前向きな人と接する大切さ
11月6日の一番田んぼ台光の様子。40㎝角で一本植え。走り穂が出はじめている。ここから普通であれば、二ヶ月で稲刈りである。とすると正月の稲刈りになるのかも知れない。ここまで割合よい調子で進んでいる。葉が15枚揃わないうちに穂が出てしまうことも無さそうに見える。
8月27日に種まき。9月23日に田植え 。現在6週経過。13葉期になっている。後2枚葉が出てとめばならば良い。全体に生育は早かったと思う。稲は11月でも温度不足とか、日照不足と言うことは無い。出穂は11月後半になりそう。
一月稲刈りだと、2期作が4~5月には稲刈り、3期作が7~8月頃には稲刈り、問題はひこばえは病気が出やすい。台光に耐病性があるかどうかが問題である。どこで追肥をするかが、これからの課題。コロガシを入れるタイミングも難しい。今年はひこばえ農法技術の学習。
人間には特別に元気があって、意欲を持って目標に向かって取り組んでいる人がいる。大谷翔平選手のような人だ。こういう人と接していると、自分まで影響を受けて元気になれる。一人の前向きなエネルギーが、チーム全体の力を出すことになる。
人間は群れで生きる動物だ。周りの人間のエネルギーを感じながら生きている。競争したり、協力したりしながら、群れ全体が生き抜いて行く。全体がよくなると言うことが、一人の生き方に反映している。自分に合ったよい群れの中で生きる事がとても大切になる。
前向きな人は日々を生きる事が好きな人だ。大谷選手は野球が好きなのだろう。好きな野球を見付けて、野球がやれればそれでいいと言うようだ。これが元気になる秘訣なのだろう。子供の頃何が好きなのか分からなかった。父から好きなことを探すのが子供の役目だと言われていたので、あれこれ探して絵を描くことを選んだ。
選んだときはそれほど真剣なことではなかった。しかし、それから絵を描き続けている。職業絵描きには成れなかったが、今の日本の商業絵画を見ると、それで良かったと思っている。装飾美術品としての価値であったり。投資対象でしかない絵画である。
ひどい資本主義末期の時代に関わることでは、まともな芸術制作は、どのみち出来ないと思える。日本の絵画は過去最低の状態ではないだろうか。どの時代もこれほどひどいことは無かったのではないかと思える。まさかと思うのであれば、最近絵画で文化勲章を受章した人の絵を確認して欲しい。
生活は絵を売ること以外で立てた方がましだ。そういう思いもあって、自給自足の生活を目指した。田んぼを作り、畑を作り、養鶏業を始めた。鶏を飼うのが好きだったので、鶏が飼えれば言いと言うことで始めたのだが、あまりにひどい日本の養鶏の世界を見て、自然養鶏を完成させるところまでやった。
しかし、鳥インフルエンザの出現とそれに対するの社会の対応で止めることにした。田んぼを中心にした自給活動を一人のものから、みんなでやる自給活動にしたいと考えて、「あしがら農の会」を始めた。一人の思い詰めたような開墾生活が外に開くことになった。多くの仲間と出会い、ここまで元気に来れた。
70歳になって、石垣島に移住しようと考えた。絵だけ描いて暮らせると考えたのだ。それなら描きたい景色のある石垣島が良いと考えた。ところがまた田んぼをやることになった。石垣島で開拓生活を成し遂げた干川さんとのとの出会いである。一緒にもう一度みんなの自給活動をやってみようと言われて、その気になってしまった。
30人を超える人達と田んぼをやることになった。「のぼたん農園」である素晴らしい出会いが続いている。人から元気が貰えている。学ぶことも多い。集まってくる人は様々であるが、次第に去る人は去っていってくれる。来ないようにお願いした人もいる。何かが通ずる人が残るようだ。
のぼたん農園での活動が楽しいと思える人が残るのだろう。私は日々が楽しくて仕方がない。昔に較べれば、すこしづつの農作業しか出来ないのだが、農作業をやると晴れ晴れする。探せば必ず、やらなければならない農作業がある。ありがたいと思う。
水牛と真剣に付き合っていると気持ちが通じるところがあって整ってくる。水牛は心優しい動物である。こちらまで穏やかになる。水牛と遊んでいれば、絵の事まで忘れている。気分一新して実に爽やかな気分になる。だいたいの時間は、農作業をサボって、絵を描いている。
絵を描く為に農園作りをやっているのだから、それも仕方がないと思うことにしている。絵を描き出せば、他のことはすっかり忘れてしまう。誰も来ない日などは、一日中アトリエカーの中にいて外に出ないことすら在る。この二畳もない狭い場所が、宇宙のように広いのだから驚く。
田んぼの脇に座っていると、いくら眺めていても飽きることが無い。田んぼでは気がつくことが次から次に湧いてくる。今植えてある台光は台湾から来たいねだそうだ。今走り穂が出てきている。あと二ヶ月くらいだろうか。1月末初旬が稲刈りになりそうだ。
走り穂の様子を見ると、確かにこのお米はジャポニカ種のような穂をしている。稲はまったく病気が出ていない。丈夫そうな種
類である事は確かだ。ひとめぼれやミルキーサマーのような、生育不良で穂が早く出てしまうと言うことも、今のところは無いようだ。
類である事は確かだ。ひとめぼれやミルキーサマーのような、生育不良で穂が早く出てしまうと言うことも、今のところは無いようだ。
弱い人間なので、一人では頑張れないと言うことがある。自給生活は一人でやると言うことで、自給達成まで貫いたので、若い頃は一人でも頑張れたのかも知れない。それでも弱い人間なので人の力を借りようと考えたことは、間違ったことではなかったと思っている。
のぼたん農園の冒険は最初から多くの人の力を借りようと思った。力が無い人間でも、大冒険がしたいと思えば、仲間を集めるほか無い。単独行を貫いた、登山家加藤文太郎は、最後遭難死をしたのだが、その時始めて若い同行者を頼まれて一緒に行って遭難死した。単独なら生還したかも知れないと言われた。
仲間に助けて貰えて有り難いということは、弱い人間には当たり前の事だ。一人でやり抜けるほど強くないのが普通の人間だ。自分の頑張りを喜んでくれる仲間がいる。それだから頑張れるというのは当たり前の事だ。自分は一人でやれるという強い人間は、実は仲間という大切な物を持てない人かも知れない。
のぼたん農園は、切り開いている内にのぼたんが見つかり、農園名を変えた。当初は楽観農園という名称にしたいと考えていた。腹の底に「楽観」を持っていなければ、到底この冒険には乗り出せないと考えたのだ。弱い人間が大きな冒険をするとなればなれば、仲間と挑まなければ出来るはずもない。
楽観には笑い合える仲間が必要だ。仲間に元気をもらうのが楽観だ。強い人間は楽観とは縁がない。楽観的になるためには、腹の底に大きな覚悟が必要だ。この覚悟を育てるには、元気を溜めなければならない。元気は周りの人からもらっている事は間違いが無い。