マスク着用社会と5類の危険

   



 「マスク着用社会」は非常にマズい...今すぐ外すべき、これだけの理由ーーー石野シャハランSHAHRAN ISHINO1980年イラン・テヘラン生まれ。2002年に留学のため来日。2015年日本国籍取得。スカーフ問題という、イラン社会の流れを感じた。スカーフは良くて、マスクが良くないということはないだろう。 

 実におもしろい元イラン人の見解だ。イランで行われているベールの習慣はイラン社会にどういう結果を生んだのだろうか。マスク着用社会というのはむしろイスラム社会のことではないのだろうか。イランでは女性がベールをかぶり身体を隠さないと逮捕される。

 ノルウェーに拠点を置く人権団体「イラン・ヒューマン・ライツ」は、7日までにイランのスカーフ反対デモの参加者ら少なくとも458人が治安当局に殺害されたとしている。日本でもマスクをしていると非難されるという、反マスク警察の空気はある。

 イラン社会のスカーフをしていないと言うことで死刑判決をする政府を暗に批判しているということとも読める。女性だけにベールを義務付けるのはイスラムの文化である。日本人がとやかく言える問題ではない。問題があるとすれば、イスラム社会の中で解決すべき問題なのだろう。文化とか宗教とかいうものは部外者には計り知れない部分がある。

 イスラム文化には女性を見せてはならない、秘するべき大切な存在として評価している。とも言える考え方なのだ。多数派のイスラム女性はこの慣習を評価している。もちろんおかしいとの世界の常識からの批判も良くある。文化について外国人がとやかく言えない、奥深い問題なのだと思う。

 私の場合はマスクは危ない場所では今もしている。5類以降など科学的には無謀なことだ。マスクをしていて困ることなど年寄にはない。野外では今までも一度もしなかったし、今もしていない。あくまでマスク自己判断である。

 まだレストランでの外食やコンサートなどには行かない。コロナ感染は間違ってもしたくない。そもそも肺が弱い。老齢者である。コロナリスクは極めて高い。コロナ感染でまだ死にたくない。年寄が感染して、医療崩壊になることが一番困る。感染しない暮らしが当分必要だ。

 コロナが始まった当初、コロナ対策は老齢者の外出禁止だけで良い。こういう見解をイスラエルの学者が発信した。こうしてコロナ騒動が沈静化してみると、あれは正しい見解だった。もし出来ることであったのならば、感染が拡大してきたら、老齢者の外出禁止令を出すのが正解だったと思う。

 経済を停滞させないで、病院を崩壊させない唯一の方法であった。今現在もコロナは沈静化したとまでは言えない。それは死者数で見ると分かる。これもコロナ流行当初から主張してきたことだが、死者数だけを判断材料にすべきだと考えてきた。

 流行の始まりの頃パンディミックだと騒ぎになったときよりも、今の方がコロナ死者数は多い。13日現在で13人である。17日に久方ぶりに10人を切った。大分減ってきたとはいえまだ10人超えである。コロナ始まりの頃には10人に達していない。10人以下になれば、その背景にある流行はかなり収まったと考えられる。

 最後の6波(8波と言われている)は極端に死者数が多くなった。感染予防がいい加減になってきたことと、日本人にも重症化感染しやすいコロナウイルスの変異があったのだろう。500人以上の死者が出た頃もあった。そうした最中にコロナ感染症5類格下げの話が出た。実に不愉快なタイミングであった。

 確かに経済が限界に達した。誰もがそう感じざる得ないところまで来たから、もうコロナはどうでも良いとなったにすぎない。感染症の専門医の妥協の仕方は科学的なのだろうか。コロナ5類に何か根拠があるとは思っていない。だから私はマスクを相変わらず必要な場面では付けている。危うい場所でマスクをしていない人を見たらできる限り避ける。

 行かないですめば、人混みは避ける。それが感染リスクの高い年寄の暮らしだ。マスクをしていても大目に見てもらいたい。場面場面で対応を変えて万全を期している。今後死者数を発表しなくなるらしい。コロナを忘れて、商売商売ということなのだろうか。死者数だけは捕捉した方が良い。死者数だけが確実な情報だからだ。

  厚生労働省は12日、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けを5類に移行後、都道府県ごとの死者数の報告と公表は原則として終了し「人口動態統計」により推移を把握する方針を感染症部会に示し、大筋で了承された。専門家から示された課題を今後検証する。厚労省によると、全ての死者数の公表までに2カ月程度、新型コロナを含めた死因別死者数の公表までには5カ月程度かかる見通しになる。 

 がっかりだ。これから第7波が始まるかもしれない。コロナが収まる兆候などどこにもない。また感染拡大が起きたときに、死者数の把握がなければ感染の広がりの程度が把握できなくなる。自助の国らしい判断である。仕方がないので、自助として今まで通りの感染対策を続けるほかない。マスクはリスクの高い場所ではするつもりだ。

 政府は経済のためにコロナを忘れてもらおうと躍起になっているのだろう。お金の方が人の命よりも重視されるような国なのか。貧乏が原因で死ぬ人がいるといった政治家がいた。年寄は自助努力で乗り切るほかない。マスクをしていても排除だけはしないで欲しい。

 マスク警察が無くなったと思えば、今度はマスク剥がし警察が登場する。日本では7万4244人17日現在がコロナで死んだのだ。スペイン風邪では死者38万8,727人(致死率1.63%)人口は今の半分以下の時代だ。ワクチンを打たなければこういうことになっていたのだろう。大災害である。東日本大震災では2万2318名(2万2212人 NHK)の死者・行方不明者が発生した。コロナは死者だけでその3倍以上。感染症の大惨事が分かる。

 このパンディミックを軽んじた人達がいた。おびえてはいけないと偉そうな口をきいて、経済を優先しろと叫んでいた。トランプなど好例である6,83万4,397 人が世界では死んだのだ。大戦争に匹敵する死者数である。こうした感染症はまた起こると考えなくてはならない。

 その時にどう対応すれば良いか、今回のコロナを十分に反省して、次の対応を考えなくてはならない。マスクの有効性は十分に示されたと思う。子供達がマスクをしなくなり、インフルエンザでの学級閉鎖が起きた。教室の環境は感染症的には問題があるのだろう。教室の感染対策は必要だろう。

 子供達がひ弱になっているような気がして成らない。青空教室。走り回ることども達になってもらいたい。食事も給食には毎回納豆卵にヨーグルト。アレルギーで食べれない子供も居るのかもしれないが、それぞれに工夫をして、給食から体質改善が必要なのではないだろうか。
 
 

Related Images:

おすすめ記事

 - Peace Cafe