わたしの水彩画の描き方

   



 30年水彩画を描いてきた。その前の30年は油彩画だった。もう油彩画は描かないだろう。水彩画が興味深く、最高の絵画素材だと考えている。油彩をやめて水彩画に取り掛かり、自分の絵を描くことに近づくことができた。水彩画は表現の奥行きが深く、水墨画と油彩画の両者を含みこむ表現といえる。色の深さや多様さは別格だと感じている。

 水彩画をおもしろく続けている。絵は描きたいときにだけ描いてきたのだが、73歳まで途切れることなく描いてきた。今では絵なくしては生きたことにならないくらいな気持ちだ。水彩画はそれほど面白いし、奥深い。また、生きることの不安が描くことで軽減されていると言うことでもある。

 描きたくなくなればそのときに止めれば良いと思っていた。一度油絵を止めた頃半年ほど絵を描かないことがあった。東日本大震災のあとも半年ほど描けなかった。この絵を描けなかった時間は、一番つらかった期間である。絵を描くということで救われているようだ。逃避と言うつもりはないのだが、そ言う意味もあるのかも知れない。

 たぶん、小学生の頃から絵は描き続けている。絵を描くのが好きだったからと言うより、絵を描くことで支えられているような何かがあった。立派に生きたいと考えたのだ。絵を描くということが好きなことの中では一番立派に見えた。これなら自分にも長くやれると思えたのだ。

 それは今も変わらない。生きる先の不安を絵を描くことで埋めてきたような気がする。絵を描いていると、いくらか生きている気がする。絵を描くと両輪で、もう一つの道として自給農業を続けてきた。食べるものを自分で作るということが、何より重要だと思うからだ。

 しかし、自給農業の生産物は食べて終わる。絵は描くということで終わってはいるのだが、描かれた絵は残っている。その描かれた絵に、自分の生きたことの本当と$5653が表れている。確かに生きたのかの証拠のようなものが残っている。

 70歳になって日々の一枚を始めたのも、死を意識してやり尽くさなければと言う、追い詰められた気持ちなのだろう。絵を何十年も生ききる目標として全力で描いてきて、これでいいとは到底言えない状況である。あまりに情けない。70歳から再出発のつもりで、まずそれまでにこびりついているものを取り除くことにした。

 まず、真似で作り上げている部分をどう取り払うかである。自分の絵の中である、自分でない、借りてきたものをどのように取り払うかである。まだ、まだ、それもでき切らない。自分が見て、認識して、理解しているということに、どこまで食い下がることができるか。ここが実に難し

 生きることを確認するために、描き続けてきたと言って良い。絵は限りなく興味深いし、ついつい描きたくなると言う感じできた。絵はだんだんには良くなってきたつもりでいるし、死ぬまですこしづつでも良くなるつもりだ。それは自分の見ている世界に絵が少しづつ近づいているという感じがするからだ。

 それはあくまで自分自身の問題としてである。私絵画を他人の作り出したものと比較したところで仕方がないことだ。一年前の絵と今日描いた絵がどう違うのか。世間的な絵としてみれば、どちらもどうしようもないものかも知れないのだが、自分にとってどちらが見えている世界に近いのかである。

 誰の坐禅の方が立派だなどと考えてみても無意味であるのと、絵の場合も同じことである。私の生きることの中で、絵を描くと言うことが、「私絵画」になったのだ。座禅をすることは自分が深く生きるための修業であり、座禅は座禅を行う行為自体が目的である。

 私絵画は私の造語である。意味が分かりにくいかもしれないが、絵が個人的なものになり、描く行為に絵画する意味は移ったということをだ。座禅が個人的なものであるのと同じ意味である。もっと深く生きるために絵画することが必要なのだ。

 長らく絵を描いた結果。出来上がった絵画の社会的な意味がないということに気づいた。絵は装飾程度しか、役に立たない詰まり藝術ではなくなっているということに驚いた。それでも自分が生きるためには絵を描くということは不可欠だった。社会性がないのに、なぜ絵を描くのかの自問の中で、私絵画を見つけた。

 絵を描くという行為自体に、自分が生きているという、唯一の実感があったのだ。繰返し考えて至った考えが、絵そのものよりも、描くという行為自体に意味が移ったと認識した。何か考えて絵を描くわけではない。脳ではなく目の反応で絵は描いている。

 見るという行為を、そのままに画面に作り出す世界で表そうとしている。見るということを突き詰めてみたいということになる。絵を描いているとある時見ている世界が立ち現れる感じがすることがある。なぜかはわからないが、見ている世界なのだが、認識できなかった世界が、画面に立ち上がってくる。

 禅を体得した坊さんに意味があるかどうかは分からないが、普通に暮らす事の充実と言うことなのだと思う。立派な僧侶であれば普通に暮らしながら、まわりの人を救済して行けるのではないだろうか。一休宗純禅師が周りにいた人を幸せにし、その人生を深くした。

 私の絵がそういう役割を持てるかは分からないし、今のところそこまでのものではないことはよく理解している。いつかそこまで進みたいという気持ちは、絵を始めた頃から変わらない。絵が役に立つというのではなく、絵があることで、気持ちよく暮らせることはあるかもしれない。

 そんな絵が目標であるが、まだまだ遠い。私自身がそんな立派な人間ではないからである。絵が自分になり、その絵が人を安堵させることができるとすれば、私がそういう人間でなければならないはずだ。俗物である私には到底生きている間にそこまではいけないだろう。

 しかし、あきらめないでやってみたいと思っている。日々の一枚である。あきらめなければ、わずかづつでも近づくことはできる。絵がよいのは、昨日の絵と今日の絵を比べることができるところだ。わずかでも近づけばいつの日にか、目標に達する可能性がないわけではない。

 大工さんをしていて、立派な大工さんになるということもある。自分の禅を成し遂げ、大工さんになった禅僧もいる。どちらが偉いというようなことではないだろうが、禅僧は何も役には立たないと言うことを修行の道にすると言うことがすごい。

 絵を描くことで自分に至る事が絵を描くと言うことの方角だろう。絵が役立たないとしてもそれは仕方がない。残念なことではあるが、今のところそこまでのものでしかないと言うことは、良く理解している。だから次の一枚である。次の一枚がそういう物になるかも知れない。

 

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