足柄幹線林道のごみ拾い

   

3月14日(日)10時から12時足柄幹線林道の清掃活動がある。

小田原から直接箱根宮城野に上る自動車道がある。足柄幹線林道と呼ばれている。林道と呼ばれているが、林道利用は1%あるかないかだろう。通勤と1号線の渋滞時の迂回路として利用されている。箱根に小田原からどういう人が通勤するのだろうと思うが、案外にいるものである。公務員、旅館関係者。一度コンパニオンと言う人が、飯田岡から箱根に通勤していて、白山中学出身だと言う事だった。車の流れを見ていると、箱根から、小田原に通勤する人は少ないようだ。
先日、欠ノ上の伐採を手伝ってくれた「森の仲間」から、足柄幹線林道のごみが目立つ。箱根側は清掃活動があるので、きれいになっているのだが、小田原に入ると急にごみが増える感じがするので、一度掃除をしたいのだけど。と言う話があった。道のごみというやつは、増えだすと加速度的に増えだして、いつの間にか、ゴミ捨て場が出来てしまう。協力させてもらうので、是否やりたいと、話していた。

ごみを捨てるのは、観光客が中心である。こんな事を断定すれば、怒る人もいるかもしれないが、旅の恥はかき捨て。と言うぐらいだ。車で遊びに来る人が、缶コーヒーを飲んでそのまま投げて帰る。わざわざ、車を止めて、灰皿のタバコの吸殻を捨ててゆく人もいる。もちろん林道に電化製品を放棄するものも居ないではないが、これをやられるのは少し道筋が違う。もう少し通行量の少ない横路になる。幹線林道を上りきった所に突き出した半島のような峰がある。ここが駒ケ岳を描くなかなかの場所である。中川一政画伯の駒ケ岳の反対から見たものである。火山としての姿はこちらの小田原側の方が良い。箱根駅伝の中継もここにカメラが据えられたこともあった。しかし、車が入るものでゴミ箱と化した。車止めが付けられた。絵が描きにくくなったのには困ったが、あれからごみはない。

小田原の魅力といえば、海川山と合言葉のような、総合性である。和留沢の集落は山村である。何しろ標高450メートルに暮らしている人がいる。小田原の街では、雪はちらついた程度である。和留沢では今も、そり遊びが出来る銀世界である。次の時代とても大切な財産になる。塔の峰の青少年の家はさらに上で、543メートルある。小田原の事業仕分けでは廃止と仕分けられたが、この施設の有効な使い方は、アイデアしだいだ。行政の今までの怠慢の方が、批判されるべきだ。民間から広く利用法を募集するべきだ。経費も削減できて、有効な利用法はいくらでも出てくるはずだ。臨海学校も、林間学校も、市内で出来るような恵まれた地域性を生かさない手はない。東京から日帰りも簡単に出来る。都会の教育グループと連携をとれば、冬は冬で有効な利用法がある。今回は林道掃除の後、森の交流会が青少年の家で予定されている。

林道掃除は久野の里地里山地域全体の問題である。田んぼの自然水路が3面張りのU字溝になってしまうのと同じで、管理する暮らしがなくなっているからだ。暮らしが地域の環境から距離ができる。竹薮がいくら汚れても、暮らしのほうには直接の影響はない。地域の環境を守る。と言う事が市民全体の役割になっている。しかし、その仕組みが見つからないまま、ボランティア頼みでは限界がある。ボランティアと呼ばれる存在が穴埋めしているのは、一時しのぎである。行政が直ぐボランティアを頼むのは、行政としての責任放棄だと思う。環境を守る事が収入にもつながる仕事として成立する必要がある。観光客の尻拭いを、奉仕精神で片付けるという、不思議な構図の固定化になる。

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