310 水彩画 日曜展示
704「ギンネム」
2025,7 中判全紙
705「うみ」
2025.7 中判全紙
706「水源」
2025,7 中判全紙
787「草地」
2025.7 中判全紙
身体で描こうとしている。身体で絵が描けた日はどこか納得が行く。自分が描いたと言っても良いと思える絵になる。不十分であっても、その問題点が自分が分からないなと考えて居ることになる。例えば、海を見ていてこれは大変なことだと思うが、海を分かると言うことにはほど遠い。
海が判れば海の本質だけを描ける。たいていの場合、海の周辺のことを描いている。海から派生してくる、様々な様相を描いているに過ぎない。いいなぁーと感じた範囲が絵になれば終わりになる。海が海らしく美しかけました。これは絵とは関係の無いことなのだ。
美しいと感じたことは入り口である。その先に何故美しいと思うかがある。それは人間だからだ。人間はうまそうだと思う以外のものをも、美しいと思える動物だ。海が人間を生かしてくれていることを、どこかで感じているからだ。これが自然の総合である。この絶対の自然の中に人間は生かされている。これが絵になるべきものだ。