関東大震災から100年

   



 関東大震災から、100年。父は子供のころ経験した関東大震災の話をよく話した。当時渋谷に住んでいた。今の東急本店のある場所に小学校があり、そのそばだったらしい。代々木に連隊があり、広い野原があり、「春の小川がさらさら行くよ」という小学校唱歌が作られた場所だ。春の小川はどっとと流れていて、サラサラではないという事も話した。

 ハチ公が駅で主人を待っていたころの話も良くした。犬好きでブルドックを飼っていたぐらいだったので、ハチ公のことはよく見ていて話してくれた。飼い主が死んだことが理解できなかったのだから、余り賢い犬ではないと言う意見だった。忠犬に仕立てられたのは時代の風潮だと言っていた。野良犬のように、渋谷の道玄坂にあった大英堂パン屋の前を毎日歩いていたとのこと。

 関東大震災では6000人もの朝鮮人が虐殺をされた。父の知り合いのおじさんが朝鮮顔をしているというので、自警団につかまり、危うく殺されかかったことも話してくれた。幸いなことにつるし上げられているその場所に、偶然おじさんの近所の人が通りかかり、その人はれっきとした日本人だと助けてくれたので、命拾いしたとのことだった。

 現代の朝鮮人のイメージは整形顔の美男美女だが、どう考えても、顔を見て朝鮮人と日本人が見分けられるわけがない。不細工が日本人という訳でもないだろう。しかし、昔は顔が違っているという認識だったのだ。身体は朝鮮人の方が大きいとも言っていた。今は確かに韓国人は大きいが、昔からのことだったのかどうかは分からない。

 なぜ、朝鮮人虐殺が起きたのか。直接的に言えば、日ごろいじめていたから、震災が起きたような国家体制が弱まった危機であれば、暴動を起こすに違いないと考えてしまったのだ。「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ。」そういう流言が広がった時に、日本人のほとんどの人が、在りそうなことだと思わざる得なかったのだ。だから軍隊や警察まで朝鮮人の虐殺をしたのだ。

 震災で火事が広がっている中で、各町内会には自警団が出来て朝鮮人の攻撃に備えたのだ。街角に立って怪しい人物を捕まえては、朝鮮人とみると殺してしまうという悲惨な事件を起こしてしまった。今考えてもまさかそんなことがあり得るのだろうか。というほどのひどい事件であるが、実際にあったことであり、すべての日本人は決して忘れてはならない事なのだ。

 明治帝国主義時代という、日本人が最も倫理観を失った、ひどい時代がこの事件の中に見て取れる。西欧に追いつけ追い越せの鹿鳴館の成り上がり。脱亜入欧の国家主義という、恥ずかしい時代が日本にはあるのだ。国語を英語にしようというほど愚かな人がいたのだ。

 6000人朝鮮人虐殺事件は日本の侵略戦争に繋がっている。そして、この最悪の時代を復活させたいというのが、自民党の党是である。それは幻想ではなく、現実の日本なのだ。多くの日本人がその自民党に洗脳されたかのように、投票してしまうのである。朝鮮人虐殺を行ってしまったようなことがいつ起こるかわからない不安がまた持ち上がってきている。落ちぶれかかって藁につかまろうというあがきなのか。

 日本の原発汚染水の海洋放出に対する、中国人の反応をみると、人間というものはなかなか進歩できないという事が分かる。その下地が広がっていれば、流言飛語が人間を変える。そして人間は何をやらかすかわからない。どうも最近の世界はおかしい。江戸時代のような安定した倫理のある社会を目指す必要があるのだろう。

 こうしたおかしな社会だからなのか、関東大震災の時の朝鮮人虐殺は無かったという人たちが現れた。ヘイトスピーチを続けている人たちと関連があるらしい、そよ風の会とか名乗っているという。虐殺はなかったと信じ込んでいるのか。あるいは何か意図があり、ウソのの宣伝をしているのか。どうにも不自然なことだ。

 関東大震災都慰霊堂には、朝鮮人虐殺の追悼碑がある。碑には「あやまった策動と流言蜚ひ語のために六千余名の朝鮮人が尊い生命を奪われました」と刻まれ「この歴史 永遠に忘れず 在日朝鮮人と固く手を握り 日朝親善 アジア平和を打ちたてん」とうたう。

 この碑は50年前の1973年に都議会全会派の賛同で建てられた。 このことを岸田内閣や現都議会を見ると隔世の感がある。負の歴史に向き合おうという気骨がない。そんなことは忘れて、自分の回りのことだけになって、金を稼ぐことだけで生きてゆけば、賢い生き方という風潮か。

 この碑の前であえて、朝鮮人の虐殺はなかったという主張の集会を開く人が出て来ているのだ。何という劣化した危険な日本か。その原因は現岸田政権はこの朝鮮人虐殺について、知らん顔をしていることにある。100年を機に日本政府として、再度反省し、朝鮮人に対して世界に対して謝罪をする必要がある。

 なぜこんなひどいことを起こしたのかと言えば、独裁政治に原因である。国民一人一人が自分の頭で思考する能力が衰退したのだ。お上のいう事に従っていれば間違いがないと思い込まされたのだ。独裁政治は人間を劣化させる。間違えた時に戻ることはできない。自民党政治はソフト独裁政治なのだ。

 日本が最終的に敗戦し、出直しになったことは紛れもない事実だ。ところがこの敗戦すら否定する人たちがいる。日本は無条件
降伏をしたわけではないと屁理屈を述べている。日本が植民地を持ち、朝鮮台湾満州を支配していたことも否定する人たちがいる。

 大東亜共栄圏の妄想では、植民地ではないし、日本語の押し付けもなかったとしている。もちろん南京の虐殺も否定するし、従軍慰安婦などなかったとも強弁する。日本の恥ずべき歴史を無かったことにしようとしているのだ。反省をし、謝罪をするから突け入れられると考えるのだろう。昔の日本人はすぐ謝るので、責任をとらされるというたぐいだ。

 どこかに先導者が存在すると考えた方がいいはずだ。安倍デクノボウ内閣を作った人と同じ穴で蠢いている連中なのだろう。突然「戦う覚悟を持て」などと恐ろしい言葉が飛び出すのもそこに原因がある。一見冗談に聞こえるが、どうも本気らしいのだ。この策謀にすべての人間の中に潜む、悪の要素が反応してしまうのかもしれない。要注意である。

 追記:日本人と朝鮮人を識別するために使われたのが「15円50銭」という言葉です。発音できるかが生死の境になりました。 こういう文章がありましたこのことも父から聞いた事でした。子供の私はあわてて、「いちえんゴジュッセン」と口に出した覚えがある。

 この時に、実は東北の人や、沖縄の人が、しゃべれなかったために朝鮮人として殺された事件があった。そして、吃音の人も同様に殺されてしまった。人間は全く情けない悲しいものだ。実際に殺人事件を起こした人は、責任をつらなければならないが、この事件は日本という国家体制が起こした事件と言えるのだろう。
 
 その意味で現政権がこの事件を軽視していることは、ヘイトスピーチを呼び起こすことになっているのではないだろうか。政府は正式に謝罪を行うべきだろう。それが出来なというところに、ひどい世の中が待ち構えているような気がしてならない。

 

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