「ChatGPT」の未来

   



 先日、のぼたん農園のラインで「ひこばえ農法」について、ChatGPTで質問してみたというコメントが入っていた。それをここにのせさせてもらう。

石垣島でお米のひこばえ農法を成功させるにはどうすればよいですか?

①米の品質を最適化するために、米栽培方法と管理を正しくしてください。
②畑のサイジングを適切に行い、改善可能な場所まで稼働率を上げてください。
③独自の研究を行って、多年生植物を栽培する技術を向上させてください。
④水の管理を完全に守り、農場の設備、施設、また何かを勉強して技術を向上してください。
⑤臨海栽

刈り取った後にすぐに幼穂が出てしまいます。それはなぜですか?

米垣島では、臨海栽培としての米栽培が多いため、植物の成長段階が重なることが原因です。臨海栽培では、水分の枯渇を防ぐために大量の水を足して米を耕します。これにより、表層土壌中の種子が体を構成する形で培養され、すぐに幼穂が出てしまうのです。

つまり、刈り取り後に水を枯らせば、ひこばえ農法は成功するのですか?

いいえ、それだけでは不十分です。お米をうまく栽培するには、必要な環境に合わせた土壌の酸化還元度を確保し、浸水肥料を正しく配給することも必要です。また、種子の種類や量なども選択する必要があります。

石垣島のひこばえ農法に適したお米の種子は何ですか?とよめき?ミルキーサマー?ゆがふもち?

最適な種子は、ゆがふもちとミルキーサマーの二種類です。ゆがふもちは穀類栽培に適した高品質の種子なので、ツミ付けに適しています。また、ミルキーサマーは、あらめ穀類に近い品質を持つ種子なので、お米の栽培に適しています。

ひこばえ農法を成功させるために、刈り取り後にすぐに幼穂が出てしまった場合は、穂を摘み取った方がよいですか?

その場合、穂を摘み取ってしまうのはよくありません。米栽培では、幼穂が、枯死しない限りは穂を摘み取ることを推奨しません。なぜなら、摘除すると根系が壊れてしまい、養分を取り込む植物の形成が阻害されるからです。低温多湿にして防風施設などを整えて管理することで、植物の成長を最適化します。


 以上がChatGPTに質問した応えだそうだ。まだまだの段階だと言うことが分かる。実践の上で参考になる答えは一つも無かった。気がついたことは「とよめき」がひこばえ農法に向いていないという情報は、私以外に発信していないはずだ。私のブログもチェックを入れたのだろうかと思うところだ。

 ChatGPTが社会を変える為にはあと5年はかかるだろう。情報を集めるためにどれくらい有効になるかである。最近中国では「ひこばえ農法」が広く行われていると言うことが、言われるようになった。その実体がなかなかインターネットでも分からなかった。ところがあるときから中国の情報がわかるようになった。

 中国語で検索をしたのだ。中国語と行っても「再生稲」ではなく単純に「再生稻」と検索したらずらずら出てきたのだ。もちろん中国語で出てくるので、それを翻訳ツールで日本語に翻訳してもらい読んでいる。翻訳はまだまだおかしなところが多いが、想像力をたくましくすれば意味が採れる。

 その中でおもしろかった事があるので、まずそちらのことを書いておく。ひこばえ農法は1700年も前から行われてきたと言うこと。その技術としては気候的に2期作可能な地域がひこばえ農法で広がると言うこと。2期作をひこばえ農法で行えば、短期間で2期作が可能になると言う技術だ。

 興味深いところでは、ひこばえ米は漢方として食べられていたという情報があった。姫米と呼ばれたサナゴ米が軽いお米として珍重されたように、ひこばえ米にはひこばえ米の成分の偏りが起こる可能性はある。特定の病人食には向いているというようなことがあるのかも知れない。

 その意味で、7回も連続で収穫するというスマトラ島のサリブ農法とは大分意味が異なるようだ。のぼたん農園で耕作してみて、サリブ農法については今のところまったく不明としか言いようが無い。ひこばえ農法とサリブ農法は違うものだ。同じ物として取り組むと混乱が始まる。

 ひこばえ農法が中国で広がっているのはそれに適した品種が分かってきたと言うことがあるようだ。その品種についても、色々挙げられている。早生品種で、早く一期作を収穫して、ひこばえの2期作を寒くなる前に収穫するという考えが基本。この点石垣では1年間に3期作を作るという考えが良いのではないかと見えてきた。

 1月種まき、一回目を5月稲刈り。2期作を8月稲刈り。3期作を11月稲刈り。そして荒起こし、代掻きと田んぼを作り直して、翌年しの耕作に入る。そのまま継続するよりも、病気などが断ち切れて、安定収穫が出来るような気がしている。サリブ農法は止めて、「ひこばえ農法」で進める。

 ChatGPのことだった。今現在の間違いの多さを問題にしたところで、無意味である。情報の集め方が早くなれば、精度はどんどん上がって来て実用的に参考になるはずだ。実際の石垣島の農業で役立つ物になるには、10年はかかるのかも知れない。

 ChatGPは社会を大きく変えることは間違いが無い。中国のひこばえ農法の情報が手に入ったことで、ひこばえ農法を考える上で、情報量が一気に増えた。情報を自分で探して集めるよりも、ChatGPで集めることが出来れば、その効率は一気に高まる。

 1時間かけて探
している物が、瞬時に可能になれば、医療とか。司法とか。政治とか。重要な場面での判断に役立つはずである。もちろん、その背景には農業の実践があって、農法の情報が役立つように、医療の広い知識と実践がある人が利用して役立つと言うことだ。

 もし、何も知らない人が知ったかぶりでChatGPを利用しようとすれば、大きな間違いに繋がる可能性はある。それは生成画像AIを考えてみれば分かる。人間を越えた画像生成が可能になる。絵画と言うものを制作したことが無い人でも技術抜きに画像が作ることが出来る。

 例えば絵画評論家が自分の絵画を作ると言うことが可能になるだろう。将来美術史家が、シルクロードにあった、幻の絵画を作り出すことだって出来るはずだ。ダビンチが描こうとして描けなかった絵画も制作することが出来る。しかし出来ないのは、描くという芸術行為に伴う人間の問題である。

 制作すると言うことで人間は、人間自身を探求している。「私絵画」の時代が近づいている。人間が生きるという根源にあるものは「自分の存在の探求」である。なんで生まれてきたのか。死んでどこに行くのか。描くという行為の中に、自分の存在の根底にふれる感覚やその成長を感じる物がある。

 人間が生きると言うことにChatGPは役立つ物に違いない。しかし、どこまで行っても生きるという回答を出してくれるわけではない。生きるという体験を感じることが出来るのは、人間として生きているからだ。この原点だけはどこまで行っても自分の中に見付けるしかない。

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