小田原市片浦中学校

   

廃校になった片浦中学校に行った。吉田俊道氏の講演会があるというお誘いが、6本も来たので行ってみることにした。ご当人が農業界の綾小路君麻呂と自称されている位で、まさに漫談食育講演であった。演目は――生ごみ先生の食育セミナー「お腹畑の土作りで子どもの心と体が変わった!」ということだった。内容的には色々疑問点もあるのだが、漫談としてなら、それも良いかということになる。正直、話が大雑把過ぎて、すべてが善悪の2分法だから、笑って済ませていいものかどうか。講演活動では全国で引っ張りだこだそうだ。子供たちの授業でもこういう話をしているとすると、真に受けてしまうだろう子供たちのことを思うと少し不安もある。例えば「普通の野菜を食べていると、人間が駄目になってしまう。」こう言いきってしまう。農家はつらい。「外食は身体に悪い」こう言いきってしまう。そうした側面があるのは同感であるが、努力をしている外食産業の人には、つらい話である。

言い切るから話が面白くなるのだが、食べ物はすべては相対的なもので複雑系である。「美味しいものは正しい。」こうも言いきる。味というものを私は信頼していない。皮肉に考えれば、美味しいものこそ身体に悪いということの方が世間の常識である。「有機野菜だから美味しい。それは一口目では分からないでも、3口食べれば分かる。」何だかななぁーと感じてしまう。自分がそう思うにしても、絶対的な真実として子供たちに伝えていいものかどうか。話の大筋は共感するだけに不安が膨らむ。幼稚園の子供が堆肥の山に手を合わせる姿。どうだろうか。臭い堆肥は悪い堆肥。すべてがそうとは言えないと思っている。確かに単純な図式にすればその通りであるのだが、それだけではない。だから実際の農業は簡単ではないことになる。良い発酵には独特の臭いがある。20年以上毎日鶏の餌や、鶏小屋の床の発酵を続けてきて、感ずるものがある。土壌を育む良い堆肥の発酵とは何か、そう単純に言えることではない。

片浦に出掛けたのは、もう一つ目的があった。片浦にはそれは素晴らしいみかん園が続いている。しかし、後継者不足で困難な農園もある。小田原の農業を考えた時には、急傾斜地のの農業をどうするかは外せないところでもある。あの素晴らしい景観を生かして素晴らしい農業が出来そうに思う。都会から人を呼び寄せる農業があるはずだ。片浦の中学校の上には、県の農業試験場がある。湘南ゴールドを作出した試験場である。まずその木の姿を見たかった。それは美しいさわやかな黄色に輝いている。またこの試験場には、沢山の古いみかんの原木が保存されている。小みかんの原木が保存されている。これを見て見たかった。相模柑子というらしい。試験場には古い時代のみかんがいろいろあって、90年も前にこの地域で作られていたという、皮の厚く硬いみかんもあった。この地域の特徴を生かした果樹栽培のことをいろいろ考えて見る材料がある。

元片浦中学は、ずいぶん立派なものである。利用法は決まっているのだろうか。様子ではすでに使い始めているようだが、良い使い方が出来ているのだろうか。地域の可能性を広げるようなものに成っているのだろうか。それは地域の問題なのだろうが、気に成るところである。すぐ上にある、県の試験場などとも連携して、農業体験施設の核にするのはどうだろうか。校庭の一角に圃場を作り、試験栽培を行うなど、縫う業分野でならやれることは幾らでもある。就農準備校の開設。施設はそのまま使えるのだから、そういう企画を民間で開設できないものだろうか。東京からの距離を考えても絶好の位置にある。

 - 地域