女性宮家とは
皇室に男の子が一人しかいないため、「女性宮家」が検討されようとしている。女性皇族が結婚後も皇族にとどまり、数を維持しようというものだ。宮家創設はよした方がいい。藤村官房長官の発言では「国民各層の議論を十分踏まえて検討したい」と言うことである。皇家と言うものの意味は、歴史的に、特に文化形成の上で重要な存在だ。憲法における皇室とは別物に考えている。天皇家と言うものは日本の伝統文化の象徴であり、大切にすべきものと考えている。それは稲作を行うということをたどると、天皇家の存在が見えてくるからである。もちろん無数の庶民の存在こそ重要ではあるが、それを司り束ねる、存在として天皇家と言うものはとても重要な位置にあった。水田と言うものが日本人の宗教心の根底にある。水土の管理者、許可権者と言うように見ればいいのだろうか。水を田に引く為には、技術や権力が必要である。日本の古代ここに大きな影響を持つ存在が、天皇家であると考えている。今も宮中に残る儀式の中には、稲作にかかわるものが多々あると聞いている。
女性宮家は伝統的存在としての天皇家を崩壊させることになる。明治以降の天皇のあり方が特殊で、不自然なものだった。江戸時代の皇室のあり方は、とても良い知恵があると思う。権力にはかかわらず、文化を持って尊重される存在。現在もそれに近い形ではある。文化と言うものの持つ力は常に危ういものである。この危うさがあるからこそ尊いものである。天皇家が尊いのでなく、天皇家の周辺に存在する日本文化の伝統が尊いのである。天皇家はそのことを良く自覚し、守り続けていると思う。今後も守り続けてもらいたいものだと思う。その為には、女性宮家の存在はとても危険だと考えている。宮家とする代わりに、天皇家としての文化的存在価値を高める、一族としての立場、地位を創出する。それは宮家でなく、むしろ一般人との中間的な存在としてこそ、力を発揮できる可能性がある。いわば準宮家のようなものか。そこに、文化的力量があるのなら、社会は尊ぶことになる。身分としての保証はむしろ、足かせになりこれから先、日本文化を存続するよすがになるかどうか危ういことになるだろう。
日本鶏を飼育してきた。一つの日本文化である。しかし、今の社会では飼育はすでに困難である。鳴き声を愛でるのでなく、騒音としてしか聞こえなくなっている。鷄犬互鳴吠す桃源郷が変わってしまった。飼育者は激減している。唯一闘鶏の軍鶏位が残っている状態である。尾長鶏はトキと同じ特別天然記念物である。動物園が保存するのか。指定の県畜産試験場が保存するのか。大学などの研究機関が行うのか。多分こうした伝統的なものの多くは、存在根拠を失い、風前のともしびに成っている。消えてしまったものもあるに違いない。日本鶏にまつわる農耕文化そのものが否定されている。そうした稲作に基づく日本の水土文化全体を司るものとしての天皇家。天皇家でなければ、田んぼも日本鶏の維持も不可能になっている。雅楽と神楽とアジア。日本文化の維持。和歌の世界。等しく天皇家の文化的役割は大きい。文を持って尊敬を受け、司る。
天皇の定年制も話題になっている。これも避けた方がいい。昭和天皇の晩年退位が言われたが、最後まで天皇をやり遂げた。それは天皇という役割は、文化であって仕事ではないということである。業務であるから天皇職に就くと言うような形は、ふさわしくない。いてくれることで意味を持つような存在でなければ意味が無い。これはとてもいわく言いがたく難しい。制度で業務の用にすれば簡単であろうが、それならば廃止した方がいい。天皇家は利用されてはならない。又利用してはならない。その為にも、女性宮家や、定年制は避けた方がいい。天皇に変わり国事行為を行う。女性相撲が神事としては不似合いのように、天皇家と言うものの意味は、伝統に則っているから故である。その時の都合で変えてしまえば、その意味まで変わる。止むえない場合は、女性を皇族予備軍の形に位置付けるしかないだろう。いずれにしても、今の立場は政治的意味合いもあり重すぎる存在である。