経済破綻は2009年後半が山場
格差が言われだした時、3分の1の労働者が派遣労働者で、いつでも職を失うような状況に、すでにあったことは、誰にも判っていたことだ。しかし、それを良しとして、あるいは仕方がないとして、追認してしまった社会であった。日本企業が世界での競争に勝つためが、最優先された。早く舵を切る必要があった。私のような、素人でもそのことは何度も指摘したことである。経済は破綻を始めた。この先の暮らしはどう変化するか。正月からあれこれ議論が目立つが、本当の痛みはまだ始まっていない。と言うのが私の見方である。今年の後半頃深刻な失業問題が起きているだろう。1949年生れの我々は幸運な世代であった。敗戦後の混乱も知らず、食糧不足も経験せず。働き盛りに職場は存在した。その経済の仕組みの背景に、人を踏みにじるようなことがあったのではあるが、ここまで歩んでしまった。その無意識は攻められる必要はあるが、せめてこれからの方向転換には、役割を持ちたいと思う。
やはり石は転げ落ちきるまで、止められないの例えどおりだ。結局は、グローバル経済の市場原理主義と競争社会の限界が来ている。例えば自立支援法は、税収の減少の中、一見当然のように見えるが、弱者に無理な自立を強制する結果になった。やり方が見出せない施設も多く、閉鎖に到るとこも多い。このやり方ではダメだと言う事は、だんだんに明白になってきた。では、どこを目指せばいいのか。このことが大いに国民的な議論に成らなくてはならない。スエーデン型の福祉社会などと言うのが出ているが、私は違うと思う。考え方は多様であることが予測されるが、方向の見定めの議論がないがしろにされてきた。金に成らない事はどうでも良い。これが最近の日本の無目的化の中で生まれた、金権主義である。日本の社会が始めて、国際間の熾烈な経済競争に巻き込まれた。競争に勝つためのトヨタ方式である。恩義とか、忠誠とか、儒教的な伝統的な雇用関係は、打算的な契約関係に移行せざる得ない。
日本人の多くにとって、ぬくぬくした便利生活が抜け出せずに、苦しいだけである。暖かい布団から出られないだけだ。原点に戻る。自分の原点に関わるのは、柳田國男の民俗学である。日本人の幸運はまだ日本の民俗文化が色濃く残っていた。大正昭和の初期にひとりの天才がその重要さに気付き。記録を丹念に残してくれたことだ。ほかの国では、例えばヨーロッパでは、すでにその前近代的な常民の暮らしが、ほとんど失われてから、民俗学の重要性に気付く。今の日本で民俗学を行うようなもので、私のようなものが、当然知っているような昔からの慣習が、学問を通して始めて気づくような形でしか、過去を辿ることが既に出来なくなっている。根幹となるものは米の事だ。稲作と言うものが、日本人の原点にあること。日本人の所作にまで強く影響を残していること。何故、本来作れなかった、東北地方にまで稲作が移動してゆくのか。日本人の信仰に、深く結びついていた。信仰だけでない、稲作中心の暮らしと言うものが、日本人の精神構造に、切っても切れない影響を与えている。
柳田國男が民俗学を起こしたのは、農務官僚として訪ずれた、椎葉村での貧しい農民のくらしが、喜びと安寧に満ちていることに驚愕したことから始まる。人間が先祖に見守られ、確信を持って生きることの喜び。物質的に満たされる前に、精神的に安定する大切だ。何の為に、何をするか。どう生きることが、自分の道であるかが確信できる日々。今失われた一番はこのことである。派遣社員という、言葉が意味するものは、まさにこれである。自分と言う存在が、労働力と言う価値でしか、存在できない、空虚さ。目的性のない日常。経営者という頭脳部分と、労働と言う肉体部分が切り離された社会。それが楽であると言う事で、むしろ若者が無目的の楽さを選択する社会。派遣切りと言う事は当然の成り行きで、問題はその前にあるどう生きるのが人間の幸せであるかと言うような、本質部分である。その意味では、この経済崩壊は自ずと生きると言う事と、直面させている。下手をすれば飢え死ぬ。この状況は悪い事だけではない。礼節を忘れるかもしれないが、今の日本人には必要な苦難であろう。