自分の脳にコンピュターが食い込んでくる。

   


 舟原田んぼの山田錦 今まで見た田んぼの中で一番美しい田んぼかもしれない。

 記憶ではあいまいだが、多分こんなであった気がする。このように文章で書く場合は徹底的に調べて判明させてから書く。この時に調べるために「ググる」それはパソコンで文章を書く多くの人がやっていることだろう。人のことは当然分からないが、便利なことなのでそんな気がする。

 たいていのことは確認しなければ間違っている可能性が高い。よく理解していないことは、書けない。曖昧なことだがとか、多分そうだと思うがとか書くのは、そう書いた方がが適切な個所であり、本当の意味で曖昧な訳ではないことが多い。むしろ明快なこともある。

 そんなことを覚えているとと思われたくない場合や、知識をひけらかしていると受け取られたら、意味が違ってくるという時に使っているはずだ。本当に曖昧なまま書くことはあるだろうか。ほとんどない気がする。間違っていることは多々あるが、そう思い込んでいてそれなりの事実なのだ。
 
 身体で理解していることが、文章で現れることがいいと考えている。ここに文章を書いている快感がある。脳で理解するのであれば、小脳で理解しているような、反応的なことが直に現れることが重要である。何となくこっちの方角なのだろうということが多いはずだ。

 しかしこの方向感覚がその人なのだ。だからそこをだけ書けばいいと思っている。その深い身体化しているような個所は、大脳的にはすべて不明瞭なのだ。だから確かめながら、はっきりさせてから、多分こうだろうがという文章になる。

 問題は調べているうちに自分の方角が、グーグルの先に表れた文章に影響されてしまうということがある。ということかもしれない。コンピュターが小脳に食い込んでくる。作家の方が、ペンにこだわったり、原稿用紙にこだわることがある。それはキーボードの打ち心地のようなものかもしれない。

 当然見ている画面の大きさや活字の種類も重要にはなるが、そういうことは慣れればどうにかなるようだ。しかし、キーボードの感触は代えがたいものがある。タッチが深いもの浅いものいろいろあるようだ。ある程度深くないとだめだ。だからノートパソコンで打つ場合も別のキーボードが必要になってしまう。

 キーボードは7つほどある。滑るキーボードには表面にはシリコンゴムを張っている。指が引っかかる手ごたえがある方がいい。自分の速度としては最速で打ちたい。それは頭の中の発想の速度に追いつきたいからだ。それはしゃべる速度よりもいくらか遅いぐらいのようだ。この速度で打っていると、次の文章が自然と引き出されやすい。

 脳トレとして毎日書くブログの目的にしている。ボケ防止プログラムの一つである。文章がおかしくなれば、怪しいことになる。ぼけてしまえばおかしいこともわからないのだろうから、読んだ人で気づいた人はぜひ教えてもらいたい。ボケも早めであれば、侵攻が新しい高い薬で止められるらしい。

 文章を書くのは試行錯誤である。言葉が途切れて、行きつ戻りつその先を探しながら、言葉をひろう。頭の中を探して探して見つけて歩くことが文章を書くことだ。これがチャットGPTというようなもので、調べていたら発想が広がらない。多分それを自分だと思い込むように脳がコンピター脳になり劣化してゆくはずだ。

 ここで探しているものは頭の中で不明瞭だが、何となく頭の中を探って進み、理解ができてくることが重要になる。数学の問題を解いているのと、似ている。不明瞭ではあるのだが、文章の答えの予感はある。予測もついている。そこへの道筋を探っているのだ。今もそうしながらこの先を探っている。

 それを文章でも考えてみる。すると、抜けている個所や、まだ実践していない新たな方向が見つかる。様々な要素が文章を書くことで引き出されてくる。わかっていなかったことが、文章を書くことで確認できる。文章を書くのは考えるということでもある。

 たとえば、チェットGPTで回答をお願いしても、自分の頭は一つも使わない解答だけ現れる。回答よりも、そう考える過程を文章を書きながら、脳を鍛えているのだから。これでは面白くない。この農の中を漂い繰り返す作業が重要なことは考えている。そこに発見があるのだから、そこを外してはだめだろう。

 具体的に書いてみれば(分からないことをはっきりさせるためにはいつも具体例を引き出す。)、ひこばえ農法を考えている。ひこばえ農法は可能だという答えは出ている。それを石垣島の田んぼで実践するためには、様々な違った要素が現れる。実践してみたとしても行き詰まることが、次々に表れる。実際の田んぼでも試行錯誤をしている。

 先日友人がひこばえ農法をチャットGPTで回答してもらったとその文章を、ラインでくれた。その回答の中に、「とよめき」は向いていないという一文があった。これは間違いなく私のブログに書いたものを参考にしたのだ。こんな情報はほかではありえない。実に細い糸を手繰っている。

 「とよめき」が石垣島ではウイルス病になった。ウイルス病をひこばえで引き継がれてゆく。この点が問題だったのだ。しかし、この情報は私以
外に出しているはずがない。もちろん日本以外では栽培がされていない。とよめきでひこばえ農法をやったのも私だけだ。

 ただ「とよめき」が向いていない理由にウイルス病については触れていなかった。何となく文章生成AIの仕組みが見える気がする。ひこばえ農法の情報量は少ない。だからささやかな私のブログも情報源になったのだろう。普通は再生稲とか、サリブ農法とか書かれている。

 つまり情報収集を立ちどころでやってくれるという意味では素晴らしい能力だ。しかし、今のところチャットAIよりも、ひこばえ農法は私のほうが情報量がはるかに多い。その理由は、間違って中国語で検索したからだ。たまたま中国語に変換された「再生稻$4E30收在望」と検索したのだ。

 そうしたら、そこから芋づる式のネットサーフィンですごい量の情報が現れたのだ。なるほどということがいろいろ分かった。しかし、情報はあくまで情報である。それを石垣島のひこばえ農法の今までの実戦をもとに考察できる。そういう考察を文章で何度か行った。

 ネットでググるというのはそういうことになる。ネットは家に図書館を作ったようなものだ。資料館を脇において、検索を繰り返している。今日の文章だって、20回ぐらいググっている。そして、リンクした方がわかりやすいときにはリンクしておく。ググった先の文書とのかかわり方を気を付けている。

 ありがたいことだ。もしネットがなければ、ひこばえ農法の実戦もできなかった。山岡先生の文章にはずいぶん助けられた。一方水牛のことではネット情報がない。しかし今思いついて「water buffalo Breeding method」と検索してみた。出てくる出てくる。なるほどである。いよいよ私の資料室は世界規模になった。

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