頭山とマスデバリア
頭山である。生えているのは桜である。花見とまでは行かない。
マスデバリアである。こちらは見事に開花である。
昨年植木鉢作りから行った、盆栽の栽培の結果報告である。なかなか鉢と植物の折り合いが良くなってきたと思う。マスデバリアは暑さにとても弱いラン科植物である。コロンビアの高山のような所に自生している。ギアナ高地を想像すればと思っている。想像である。想像しているだけの方が良い様な、想像を絶するところであろう。そう言うところに、こんな花がひっそりと咲いている。その特徴を推測しながら作った植木鉢である。この花は、交配種であるので、だいぶ丈夫なものに成っている。なかには、水道水では育たないとか、栽培がとても難しい蘭である。鶏でも、犬でも、金魚でも、洋ランでも、難しいものほど魅力があるということが、不思議に共通している。私が植物をある程度見られるようになったのは、蘭を栽培した経験からである。東京で暮らしていた頃のビルのベランダ温室である。
中国ではよくあるのだが、ベランダを窓で覆ってしまい、幅半間の長さが2間半。南向きのビルの6階であった。ここを3段にして、ここを密林にしてランを栽培した。湿気が部屋の方にまで充満していて、そこに暮らしていた。絵を描いていた。都会の中の密林に逃げ込んでいた。その狭い温室で、その頃先端の交配であった、フラグミペデュラムの交配播種、育成までしたのである。山北に越した当座は、蘭栽培に相当力を入れていた。山の中に暮らしていてまで栽培する必要が無かったことが、だんだんに分かり、止めてしまった。だから、このマスデは久しぶりのラン栽培である。スーパーで売っていたものだから、正式な名前も分からない。マスデがスーパーで売られているというのも、変わったものだ。丈夫なものになったということだろう。
ストロベリーポットに成っている。マスデが植え込まれるのだから、中南米のイメージと縄文のイメージがごっちゃになっている。ポケットごとに一株づつ植えてある。根が鉢に張り付いてきてくれればいいのだが、まだそうはなっていない。中が空洞に成っていて、水を入れると染み出て来る。今はちょうど良い浸み具合に成っていて、一日に5センチくらいの水位減少である。当初は15センチくらい減少した。できればこういう形の鉢で、壺のようなものを作ってみたい。鉢の周りにいくつかのポケットがあって、そこに、パフィオペデュラムのデレナティーを植えてみたい。その壺はベトナム風であってほしい。黒い瓦のような色で、シンプルなホルム。しかし瞑想的な雰囲気をたたえている。とすると丸いよりも角鉢でポケットも四角いものが相応しい。できればそこに布をからませておく。布は不織布を更紗風に染めたものが良い。
そう言うものを作る時間は来るのだろうか。ちょろリさんが小田原を離れてから、焼き物から少し距離が出来てしまった。実は今ちょろリの兼藤さんは名古屋で展覧会を開催している。行ってみたいのだが、これもなかなか難しい。それでもう一つ思い出した。宇宙が内側にある器を作る予定だった。中から光が溢れだして、壁に模様を描くのだが、その照明器具が器に成っていて、空けると容器の内側に宇宙のイメージが広がっている。外は焼き締のようなできる限り何気ない調子である。そして、内側は深いブルーを基調にした、絵模様がある。あたま山を忘れていた。このシュールなイメージも鉢に風格が出てきて収まってきた。自然の味というものは、なかなかのもである。思わぬところに沁み出てきた模様が良い。そう言えば、まだ兼藤さんの置き土産の粘土がある。一人で作ってみるのも悪くはない。