いきごみフェスティバル2010
昨日、生ごみフェスティバルが開催された。久野のフラワーガーデンである。2か月前に配布されたキャベツとブロッコリーの苗をみんなで持ちよりコンクールを行った。皆さんの出来が素晴らしく。私のキャベツもブロッコリーも、見事にうれしい落選であった。上位三番までは加藤市長から表彰状をいただいた。生ごみ堆肥がいかに優秀なものかが、確認できた。参加賞は50用意されたのだが、すっかり無くなり、私と代表の笠原さんは後日役所にもらいに行くということになった。皆さんの出品作と私のところのものが、違っていた点は2つあった。一番虫に食べられていたこと。いかに手抜き栽培であることが明白になった。青虫は良く見てとること、講評で言われてしまった。肥料が効き過ぎで、虫を呼んだということもある。畑に置いたのがいけないのか。
しかし、自慢できることは、自慢ではないか。すでに球が出来ていることだ。葉っぱも明らかに寒さにやられ、糖がたまったように赤くなっている。早く劣化が近付いているのか。大きな球にはならないか。多分舟原が、小田原では寒いのである。実は畑に植えた方は、そろそろ食べられるほどの大きさになっている。寒さにも強い。虫もさして食べていない。プランターで育てることがいかに難しいかである。参加者の皆さんが丹精込めて育てられたことに、感銘を受けた。こうした多くの人の思いがこもってきたのことが、小田原意気込みプロジェクトの画期的なことだ。この不可能とも思われた企画が、いよいよ成功するように感じられて来た。花を配り育ててもらう。野菜苗を配り育ててもらう。こういうことが小田原全体に広がれば、街の空気も変わってくる。川口市では堆肥を作り、花と交換してもらうという活動がある。小田原方式では、自分で作ったたい肥で、自分で花を育ててもらおうという、一歩前進だと思う。
とにかく財政の厳しい中、予算を使わず、何が出来るのかである。行政にやってもらうのでなく、自分たちに何が出来るのか。市民がそのように変わらない限り、良い町にはならない。「生ごみクラブ」もまだまだ小さなものである。生ごみプロジェクトもまだ軌道に乗ったとは言えない。しかし、この小さな炎を育てて行く、地道な努力以外町が変わるということはない。行政と市民協働という理念はある。しかし、現実には行政批判、行政がいけないから町は良くならない。この声ばかりである。この姿も実のことろ、行政依存の体質である。自分には何が出来るか。そこから以外何も変わらない。しかし、一人ひとりが変われば、すべては変わらざる得ない。ごみはその良いきっかけになっている。理念だけでは「花」は育たない。自分の出す生ごみで「花」を育てられる人が、新しい小田原の町を作って行く人である。
そう確信が持てたのは、昨日のグループでの話し合いだ。皆さんの意識がきわめて高い。私自身、学ぶことが多かった。すごい人がたくさんいる。段ボールの中は20度で続いているが、毎日300グラムから、500グラム入れ続けている。一度温度を上げて見たが、上げなくても問題はない。管理を完全に自分のものにしていた。その方の話から、家でも同じに20度で続けているが、そこに魚を入れたらば、すごい臭いになったという方がいた。さらに他の方から、常に30度移住で管理していれば、魚を入れても臭いは出ないと言われた。なるほど。その通りである。微生物が違うのではないかという話に発展した。まさに徳は無尽蔵である。人間力が発揮されている。それぞれの知性、感性が、生ごみ堆肥に反映されている。生ごみをごみ袋に入れて、ごみの日に出してしまえば、それまでだったことが、こうして多くの発見につながっている。何が何でもこのプロジェクトを成功させたい。12月5日には堆肥研究の第一人者の藤原俊六郎先生に来ていただき「段ボールコンポストの中で、何が起きているか。」の講演会を開催する。