ意味がある。
そこにあるものこそ意味がある。
以下明日香村の棚田のオーナー制度の募集記事である。
田んぼコース :【募集】1区画 40,000 円で 78 区画を募集(1 区画 100 ㎡) 【内容】自分の田んぼで稲作ができ、新米 40kg がもらえる。 ・トラストコース:【募集】1 口 30,000 円で 15 口を募集 【内容】共同田での稲刈り・脱穀作業と、景観保全のためのススキ作り等の農作業体験ができ新米 30kg がもらえる。 ・はたけコース :【募集】1区画 10,000 円で 100 区画を募集(1区画 30 ㎡) 【内容】自分の区画で野菜や花を栽培できる。
以上の形で運営されているようだ。たぶん日本中でこうした制度が広がっているのだろう。こういう募集で参加者がいるところと、居ないところがあるのだろう。石垣島で同じことをやって人は集まればやる価値がある。一万円で10キロのお米が貰えると言うことのようだ。
小田原の農の会では、一万円で100キロのお米である。様々な制度で市民が米作りを始めない限り、日本の田んぼはなくなる。明日香村の棚田が、何時までも続くことを願うばかりである。市民が楽しく、有意義に、しかも経済的にも合理性のある形で、稲作が行われて行く。もう一度考えてみたい。