地域の回復

   

ピースカフェが目的にしてきた一つに、地域の暮らしからの平和がある。日々の暮らしの在り様が、安寧な平和なものであるか。明るく心豊かな日々が送れるか。そこに地域主義を見てきた。ただ、地域と言うものが、暮らしの上で強い繋がりを必要とした時代ではなくなっている。農業と言う暮らしの業は、小田原にはもうない。小田原の農家戸数2400とある資料にあった。「何かお間違いだろう、そんなに少ない訳がない」と、農家の事に詳しい地元の方に聞いたところの、答えであった。販売戸数1500戸、農業従事者平均年齢が66歳。これが実態かどうかはともかく、政府調査の実数のようだ。どの地域でもそうであるように、農業が中心であった時代の、地域の運営の形を踏襲している。道普請や、村山の管理等、共同作業が実生活と密接につながって存在した時代は過去。

現在かろうじて存在しているのが、消防団。私のように、50歳に近くなってこの地域に来た者には、声がかからなかった。30代の若い内に越してきた人の話では、消防団の仕事で越してきた当座、結構大変だったと言われていた。消防団はいわば青年団のような役割のようだ。私の家の西側の一部は、30年ぐらい前まではその青年団の家だったらしい。消防組織も市の境界を越え、合併が進んでいる。徐々に行政が担う方向に進まざる得ないのだろう。消防団員は火事の時には当然仕事を放り出して、駆けつける。そうした努力のお陰で、舟原では大正時代の火事を最後に、失火が起きていない。最後の火事は和留沢の山火事だそうだ。いずれにしても、地域の自治会が実質的役割がなくなり、行政の伝達役に成ってしまった。

後残るつながりは、子供だ。小学校の学区。これを地域の要に、と言う考えが出ている。久野小学校が出身校である。あるいは子供が通学した。こういう状態なら、まだいいが、私のように、久野小学校とは縁のない場合。どうも実感がない。まして地域に学校を開くと言う方針ではある、と聞くけれど、実態は交流は乏しい。以前かかわりを持とうとしたが、教員と言う立場の人は、地域に対し及び腰だ。忙しくてこれ以上無理だ、と言う事があるようだ。自然発生的に小学校と言う枠が、動き出す可能性はない。久野の連合自治会では「お茶飲み会」と言うのを提案している。舟原でもあったが、出れなかった。地域と言うものの繋がりが、ほとんど消えてきている中、この地理的関係だけで、自治会を維持するのは、意味を成さなくなり、折角の良いものにしようという努力が、成果を生みにくくなっている。

小田原の場合、地理的地域社会をむしろ、活動別地域社会に置き換えて考えたほうが良いのではないか。地域で公園を作る活動グループ。久野の里地里山を作るグループ。生ごみ剪定枝の堆肥化を推進するグループ。健康推進グループ。サッカーグループ。将棋グループ。草花グループ。田んぼグループ。今の自治会から抜けて、実労のある自治会的グループに所属することも可能にする。それで必要な連絡が来るようにする。ドンド焼きと、祭礼、葬儀。これが伝統的活動。実労グループには、行政的役割の強いグループも出来るだろう。これには費用も充分見る。形式的集まりを、思い切って減らすことが出来る。以前公民館長の仕事をしたが、意味のない行政の集会が何度もあり、本当にもったいない時間の浪費をした。形骸化したものをどう再生するか。これには、今あるものを潰すより、他の枠を併設してゆく。そして徐々に移行する。これがいいと思う。

昨日の自給作業:なし 累計時間5.5時間

 - 地域