果樹畑
果樹園があるところは5畝位の平ら地である。その中に栗2本。みかん3本。イチジク3本。プラム3本。なし2本。ブルーベリー2本。が植えられている。木の間隔は5メートル程度である。一段上の斜面には枇杷が9本ある。果樹はそのほか桃、梅、キウイ、ブドウが離れてある。日当たりの良い南向きひな壇で風が抜けないような、課もまれた状態にしてきたので、条件はいい場所だと思う。大根が作られていた畑だったと言う話だ。その後、たぶん、50年くらい前にみかんが植えられた。そのミカンも20年くらい前には放棄され、竹藪になったようだ。竹藪を片づけていて、その痕跡が、みかんの古い切株とか、石積みとかが見つかった。いずれ、大根の前はと考えれば、麦や野菜が400年は作られていた場所に違いない。ついほう放射能の話になるが、土壌濃度は計っていないが周辺の測定から、50から100ベクレルの間だと考えられる。
この消滅した感じは、生産者以外には分かりにくいものだと思う。自分の生きる価値が消えていった感じだ。仕事は土づくりだと考えていた。生きて死ぬ間、大したことは出来ないがせめて土を良くすることはしたい。そういう無意味なような一念で開墾し、耕作してきた。生涯を土づくりにかけて、尊敬してやまない、田村さん、大川さん。山下さん。諸先輩から学んだことである。そうした日本人の大切な心根が積みあげてきた、日本の農地を一瞬にして、汚してしまった。今後何世代にもわたり、この悪条件を背負わなければならない。日本の農産物の国際競争力の夢は一瞬にして吹き飛んだ。しかし、半年を過ぎやっともう一度土づくりからと言う気になっている。作物の移行計数からして、根から作物が吸収することは、よほどのことでない限りない。
現代農業の11月号には移行計数の事が書かれているが。0.00幾つの世界である。たとえ土壌に100ベクレルあったとしても1ベクレル以下の話である。1000ベクレル程度までは耕作するうえで気にすることはない。これは土壌からの吸収の話である。だから実際に一番計られているお米でも不検出が続いている。それは20ベクレル以下測定しない為と言われている。しかし、1000ベクレル以上の土壌で不検出なら、100以下の土壌なら、2ベクレル以下の不検出になっているということは類推できる。果樹や樹木に降り注いだものはまた別である。これは樹木にかなりの量吸収されている。お茶のように新芽にそのセシュウムが濃縮される。これはみかんや、びわのような常緑果樹では、案外に濃縮されていない。私が喜んで食べる100ベクレル以下のものしかない。
いまやこんなことを書くと不安な人を激怒させることになる。しかし、折り合って生きるしかないのは、放射能に限らない。放射能は化学物質なのだから科学的に考える以外にない。悪魔の仕業ではあるが、魔術がかかっている訳ではない。論理的に考えることが良い。果樹の下に蒔いた、鶏の緑餌の事を書こうとしたのだった。日に日に生育している。これを見ていると、又やって行けそうな気になってくる。やはり作物は希望だ。再生である。やはり、自給だ。自分の作ったものを食べて生きる。この原点に立って考える。ここからやり直す以外に日本の未来はないだろう。菜花とカラシナと小松菜と蒔いてあるが、どれが一番合って居るだろうか。果樹の下の5畝で100羽の鶏の緑餌は賄える計算である。