タマネギとジャガイモと小麦

   



 昨日写真が間に合わなかったので、まずは田植えが終わり、一日経過して、水が落ち付いた、田んぼの写真を載せる。公民館の庭から見たところ。右奥の欠けているところが、1番田んぼでその手前の田んぼが3番田んぼで入水口。


 観音堂のバス停から見下ろしているところ。手前が10番田んぼ。ここが里地里山の田んぼ。どこも一本植えになっている。品種はサトジマン。この見事な美しい線引きを見てもらいたい。


 大きな木は栗。この栗も管理している。田んぼに降りる道。



 欠ノ上田んぼの田植えの終わった全体の様子。5月29日。最後の写真の手前の右側の田んぼが子供田んぼ。中央に柿の木が10数本ある。へた虫にやられてしまう事が多い。

 今年の農の会のタマネギ会とジャガイモ会は過去最高の出来であった。3月4月が暖かったからではないかと吉宮さんが言われていた。こんなに慣行農法のタマネギのように大きなタマネギがザクザクできたことは、初めての経験である。ジャガイモも立派な綺麗なジャガイモが出来ていた。

 タマネギの管理も、ジャガイモについていえば全く私がやったことはない。すべて渡部さんがやってくれたことだ。まったく申し訳のない有難いことだ。私としては何とか格好だけ着いていっているだけなのだが、それで会に参加している気分だけでも味あわせてもらっている。

 タマネギはネオアースの苗も準備してくれたものを植えた。植えてすぐに穴あきビニールでトンネルをした。これが舟原でタマネギを作るコツである。箱根おろしが厳しい。時には大きな木が倒されるほどの風が吹き降ろしてくる。この乾いた風でタマネギ苗は活着できずに弱り切る。だから黒マルチを地面に敷くより、穴あきビニールでトンネルのほうがいい。

 今年のタマネギが良かったのは、タマネギの苗を植えた後雨が降った。これでタマネギの活着が良かった気がする。例年植えた後雨がなく乾く。これで枯れてしまうものもかなりある。今年は400の内枯れたのは数本だった。こんなことは初めてである。

 穴あきビニールトンネルで苗を守ってくれる。雨は入らないのだが、ほどよく湿度を維持してくれて、タマネギが水不足になることもない。トンネルを3月に外して、草を徹底して取った。玉ねぎはタマネギ以外の植物が傍にあるだけで、生育が阻害される。

 黒マルチを地面に敷いて、草を抑えてタマネギ栽培は普通行われている。しかしこの黒マルチは使い捨てである。どうも気分が悪い。又地面を直接的に覆ってしまう事は、土の状態をおかしくしているような気がする。又穴のタマネギの脇から出てくる草が抜きにくいのも嫌だ。下手に抜くとタマネギ苗迄抜けてしまう。

 いつも思うのだが、叢生栽培の人がタマネギを作れたら、その技術を認めたいと思う。もしどこかにおられたら連絡を貰えたらと思う。全国にはさまざまな人がいるから、やり抜いている方もおられるかもしれない。その技術は必ず人のためになる。それほど難しい。

 玉ねぎはベットを作りそこに密植をする。ベットの高さは20センチくらい。幅は80㎝そこに横6本ぐらいに苗を植える。長さは8mくらいで足りる。苗は淺植えが良いと書いてある栽培書もあるが、普通にしっかり植えた方が一般的には良い。

 後はひたすら草取りである。他の草があれば生育が悪くなる。玉ねぎの根は他の草を嫌うが、隣のタマネギの根はむしろ好む。だから密植で問題ない。10㎝角植で行けば、立派な生育をすれば収穫時には一面タマネギという感じになる。

 くっ付いたタマネギもあるが、問題がない。今回、400のネオアース苗を植えた。そのうちまず100個の大きめのものを収穫した。残り265個あれば、一日1個のタマネギという目標が達成されたことになる。帰る前に全部収穫したいと思っているが、出来るかどうかは雨の降り方による。

 ジャガイモはほぼ私がやったのではないで、偉そうなことは言えないのだが、ともかくすごい量である。100キロは収穫できている。という事は一日274gのジャガイモが自給できたという事になる。これだけあれば、ジャガイモ好きには大満足である。

 小麦は出来がいい。たぶん反収200キロは超えたのではないか。ただ残念なことには、まだ収穫には早い。小田原に居る内にできればと思っていたのだが、協力できないで申し訳ないことだ。家の脇の小麦はかなり出来が良いのだが、倒れている。

 収穫作業が大変だろう。梅雨入りしたから雨が止んだ日に一気にやらなければならない。協力しなければと思うが、石垣に帰ってしまう。石垣も今
台風という事で、心配は尽きない。オロオロするばかりである。

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ 

 宮沢賢治にワタシハナリタイ、のだがとてもおよばない。及ばないのはよくわかるが、いくらかでも真似たい。オロオロ歩くぐらいならできる。デクノボウと呼ばれるのは難しい。宮沢賢治の領域は宗教家の姿なのだろう。この後お経のように様々な菩薩が書かれている。祈るほかないという事なのだろう。

 

 - 楽観農園