平和学習に少しだけ違和感
やっと沖縄に戻った。那覇のアパホテルに泊まって、石垣に戻る。一番遅い便しか取れなかったのだ。台風をよけての航行だったので、時間が1時間遅れた。それでも台風の脇を無事来れたのだから感謝しなければならない。急いで、ゆいレールまで行って、最終便に何とか間に合った。
朝これから、リッカの湯に寄るつもりだ。沖縄唯一の日帰り温泉である。せっかく那覇に来たのだからよりたい。午後には石垣島だ。沖縄に停滞した台風には、困った。それでも小田原で絵を描くことができた。しかも出品作の額装まで終わった。台風にこの点では感謝である。
8月は日本が敗戦した月である。全国に鎮魂の祈りが広がる。沖縄ではその2カ月も前の6月23日が米軍に占領された日である。日本が敗戦していないときに、先行して敗戦した沖縄の日本軍はどうだったのだろうか。慰霊の日として沖縄では祈りが広がる。日本人である以上、この日を忘れてはならないと思っている。天皇家ではこの日は黙とうし慰霊の祈りを行うという。それは厳しい地上戦が行われ、住民が逃げまどい、隠れ、自ら命を絶った人さえもいる。
石垣島でも平和学習が熱心に取り組まれている。今までは体験者が戦争体験を語り、伝えるという事が活動の中心にあった。課題はその体験者がほとんど亡くなられたことにある。石垣の場合、島に米軍が上陸して地上戦があったわけではない。そこで戦争マラリア体験や、台湾疎開の体験のことが語られる。
ただどうしても本島で行われているような、4人に一人の方が亡くなられたというような恐ろしい地上戦があったわけではないので、平和学習の根底が異なる。空襲は頻繁にあったわけだが、戦争の悲惨な体験ではあるが、東京での戦争体験の話とそうは違はない感じを受けた。こうして23日の慰霊の日には各地で集会があった。
石垣島にも平和祈念館がある。本島にある平和祈念館の分館として作られたものだそうだ。気になるもので時々寄ってみるのだが、入館者は少ない。ここでは戦争マラリアの悲惨な実態が中心に展示されている。米軍の空襲でどの程度の被害があったのかについては展示からは良く分からなかった。
総務省ホームページの記載によるとアメリカ軍が慶良間島へ上陸した3月下旬以降、石垣島は4、5、6月と、来襲機数延べおよそ三千六百余機、1日平均36機が爆撃。5月艦砲射撃も加わり千機を超えるアメリカ、イギリス軍機の猛空襲にさらされた。 とある。
4月以降の、6月住民の山地への強制避難、さらに「甲号戦備」命令が下され、一気に臨戦態勢に突入した。やがて住民とマラリアとの死闘が展開され、強制避難から敗戦直後の9月までの間に八重山群島で3,647人がその犠牲となる惨事となった。中国のミサイル攻撃があれば、この死者数では済まいだろう。
こうしたことは石垣で小学校から、丁寧に教えられている。ただもし平和学習が成果を上げているとするなら、石垣市長のように、自衛隊のミサイル基地を誘致するような市長が、選挙で支持されるはずがないと思うのだが、どうなのだろう。
中山市長によると、自衛隊が来たことで、住民の安全が守られるという考えだそうだ。全く逆の間違った考えだと思うが、石垣島の平和学習の結果、そうした考えが生まれたのだろうか。この点が一番不思議に思う。日本軍のいなかった島は米軍に無視されたところが普通だ。日本軍がアメリカ軍の攻撃を誘発している。
平和に関する学習の方向に、欠落したものがあると思われる。平和を創造するために必要なものは何かという事を考えさせる平和学習が必要ではないだろうか。戦争が何故行ってはならないかの理由を「人が死ぬ」という悲惨な体験という観点だけで説明するのでは半分だけだと思う。被害者の観点は半分である。
平和学習で重要なことは「どうすれば平和な世界を作れるか」を考えることだと思う。その根本は戦争では、国際紛争は何も解決されないという事実をすることから始まる。世界中で戦争が繰り返されているが、戦争は国際紛争をより深刻化しているだけだ。戦争は何も解決をしない。憎しみを増幅する。
武力による対抗は戦争の危険を増している。核抑止力の考え方が、破綻しようとしている。ロシアは不当にウクライナに軍事侵攻しておきながら、もし戦況が不利になったならば、原子力爆弾を使用するとしている。そうなったときには、アメリカやNATOはロシアに対して原爆攻撃をするのだろうか。これはもう核抑止論で想定されていない事態だ。核抑止論は破綻したのだ。
例えば今行われているウクライナへのロシアの軍事侵攻を考えてみても、たとえロシアが予定通り短期間に勝利したとしても、民族間のわだかまりのようなものに対する、何の解決にはならないという事である。問題の解決は和解だ。両者が許し合う以外に解決はない。
どれだけ不当に見えてもロシアにはロシアの正義があるのだろうが、問題を解決どころが、力でねじ伏せられた憎しみが、増幅してより悪い関係になるばかりだ。ロシアの軍事進攻の背景には、過去の戦いから生まれた憎しみがある。戦争は問題を深刻化するものなのだ。
平和な世界を作るためには日本国憲法しかない。確かに、頼りない。力不
足な精神的な憲法である。しかし、日本国憲法の精神以外に、世界平和はない。「国際紛争は平和的手段で解決する。」このことが平和教育の基本だろう。この大切な考え方をどう具体化するのかが教育である。憲法に従って平和を指導するという事は教育の基本的な姿勢である。
足な精神的な憲法である。しかし、日本国憲法の精神以外に、世界平和はない。「国際紛争は平和的手段で解決する。」このことが平和教育の基本だろう。この大切な考え方をどう具体化するのかが教育である。憲法に従って平和を指導するという事は教育の基本的な姿勢である。
日本はひどい戦争をしてしまい、近隣諸国にその反省を示す意味で、日本国憲法の9条を制定したのだ。アメリカが素晴らしい憲法を与えてくれたと考えればいい。二度と武装化はしないので、侵略戦争をしたことを許してくださいと謝罪したのだ。そうでなければ、世界から受け入れてもらえないような、ひどい侵略戦争をした上での敗戦国であったのだ。今のロシアと少しも変わらない。
非武装中立という考えが空想的なもので、日本を危うくしていると言われ続けてきた。確かに理想主義的な思想だ。しかし、ロシアが主張するように、もし敗北するなら、原爆でウクライナを攻撃すると公言しているのだ。どちらが勝利するという以前に、人類滅亡への道である。
現在世界が紛争の時代に入った原因は、資本主義が限界まで進んで、その国家間の競争主義が原因である。アメリカと中国の覇権争いは、経済的競争の末に起きている。資本主義において正しい競争というものはない。弱肉強食なのだ。競争の共通のルールがないのだ。百獣の王ライオンにも、種が生き残るためのルールがある。
このまま経済競争を続けることは、戦争に繋がる。経済の競争のルールの構築に日本は努力すべきだろう。国家資本主義と自由主義経済圏のすり合わせである。その為には、東アジアの韓国、台湾、日本で、まず共通ルールを作ることではないだろうか。そして、その三国が、アメリカと中国の間に入る。
こうした平和的な努力だけが、平和を作る。無意味な弱いものに見えるだろうが、それ以外にないのだ。ミサイル基地など危険を増すばかりである。琉球弧に並んだミサイル基地はアメリカの防人の島という事だ。この負担を見え見ぬふりをしている、本土の人たちは沖縄をアメリカの防人の島にして放置していることは差別だ。