北海道水彩人展

   

描いてきた7枚の絵

北海道鹿追町にある神田日照美術館で水彩人展が開催されている。その準備を兼ねて北海道に行ってきた。水彩人ではグループが出来た頃から展覧会を行う事と、講習会を行う事を同時に行ってきた。それは今の社会における、絵画の意味が、出来た作品の意味より、それを描くという作者自身の行為が重要になっていると考えてきた所にある。絵画作品が社会的には、後期印象派以降の自己表現的な芸術の意味を失い、商品としての存在がよりどころになっている状態。その事は以前にも何度も書いた事なので、ここでは深入りしない。ともかく、絵を描くと言う事が、それぞれの生き方にどのようなものであるかという事に、比重が移ってきているのではないかと考えてきた。だから、何故そのような絵描くのかという事の自問が、一人ひとりの絵の世界を作り上げているのではないか。いわば趣味の世界と言われるような絵の描き方が、実はそれそれの生き方の重要なものになっているのではないか。

少なくとも、私個人は水彩人を作るよりはるか以前から、そのように考え、水彩連盟展の中でも、講習会の担当を長く続けた。そうした、制作を通して切磋琢磨して行く環境を作り出したいと言う思いが、水彩人展という絵画グループになった。それから17年がもうたってしまった。水彩人も年々仲間が増え、公募展的な組織になった。北海道には、山平さん、金田さん夫妻、小谷さんと4人の仲間がいて、今回この講習会を準備してくれた。昨日のブログでは、タブレットから撮った写真を、その場でアップした。上手く文章が書けなかったので、今日改めて、様子を書いておこうと思う。水彩人の講習会は、芽室町の新嵐山荘という国民宿舎で行った。とても整った施設で、北海道の公共施設はいつも素晴らしいと思う。周辺に小川と湿地があり、背後にはスキー場になっている。その山頂は展望台になっていて、その眺望は他にはない雄大なものである。

一日目は、湿地を描いた。15人位である。関東の水彩人としては5人が参加した。地元から10数人がいた。共に制作すると言う事は、一人で描く時とは違う事になる。お互いのエネルギーが高まってゆく。絵は一人で描くのだから、何も違わないようだが、普通に考えれば、互いが気になり描きにくい事になる。所が、私の場合はいつも描けないような、興味深い絵になる。だから、講習会をやる事になる。違う自分に対面できるのだ。一人の時とは心理が違うから、当然のことかもしれない。そのときの見ている心境を描いているような制作だから、そうなるのだろう。寒い地方の春はある瞬間に来ると言うが、まさにそういう一日で描いている内に花がどんどん開いてゆくという、貴重な瞬間に遭遇した。目を上げると突然彼気が新緑に変わっているというような事が起きた。奇跡の様な時間を過ごした。その事を雪解け水を描きながら描いた。

2日目は、展望台に登って、剣山を描いた。広がる、芽室の広大な農地を描いた。何しろ31度という日本一暑い日である。4月にこのような事が起こる事はかつてなかったようだ。一日描く内に緑が濃くなってゆくという不思議な日を描いた。畑がトラックタ―で耕され色が変わってゆく。皆さん一心に描いていた。良い絵を描くと言う事より、今自分が見ている目の前の風景と、見ているという自分という存在の関係をたどっていた。3日目は然別湖。ここで、神田日照記念美術館の菅館長と交流した。然別湖はまだ凍りついた湖である。この氷の湖を描いたが、これは自分には合わなかった。つまり畑がない。命が産まれてくる感じがしない。自分が反応できるものがなかった。むしろ、自分が描来たくなる物が畑だと言う事は、そのものが産まれてくるという感じが好きだからだ。春に命が芽生えてくる。この息吹を感じて描こうとしたようだ。そういう絵になっているかどうか。

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