外国人優遇のフェークニュース

      2025/07/14

 

参議院選挙のアピール合戦の中で、外国人優遇がおかしいという話が出てきている。外国人労働者は優遇どころか、搾取されている。参議院選挙で日本人ファーストをアピールしたい人たちが外国人が優遇されていると、排斥を主張している。何を根拠にこんなデマを言うのかと驚く。

日本にもトランプ主義が蔓延してきたのだ。人を攻撃することで、自己正当化する考え方だ。日本が停滞国であるのは、日本人が劣るためのはずがない。という歪んだ考え方に基づく。こうした根拠のない日本主義が戦前のようにまた広がり始めたことは、日本が経済的に追い込まれつつあるからだろう。

アメリカが貿易赤字なのは、アメリカに問題があるのではなく、アメリカを食い物にしている、外国に問題があるというのが、トランプ主義である。これがアメリカに蔓延して、世界に対して、一方的に関税戦争を始めた。日本は同盟国だったはずだが、批判すら出来ずに、もがき苦しむことになっている。

医療保険など外国人が恩恵だけを受けるために、赤字になり日本人が保険料を、外国人の医療費分まで払わなくなっているという主張である。日本に働きに来て、日本で病気になり、それを医療保険で対応する。当たり前すぎることだろう。それがおかしいというのであれば、外国人労働者に働いて貰うことは日本では出来ない。

私は日本人には、外国人を受け入れるだけの度量がないと考えて居る。日本人は狭い視野の中に位している。何かと悪いのは外国人だと人の性にしたがるところがある。日本に来てくれている外国人労働者の方々に申し訳ないことだ。多くの外国人労働者は、日本人が出来ないことを穴埋めてくれるために来てくれている。

外国人労働者を受け入れるだけの、許容度が日本人にはない。もし曖昧に、社会制度も整わないままに、外国人労働者を導入する以外に社会が維持できない。仕方が無いので、外国人労働者をなし崩し的に受け入れて行こうとするのは、大きな禍根を残す。政府の外国人労働者の導入の方針に問題があるのだ。

日本人が肉体労働を出来なくなっている。嫌うようになっていることが根本原因である。だんだん知能労働の方も、嫌うようになって外国人任せになるのかも。労働そのものを嫌い、不労所得に依存する日本人が増加している。倫理観を失ってきた日本人ほど情けないことはない。

私がフランスに留学した50年前、すでにフランス人は肉体労働を避けるようになっていた。あらゆる分野の肉体労働を、旧植民地からの移民がになっていた。その移民の人たちを差別して、暴力的に扱っていた。日本人もその差別される側にいた。つくづくそういう社会は嫌だと思えた。

50年経過して日本もそういう、まともには社会が成立しない、耐えがたい社会になった。肉体労働を嫌がる根底には一次産業に従事する人への差別がある。肉体労働者と頭能労働者というような、人間の分類の仕方の差別である。身体を使うしかないのは、知性が足りないからと言うような間違った考えになる。

そもそも肉体労働を軽んずる社会は、衰退してゆく社会である。健全な肉体労働こそ、評価されるべき価値観でなければならない。そこが、おかしくなってきている。その一番の原因は農業者がいなくなってきたからだ。ついこの前までの日本はほぼ農業者の国だった。

農業者の暮らしが日本人の大半の暮らしだった。武士階層はいわば役所勤めの管理であり、1割の人たちのことだった。それが産業革命以降の社会では、徐々に肉体労働は機械が変わり得る物と見られることになった。そして、商品社会が進むにつれて、直接に一次産品をっくる以上に、その周囲のことが重んじられて行く。

何を作るのか。商品を社会に必要なものに出来るか。どうやって売るのか。一次産業の原点から商品開発が徐々に離れて行く。そして入らないものまで、必要な物だと思い込まされ買わされて行く。使えるものが流行遅れとなり、捨てられて行く社会になる。大量消費、大量廃棄が必要とされる消費社会になる。

いわば労働も消費物になり、消耗されて行く。肉体で働くと言うこと自体の、倫理的な価値が失われて行く。働く肉体が尊重されない社会となり、日本人の肉体が弱ってきた。76歳になる私より、農作業で働けない肉体の若者の方が多い現状である。私など昔であれば、まともに働けない人間と見られてきたにもかかわらず。

江戸時代の女性は一日苗取りから田植まで1反出来たという。男であれば、1反の田起こしが出来たという。その起こした田んぼの深さが、その男の評価だったという。もちろんそんなに働くのは一年に何日もなかったことだろうが、私の5倍の体力があったのだ。それが男でも女でも一人前の百姓だった。

100年前の日本人のことである。先進国と呼ばれる国から、肉体労働で働ける人間は居なくなり始めている。アメリカは外国人労働者を悪者に仕立てているが、アメリカの鉄道を引いた労働者は中国人である。世界中から労働者が集まり、アメリカという国を作ったのだ。すっかりその恩恵を忘れている。

日本では参政党とか、保守党は外国人労働者を攻撃している。日本人ファーストだそうだ。あえてそんなことを言わないでいても、日本から外国人労働者が去る時代は遠くない。日本人だけになり、誰がお前さまを養護施設で面倒を見てくれるというのだ。そんな有り難い、尊敬すべき日本人はもういなくなるのだ。

泣いても笑っても、もう日本の衰退はそこまで来ている。日本人が、むしろ海外に働きに行くほかないという時代が近づいている。そのときに日本人は身体が弱いから使えないと言われることだろう。日本の保守勢力も世界情勢が変わってきていることに、気づく必要がある。

先日台湾の嘉義から海の方に行った田舎町でバス時間で困った。グーグル検索で、確かにバスがあるとでているので、そのバス停に歩いて歩いてたどり着いた。ところが何と、そのバス停にある時刻表をよくよく見ると、日曜日にはその路線はないとあるではないか。平日のみなのだ。結構こう言う間違いはグーグル検索にはあった。

そこで同じバス停で立っていた若い人に、グーグル翻訳で質問した。そうしたら何と英語で頼むというのだ。フィリピンから働きに来ている青年だったのだ。バスは待っても来ないし、台湾へ来ているフィリピン人の話を聞かせて貰った。嘉義のかなり田舎の村なのだ。こういうところに工場があり、そこにはフィリピンから働きに来ていると言うことだった。

その青年が嘉義に戻るには、ど言う路線で乗り換えて行けば良いかを教えてくれた。途中朴子という町での乗り換えろということだった。こうして仕事のある国に、若者が動いている。朴子まで着いたら、配天宮というお寺さんでお祭りのさなかだった。このお祭りがすごすぎる熱気で、思わぬ体験をすることが出来た。屋台がでていて、お祭りのご飯を食べることが出来た。

話はそれるが、そのときに中国系のお寺野屋根がとがっていて、天に対して意思表示をしなければいられない意味が分かった。日本では建造物は自然の中にできるだけ溶け込むことが、美的調和だと考えられてきた。ところが、お寺がここにあって、天からの攻撃はここを避ける必要があると、示さずにはいられないのだ。天を信用していないというか。

台湾でフィリピンから来た青年に助けられた。小田原ではカオハガン島から来た、トレスさんと親しくしていた。そのトレスさんの奥さんだった小川さんはもう亡くなられた。2人のお子さんをみんなで支援をしている。考えてみれば、台湾はフィリピンに近い。台湾に働きに行く方が割が良いと言うことに遠からず成るのだろう。

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