石垣島の牧場を描く
今回の石垣島では8枚の絵を描いた。どれもこれも途中である。途中までは一気に行くのだが、そのあとがなかなか進まない。難しくなる。難しくなるが、それをやらなければ、笹村出の絵としてもよいとは言えない気はしている。富士山の絵を365枚富士山を見ながら描いた。好きな描きっぱなしである。それで絵なのかどうかと確かめたかった。これでは絵ではないだろうと思いながら描いたのだが。365枚だから、ひたすら10間ほど機械のように、北斎のように描き続けた。ところが、富士山の絵のようなものを描け。笹村の私絵画などやめろという親切なお叱りの手紙まであった。今回意に反してというか、牧場と田んぼの絵に黒い牛を入れた。絵が出来上がるなと思う頃、牛が来て描いてほしいという位置にいる。どうしようかと思ったのだが、絵としてはどうかと思うが、牛がどうも描いてほしいという顔をしている。描かないというのもどうかと思い。描いた。絵としてうんぬんより、やはり牛に応えるというほうが、笹村出なのではないかと思い入れた。
石垣島には牧場が広がっている。まるで北海道と見えてしまうような景色の場所がある。放牧されている牛が見える。以前より放牧牛が増えてきた気がする。牧場にいる牛は黒毛和牛だけだ。北海道なら黒い牛の放牧はないだろう。地元で製造されている牛乳が2種類あるから、乳牛もいることはいるのだろうがまだ見ていない。石垣牛のブランド化の中に、放牧ということが入れられているのだろうか。馬やヤギも時々見かける。水牛もいると聞いているがまだ見ていない。鶏は街中でも結構飼われている。自然卵養鶏会の人も何人かいると聞いているが、お会いしたことはない。ゆらてーく市場にそれらしい卵が出ている。家畜との距離が近いということは、人間の暮らしとして大切なことだと思う。野良猫もかなりいる。散歩していると、数匹には必ず出会う。あまりいじめられていないのか、人懐っこい。
石垣島の中央部には区画された牧場が広がっている。人区画が3,4反くらいだろうか。区画には境の柵がある。木の茂みや、石積みのこともある。この静かに広がる空間には引き込まれる。人の営みによってつくられる空間。この地平線の向こうが海になっている。背中側はバンナ岳なのだが、ここの斜面に上ると、突然海が広がる。高く昇れば上るほど海の幅が広がる。海から離れるのに海が近づいてくる。この感じがとても好きだ。なぜか地面の先に海が唐突にあり、空につながっている。写真というものでは、遠くの丘がただの灰色になっているが、この遠くの丘が特別に素晴らしいのだ。耕作地があり、下には田んぼと思われる区画もある。
枯れた草の色と緑の芽生えの牧草の色の対比。これがうねりになっている。写真ではそういうことは全く現れない。遠くの山などただの灰色なのだが、この遠くの山の複雑な変化こそこの風景にとって不可欠なことになる。そういう時に絵ではこの遠くにも焦点を向ける。そもそも目というものはそうなっていて、常に見ようとするところを中心にしてみている。この自在に風景を見ているために、写真的な視野と違うことになる。だから、風景を写真的視野で見ようという発想は、科学的な正解であるかもしれないが、私絵画としてには違う。正確にみるということが、実は主観的にみるという場合の方が多いい。左から4番目の絵がこの場所を描いたものだ。
小さな牛舎が点在している。小さな牧場。この様子も石垣ならではの畜産の姿だ。なんとなくこういう小屋も悪くないが、まだ描いたことはない。
この道は面白い。一度描いてみたいと思った。道の先が海なのだ。海に続く白い道。海のコバルトブルーに白い線が引かれる。冬でも熱のこもる緑の中を白い線が引かれる。まだまだ描いてみたいものが広がっている。