金沢大美術部の同窓会

   

北信の山 中盤全紙 山と里の関係を描くのが面白くなってきた。

金沢に行って来た。このところ、2年に一回金沢大学の70年前後の美術部の人間で集まる。今年は21人だった。ほとんど参加している。自分の存在確認の様なものだろうと思っている。今やっていることは、金沢のあの4年間から始まった。今の毎日の気持ちが、あのときの笠舞町の下宿で朝起きた時の気分のままに続いている。さあ、目が覚めたぞ、今日はさて何をするか。下宿で起き出したと勘違いしている時がある位、何も変わらない。あのときから、1日、1日を引き続きでやっている。小学校の時から絵を描くと言うことは意識していた。美術展に出すという様なこともやっていた。中学の時には芸大に行くつもりで、美術部で描いていた。そして、金沢で初めて、絵を描くと言うことを自分の生涯をかけて突き詰めてみようと考えた。そう考えるようになった大きな要因は、あの美術部の激流の渦巻の中で、もがいて浮かび上がりながら思い始めたことだ。県体育館の裏の馬小屋で絵を描きながら、絵を描くと言うことを自問自答しながら、今朝になった。

Nさんと言う美術部仲間が静岡にいる。静岡駅まで新幹線で行って、そこからは車に乗せてもらって金沢までいった。行き帰り、今やっていることを互いに話したのだが、彼は理学部の人で、勉強をしないでも成績が抜群と言う人だった。学生の頃から、小説を書いたり、演劇をやってきた。今も劇団を主催者として続けている。パチンコが好きで、パチンコに費やした時間と、稼いだお金の記録を、学生の頃から今に至るまで続けているというのだ。データー化して時給の変化をはじき出している。それが今は一番の収入だそうだ。だから、世間的にいえばパチプロと言うことか。不思議な人生ではあるが、当時の美術部の中では常識的な雰囲気の人である。生き方は全く常識的ではないのだが、一見、一番普通である。今は芝犬を飼っていて、これにも結構凝っているようだ。演劇と、芝犬と、パチンコと、どう繋がっているのか摩訶不思議であるが、彼には奥さんもいれば、成人した2人の子供も近所に家庭を持って暮らしているそうだ。劇団をやっているので、脚本の様な人生に成るのかもしれない。帰りの車ではみんなの人間観察結果を述べていたが、それはさすが演出の専門家だった。ということは、自分を自分で演出している生き方。

車の窓からは、ちょうど稲刈りの景色が見えた。今年も倒れている。この稲の倒れた田んぼの姿と言うのは、今一つ落ち着かない。いくら良いコンバインがあるからと言って、倒すのは恥の様な気になる。それの方が多く取れると言うらしいが、コシヒカリばかり作っているせいもあるだろう。それにしても取れ秋のこの時期の田んぼの半分は、稲を作っていないように見える。黄金色に輝く田んぼがエンえんと連なるというような景色は、もうない。津端と砺波に広く田んぼをやっている友人がいる。彼らは、学生の時も田んぼをやりながら大学に来ていた。稲刈りを終わらなければ学校に来れなかった。今年は日照不足だったけれど、充分にできたのだろうか。しかし、車から見た所では、どこの田んぼも良く出来ている。化学肥料は日照不足を補うことができる。自然を化学が補う農業。異常気象に自然農業は弱い。

自分は少し変わり始めているかもしれない。そういうことを皆んなに会って思った。歳を取って変化してきたと言うこともある。歳を取って頑固に成る人もいれば、歳を取って角の取れる人もいる。自分では分らないがどうだろう。金沢での私は、たぶん地を出している。素を出している。養鶏を止めたということを話して居ても、いつもの説明とは違うことをしゃべっていた。どれも嘘を言っている訳ではないのだが、しゃべっている内に自分の本音の様なものが、みんなによって、むき出てくるということがある。弁解が要らないからだと思う。普段の暮らしは言い訳出来ない気分の物なのかもしれない。仲間の一人に有名な病院の病院長に成ったSさんと言う人がいる。彼も毎回来る。学生の頃のように、飲んで大騒ぎして川に落ちたことまである。今度退職するそうだ。退職記念に絵を欲しいと言ってくれたので、必ず送ると約束をして別れた。

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