ChatGPTを嫌う人

   



 どこかの県知事が職員に対してチャットGPTの使用を禁じたらしい。頑迷な人だ。問題は使い方にある。職員の使い方を軽んじているのだろう。将棋ソフトが出来たときに、否定した将棋指しも多かった。しかし、現実には藤井壮太6冠のように、上手く使って自分の能力を伸ばした人が現われた。

 さらにすごいのは羽生9段である。一度全盛期を過ぎて、もうだめかと思われるところまで成績を落とした。ところがそこから将棋ソフトを使い、また復活して、藤井6冠に挑戦するところまできた。2回目の挑戦では藤井6冠に勝つかも知れないと思う。

 羽生9段は現在52歳である。その人がコンピュターソフトを利用して、衰えかけた棋力を再生したのだ。有能な人は何をどう使って勉強すれば良いのかが分かるのだろう。コンピュターを嫌う人は電気が病気を伝染させるからと恐れた明治時代の人と変わらない。

 役所の職員の方が、知事よりは若い。知事の頭では無理でも、若い人ならばまだ柔軟性があるから、上手く役所の仕事に役立てる方法を見付けると考える方が当たり前だ。あらゆる仕事で利用してもらいたい。これからすさましい早さで改善されてゆくはずだ。

 例えばChatGPTは弁護士でなくとも、法律に関する質問をすれば的確に答えてくれるはずだ。むしろ裁判官をChatGPTにしてもらいたいくらいだ。その方がえん罪がなくなる。憲法判断などChatGPTにすれば、日本政府のデタラメが見え見えになる。

 役所で必要なことは、通達や法律をどこまで知っているかである。あらゆる通達を熟知している職員などいない。省庁は様々な通達を出している。補助金の種類はどんどん変化するし、それに対応しいち早く利用しながら、行政は政策を立てなくてはならない。

 例えば、水田の冬期湛水に関する補助金「環境保全型農業直接支払交付金実施要領 」とその条件といっても、すべてを理解している農政関係の職員など少ないはずだ。どんどん変化しているし、現われたり消えたりする。その上地域での利用範囲が違ったりする。それを自分の地域でどう利用すれば有効であるかは政治的な判断も加わる。

 これからの時代、人間がコンピュターを使いこなせるかである。それを避けて通れるはずもない。大学の学生論文に使ってはならないと言うことらしいが、確かにそれはそうだと思うが、なんか大学の教育はChatGPT範囲のものだと言っているようなみじめさがある。

 大学での教育が人間教育であれば、ChatGPTを使おうが使うまいが関係ない。ところが日本の大学教育が狭い範囲の知識教育になっているから、改めてこんな決まりが必要になるのだろう。スポーツ選手の育成にChatGPTを使うことを考えれば分かる。

 スポーツ選手が強くなるためには身体を動かすトレーニングが必要である。どんなトレーニングがその人に必要なのかは、その人の能力の詳しい測定をした上で、どういう方法が適しているかを考えなければ成らないだろう。強化の計画を立てる上ではコンピュターは役立つはずだ。

 考えなければ成らないのはここからである。人間は何をするかである。人間が幸せに暮らすためには何が必要かである。今日やりたいことをやりたいだけやれることが幸せである。絵を描きたいのであれば、絵を描き続けられることである。

 絵を描けば言いと言っても、絵を描く喜びがよほど深く育っていなければ、毎日絵を描くことが喜びにはならない。中国の絵画お土産村の絵画職人のように、絵を描かされ続けていれば、何も楽しくはないだろう。自分の絵を模写しているような絵描きも、絵を創作する喜びの深さは知らないだろう。

 きちっと決まった仕事をこなす職人的な喜びと、未だかつてないものに挑む喜びとは桁が違うのだ。職人仕事であれば、人間国宝と言われる領域まで、とおからず、コンピュターロボットに置き換えられるだろう。むしろその先までロボットはやるだろう。

 しかし、どれほど稚拙であるとしても、創作する人間の喜びはどこにも誰にも置き換えることは出来ない。人間が生きる事はそうした分野の仕事に移行してゆくはずだ。行政の仕事はどんどんコンピュターに置き換えて行くべきものが多いはずだ。

 鳥取県はこれから遅れてゆくことだろう。知事は「本当にその地域にフィットした答えが出てくるわけではない。現場で集めてきた情報のほうに価値がある。議会答弁で使うとかいろいろな構想が語られているが、それは民主主義の自殺」 と語ったのだ。

 国会答弁に使いたいと発言した大臣とは大違いだ。どうせ官僚が書いた答弁書を代読するだけとしたら、 ChatGPTに書いて貰った方がましというのも分かる。間違いがないという範囲であれば遠からず人間を越える。どうせ答弁は国会の形式を整える議論なのだと言うことだろう。

 本当の議論を議会でやって欲しいのだ。いまの議会でやっているようなことならどうでもいい。何故石垣島にミサイル基地が居るのか。住民に対して分りやすく説明して貰いたい。市長も自民党と公明党の市議会議員も必要だと言うらしい。

 自衛隊の指揮官も丁寧に説明すると発言はする。こう言うときにこそ、 ChatGPTはごまかせないはずだ。必要だとするなら、中国の武力の分析と先制攻撃能力の関係の計算が必要になるだろう。当然市民の犠牲の可能性も出てくるはずだ。だから、 ChatGPTを使わないのだ。

 行政の言う丁寧な説明とはどのように住民をごまかすかなのだ。だから ChatGPTを禁止したくなるのだ。コンピュターを避けるなどしていたら、時代について行けない。これからの鳥取県がどうなるかは注目しなければならない。

 確かにAIの登場は人間社会を変えるだろう。これを上手く使えば、人間は好きなことをして生きる事ができる社会が近づくことになる。悪い方向に進めば、悪くAIを使う国が、他の国を支配して行くのかもしれない。人間が自由を失う可能性もある。

 AIを上手く利用することは、一部の人間が行えることだ。日本の生産性の低下の原因はロボットやコンピュターやAIへの置き換えが遅れているからではないのだろうか。新しい産業の創出にはAIは欠かせないもののように思われる。成功体験が次に仕事を譲らない結果になっていないだろうか。

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