核ミサイル競争に突入か

   

トランプアメリカはついに核ミサイル競争まで始めようとしている。持てる者、強い者は何でもやれると思っているようだ。ヒットラーのように破滅への道を突き進むことになるだろう。アメリカという国は寛容の精神を持つ国に見えたこともあった。結局はお大尽の余裕だったのだろう。中国がアメリカを超えるかもしれないという不安でおかしくなっているのかもしれない。世界最強の国が力の論理を振り回す以上、暴力の嵐が世界を覆う事になるのも当然である。日本のようにアメリカに従うことになるか。アメリカと対抗して軍事力競争に入るかという事になる。どちらも、情けのない選択であるが、日に日に世界は悲惨な状況が近づいている。銃を握っていなければ、安心できない人間の選択は、必ずここに至る。アメリカ人全体がこれほどの野蛮人だとは思えないが、トランプは民主主義的選挙で選ばれた大統領であり、今でも強い支持者がいるようだ。日本でも似たような意識が若者の間に生まれている。

幸いというか、不幸というか、日本が軍事力競争に入ろうとしても到底無理である。アメリカをしのぐほどの武力を持つことは不可能である。なまじの軍事力ほど危険なものはない。だから日本の軍事力主義者でも、アメリカの奴隷を選択する。屈折した心情というか。若者たちがアベ政権を一番支持していると言われている。能力主義に敗れたものは、能力不足や努力不足というものをどのように考えるものなのだろうか。この先の若い人の生きる時代の能力競争は、90%以上が敗れる時代である。敗れた人生をどう生きるのだろうか。破れた原因を転化して生きるのだろうか。自分の人生の意味を競争ではない世界に見つける方向は生まれないのだろうか。インターネット情報世代である。インターネットで集めた情報によって、アベ政権がマシだと判断している。アベ政権は標語政治である。内容はともかく、地方再生。女性活躍社会。障碍者雇用。などと建前を叫ぶだけである。内容等あまり気にせずネットサーフィンをしていれば、そういう良さげな標語だけが頭をかすめて残ってゆく。地方再生など実態がないというようなややこしい批判までは気にも留めないのだろう。あべフェイクニュースが世論を作るという事になる。

その結果、自衛隊員の子供たちが可愛そうではないか。などというはぐらかした標語で、憲法は改定すべきという単純な結論に至る事になる。もう一歩踏み込んで考えてもらうにはどうすればいいのだろう。自衛隊が災害救助隊になれば、救助隊の子供たちは誇りを持てる。核ミサイル競争が始まる中、日本の安全保障をどうするかである。ミサイル基地を建設して、ミサイルを一定持つべきという事になるにか。中距離ミサイルを持つという事は、敵基地攻撃が可能になり、従来の自衛隊の武力圃範囲を超えることになる。近隣諸国へ実際的脅威になるという事だ。これが抑止力になるとは到底思えない。日本だけが世界の希望だと考えるべきだ。日本国憲法の平和主義は世界の希望なのだ。中途半端なミサイル保持ほど危険を増す者はない。北朝鮮を考えて、比較してみることだ。核ミサイル競争を続ければ、世界は崩壊する。経済が弱肉強食になれば、世界は崩壊する。今トランプが進もうとする道は、世界が崩壊する道なのだ。アメリカだけは生き残れると思ったら大間違いだ。すべての国がアメリカに従うはずもない。必ず、アメリカは反撃を受け、互いに崩壊の道に進むほかないのだ。

平和主義は力がないと見える。確かにその通りだ。然し中途半端な軍事力よりもましだ。鉄砲に竹やりで戦う事が一番危険だ。むしろ攻撃しないことの表示の方が安全である。互いに繁栄できる道は必ずある。相手を搾取しなくとも互いに豊かになりうる道はある。相手をつぶして自分だけ恩恵を受けようという道が間違いである。自由貿易の理念をもう一度日本は主張すべきであろう。軍事力競争などしなくとも、互いに武力を捨てる道はある。相手が悪い奴だから、自分も対抗するという考え方は最後には自分も破滅する道なのだ。相手の問題をあげつらうより、相手の良さを見つける方が良いに決まっている。互いに生きて行ければそれでいい。別段外国に勝利しなくとも大丈夫だ。日本が高い文化を創造すれば、充分に尊厳を保てる。今年も日本人にはノーベル賞を受賞した方がいる。もうそれだけでも日本は価値がある国だ。ミサイル競争等に加わらなくとも、尊敬される国だ。

 

 

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