石垣島と小田原の2つの自給活動
舟原溜め池
2018年の11月14日に石垣島に越した。石垣に来て5年と4ヶ月である。70歳を前にしての引っ越しだったのだが、引っ越しが移住になった。移住というのは、新しい土地で生活を行うことだと考えている。石垣では絵を描くだけだと考えていた。それで引っ越しのつもりだった。
それが、干川さんという石垣島で開拓生活をした方と出会い、みんなでやる自給農場をやることになった。3.6ヘクタールもある大きな農場建設なのだから、どう考えてもこれは移住して、新たな生活を始めることになる。まさか、70歳近いのに農場を始めるとは考えていなかったことだった。伊能忠敬である。
80歳まで農業が出来る身体でいる覚悟を決めた。それからは健康オタクである。80歳の農業者は結構居る。健康であれば、そのくらいまではなんとか農作業が出来る。身体を動かしていた方が、健康によいと言うこともある。それなら最後の冒険をしてみようと覚悟した。
農場で作業の合間に絵を描いている。絵だけ描いているより絵の調子が良い気がしている。結局農作業が好きなのだと思う。毎日農場に行きたい。今も小田原に1週間行って留守だったので、早くのぼたん農園に行きたくて、うずうずしている。稲がどうなっているのか楽しみなのだ。
小田原の1週間もなかなかおもしろかった。舟原溜め池の整備をしたのだが、17人の仲間と目一杯働いた。小田原の溜め池はもう10年以上整備を続けている。一年一年良い場所に成ってきた。溜め池には植え付けたカキツバタがあり、それなりに広がってきて、見応えが出てきた。
まだ溜め池の完成も先のことになる。あと5年くらいは必要だろう。根気よく手入れをして行くことが、里地里山作りには不可欠なのだ。舟原溜め池は江戸時代初期1658年頃に建造されたものだ。350年前に小田原久野地区は田んぼの造営が進み、人口が増加した。そして溜め池が3つ、天子台下に水利トンネルも作られた。
舟原溜め池は久野地域の始まりを表わしている農業遺構である。小田原城よりも歴史的な意味は大きいと考えている。重要なことは権力者の歴史では無く、庶民の歴史だ。田んぼは年々失われ、久野の棚田もかろうじて農の会が維持している状態になってきた。このままでは久野地区に田んぼが開かれた歴史が消えるのではないか。そんな不安から、溜め池の整備を始めた。
小田原に行けば、それなりにやることがある。月に一回1週間は小田原暮らしになっている。これが継続できているのは農の会の渡部さんの御陰である。小田原の家の維持管理をしてくれている。そういう人が居なければ、2地域居住はやりたくても出来ないことだった。
小田原には200人の仲間が居る。石垣島「のぼたん農園」にも30人くらいの仲間が居る。仲間が居るから自給のための農園作りは出来る。これほど有り難いことはない。石垣島に来て一年ほどで田んぼを始めた。フェースブックで仲間を募集したら、すぐに62名の応募があった。
田んぼの活動を待っている人が沢山居たのだ。最初に始めた、名蔵田んぼから、1年して崎枝にあるのぼたん農園に移った。新しい場所で再出発して、今では30名の仲間になっている。新しい農場を何も無いところから作る大冒険だ。湧き水のある美しい場所である。またとない機会を頂いた。私たちの修学院離宮を作ろうと考えた。
自給自足のための模式図である。未来永劫継続できる自給農園である。環境を創造する農園である。環境活動の大半は守る活動である。環境保護だけではもう限界に来ている。例えば珊瑚の保護活動をどれだけしても、水温の上昇があれば、珊瑚は死んでしまうのだ。
江戸時代の里地里山は人間が作り出した調和した永続性のある暮らしの場である。人間が自然環境の中に織り込まれた暮らしである。自然を大きく変えずに、人間の方が自然に溶け込んで行き、自然を改変しないことで、永続できる暮らしを探したのだ。江戸時代の暮らし方は、次の時代の暮らし方の方向を示している。
普通の農家が行う農業の継続は経営が難しくなっている。これから残る農業は、合理化された企業的大農業が中心になるだろう。大面積を大型機械で行うスマート農業は政府に推奨されている。食料の安全保障と言うことで、政府の補助金も出ている。そしてその対極に生まれるのが自給農業だと考えている。
企業農業に対して、小さな農家経営が競争できなくなるのことは目に見えている。その結果条件不利な農地は、統合されることが出来なくなり、放棄されて行くことになる。これは35年前に山北で開墾生活を始めた時に、予測したとおりの結果である。日本中に耕作放棄地が広がっている。
石垣島でも事情はそれ程変らなかった。30年前の足柄地域を見るようだ。経営が困難になるから、後継者がいる農家は少ない。農家数が減少している。そして徐々に耕作放棄地が広がり始めている様子が見える。その分企業的農家が増えてて行き、農地を吸収してくれればありがたいことだが、条件不利な農地は経営上利用できない。
こうした条件不利な農地を利用できるのは、市民が行う、自給的農業であ
る。山が荒れていれば、一気に水は海に流れ出してしまう。山が管理されるためには木が産業として切り出され、更新されて行かなければならない。そして山際には水を溜める田畑が必要になる。
る。山が荒れていれば、一気に水は海に流れ出してしまう。山が管理されるためには木が産業として切り出され、更新されて行かなければならない。そして山際には水を溜める田畑が必要になる。
赤土流出を防ぐ沈殿池を作るよりも、田んぼをが継続して作られて行くことの効果の方が大きいのだ。田んぼダムである。一度田んぼで雨水を溜めることは、海を赤土で汚さないためには必要なことなのだ。上部に畑や放牧地があるならば、下に田んぼがあり一度水を溜めることが必要になる。
上部の放牧地での糞尿がそのまま流されてしまえば、窒素の流出が地下水汚染にも繋がる。一度田んぼでその水を涵養し、浄化して、下流に流すことの意味は大きいのだ。田んぼは地下水を涵養する場にも成る。水の不足する島では田んぼダムの意味は大きい。
条件不利地域の小さな田んぼが無くなることは、自然環境が痩せて行く大きな原因になる。田んぼは生き物の多様性を守る場所なのだ。それを支えることが出来るのは、市民の自給田んぼしか無い。自給のために田んぼをやりたいと考える人は多い。そのためには小さな田んぼの技術の確立である。
稲作技術では小田原での技術は石垣島では通用しなかった。石垣島には石垣島の自給稲作技術がある。「ひこばえ農法」と「あかうきくさ農法」である。14世紀にはベトナム周辺にあった熱帯の稲作農法である。石垣島の気候では可能である。のぼたん農園では、この技術の確立を目指している。
今年はやっと技術になりかかってきた。観察整理して、石垣島の自給のための農業技術を完成したいと考えている。ともかく実践である。自分の身体でやってみる。実践以外に自給技術の確立はない。もうそこまで来ている気がする。いよいよおもしろくなってきた。