自然農法の種子
松本にある、自然農法国際研究開発センターから2012年度の品種カタログが送られてきた。「自然農法」別冊と言うことである。これが薄い冊子であるが、実に内容が濃いものである。自給農業で「トマト」「きゅうり」をやってみようと言う人は、一読の価値がある。多分種の購入を希望すれば貰えるものではないのだろうか。品種カタログとある。この研究所の研究員である石渡さんから直接指導をしてもらったことがあるが、土壌のイメージが明確で植物と土壌の関係がとても参考になった。多分その石渡さんが書かれている部分もあるのではないかと思うのだが、A41ページ程度にまとめられた、トマト栽培が実に分かりやすい。完全に栽培を把握している人以外、まとめられない内容だと思う。よしやってみるぞと言う気になる。「苗半作から8分作」と書かれているが、苗作り中心にやっているものとしては、心当たりだけはある。
苗作りが重要な原因が書かれている。「キュウリ、トマトのように、生育後半に成って収穫する野菜ほど、若いころの素質の形成が重要。根が張りやすい環境を整える。」とある。これはあらゆる生物を考える上での基本的な思想ではないだろうか。たぶん、自然と言うものを認識する思想が重要なのだと思う。資質を作るのは苗の段階である。自然と言うものを把握する思考法の重要さ。農業の素晴らしいことは、その思想が常に検証されるということ。収穫と言う結果が出ていない農法は評価ができない。永続性のない農法も評価ができない。様々な農法が言われるが、5年やって納得ゆく結果の出ていない農法は、自然と言うものの見方が間違っているからである。私のような大雑把で、適当なことしか出来ないレベルの人間であっても、自然の見方さえ間違っていなければ、一定のレベルの結果は出てくる。トマトであれば、10段どりと思っている。出来ないのは、自然の見方が間違っているからと考えた方がいい。
農業の面白い所は、この思想の確認を日々の結果と照らし合わせながらできる所である。自然農法では確かに結果を出しているし、農場は公開されているし、松本市波田町まで行ってみる価値はある。一つ気になる点は、糞尿を不浄のものとして、田畑に入れないという考え方である。糞尿が不浄な訳がないし、循環の重要な資材と捉えなければ、永続性がない。そう考えて、自給農業には鶏を飼い、その床で堆肥を作り、堆肥を畑に入れる循環を考えた。当然のことながら、自分の糞尿も本来なら、畑に入れて行きたいと考えている。自己変革と成長して行く指針が、作物と言う姿で目の前にあるという農業の面白さ。考え方は正しいのだが、努力不足とか勤勉でない性格とかがいい訳になるが、実はそれが思想と行動を統一させる修行である。努力出来ないのなら、努力のいらない農法を編み出せばいい。
この種子カタログには自家採取のすすめも書かれている。これがまた、要点が押さえられている。トマト、ナス、キュウリ、インゲン、かぼちゃ、稲、小麦かなりのものが出来ると書かれている。とくに、キュウリ、トマト、カボチャは写真入りで方法が書かれている。種は頒布するが、できれば自分で採ることです。こういう種子カタログ。種子がまともでなければ、有機農業による農業は出来ない。その種子が売られていないのなら、生産しようと言う粘り強い努力の結果である。「根張りの良い種」を目指した思想に基づく意味深い種子である。笹鶏の作出に失敗したのは、残念なことに私の思想の弱さである。独善で孤立したことである。今はそれも仕方のないこととして受け入れた。細々と続ける以外にない。