ひこばえ農法の限界と可能性
5番田んぼのとよめきのひこばえイネ。あと3週間したら稲刈りをしたい。
相模原の方が稲の多年草化栽培という農法を実験している。その実験については小田原に居た頃からある程度は知っていた。小田原有機の里作り協議会でも講師としてきて頂いたことがある。農の会の参加者にも尋ねて、自分でも試みている人が居る。
まさか、0度以下の田んぼで稲が越冬するとは思えない。生き残る根があるとしても全面的に生き残ることはあり得ない。たまたま田んぼの半分にイネが再生したとしても、まともな農業にはならないだろう。と考えてきた。しかし、この不思議な現象に多くの人が興味を持つらしい。
農業は自然に向かい合う行為だ。自然の不思議は人知を越えたところがある。あり得ないと思えるようなことが起こると、そこに神の意図が隠されているような気になる事があるのだろう。だから様々な信仰と呼んだ方良いような農法が主張され、そこに信者が集うことになる。
4番田んぼのミルキーサマーのひこばえイネ。ここも3週間後に稲刈り。
その田んぼで出来たお米だけで自分の命を繋いで行く。その覚悟が自給農業には必要である。大切な農地を使わせて頂くのだ。やる以上は命がけでやらなければ罰が当たる。いまできなくてもかまわないが、将来の目標として、人類にとって有効な技術でなければ、やるべきではないと考えている。
自給農業というと、遊び半分の農業という風に思われることがある。私にしてみると、農家の人よりも命がけの農業だと思っている。お米が取れなければ農家の人なら出稼ぎにでも行くのだろう。自給農業の35年間収穫できなければ、飢え死にをする覚悟でやってきた。
自分の命をかけて自給と言うことを真剣に取り組むからこそ、自給農業が生きる事に影響をしてくると考えている。生きる事を磨くことでなければ、やる意味が無いと考えている。どこまで生きる事を突き詰めることが出来るか。その突き詰め方の一つとして、自給農業はあると考えてきた。
自分が食べるものを自分の手で生産する。ここから生きる事を見直すことが目的である。坐禅をして自分を見付けることができる人はそれでもいい。千日回峰行で悟りを開くのも良い。私のような即物的な人間は、自分が生きると言うことの原点は食べると言うことだと思える。ここを突き詰めてみることが私の乞食禅である。
こういうことは自分だけの考え方の問題であるので、他人の自給農業には関係がまったく無い。イネ多年草化栽培の目的は何なのだろう。それぞれでかまわないと思っているが、不思議なことだと思ってきた。農の会の仲間にも、のぼたん農園の仲間にも、それらしきことを話したこともない。まさか私がそんなことを考えて、自給農業をやっているとは思ってもみないだろう。
田んぼが好きで田んぼをやっているだけである。田んぼの4000年の歴史に感謝しながら、田んぼを身体全体で味わっている。田んぼという場を生きる事の場にしている。だから、採れなくても良いとか、ダメでもいいなどと考えたことが無い。田んぼに申し訳ないので、全力でなければやる意味が無いし、耐えがたい。
2回目の稲刈りが終わり、3回目のひこばえが生長してきている様子。
目標はイネが最善の状態で満作にすることである。だから、化学肥料も使う気持ちには成れないし、農薬を使うなど論外である。イネが満作になるためには、自然に順応した姿であるはずだ。自然が最善の状態なはずだ。だからいつも、長江の河岸で、芽生えた自然の野生のイネの姿に、思いをはせる。
長江のほとりで育ったイネは、毎年種を落として再生していたはずだ。それが普通の姿であっただろう。中には前年から根が枯れずに残り、再生してくるイネもなかったとは言えない。しかしその数は1%にも満たない数だったはずだ。種を実らせ、種は河岸の土地で越年し、芽生えたのだろう。
長江のほとりの季節ごとの水位の変化がイネの性格を決めていったのだと思う。一度長江のほとりのイネの原種が見つかったという辺りに行ったことがある。その辺りの気候は小田原と大きくは違わない。どちらかと言えば冬の寒さの厳しい場所だった。
インドネシアのスマトラ島にはサリブ農法というイネ多年草化栽培に似ている栽培方法がある。場所は熱帯の高地である。稲を連続7回収穫するという。7回以降も継続は出来るのだが、土壌が硬くなるので、7回で終わりにして代掻きをするという。何故湛水を続けていて、土壌が硬くなるのかは、私には想像できない。
現地を見てみたい物だが、耕さないと湛水していても堅くなる特殊な土壌なのかもしれない、とでも考えるほか無い。今現在はスマトラ島ではサリブ農法は止めてしまったという。理由はネズミの害がひどくてやれなかったとあるが、これもどうも分からない。水がある田んぼに何故ネズミが入るのだろうか。特殊な泳ぐネズミなのだろうか。
3期作目の6番田んぼ。藁を戻してある。
いずれにしても中国ではひこばえによる稲栽培は1800年の歴史があるということだ。ひこばえ農法向きの品種も10を越えてあると書かれている。それは、九州と同じくらいの気候のところで、工夫をしてやられてきたようだ。温暖化に伴い、再生イネの栽培地が広がっている。
あくまで2期作までである。これを連続して数年も栽培して行くと、なにか予測できない問題が出てくると言うことがあるのかも知れない。のぼたん農園では2回目のひこばえが出てきている。これは日本では初めての試みになる。中国の南の地域であれば、気候的にはイネは越年できる。石垣島では稲は越年できる。
中国で3期作などが何故行われなかったかはたぶん理由があるはずだ。これからのぼたん農園で連続栽培を行い、探って行きたい。今のところ一番は雑草の問題がある。雑草が徐々に増えてきて、代掻きがしたくなる。その方が手っ取り早く見えるときがある。
5番田んぼのひこばえイネミルキーサマーの様子。
のぼたん農園では牧草が田んぼに侵入してきて苦労している。牧草とタカサブロウはアカウキクサでは防げない。田んぼの周囲の草刈りをしやすいように、たんぼの畦を改善しなければならない。まだまだ土木工事が必要である。
イネの多年草化栽培の課題は収量である。1反でせめて5俵ぐらいの収量が安定して収穫出来るのでなければ、農業とは言えない。連続栽培して、良いお米が採れるので無ければ、これもまた農業とは言えない。今のところの再生2期作でのお米は飼料米程度の品質と言われている。さてのぼたん農園のお米はどうか。
将来の目標としては1畝(30坪100㎡)の田んぼを1家族が栽培するのが良いかと思っている。そして、年間3回の収穫をする。1月田植え、5月1回目の収穫。ひこばえが出て8月に2回目の収穫。2回目のひこばえが出て、11月に3回目の収穫。3回の収量の合計が150キロになるらば、1軒の食糧自給になる。
100㎡の田んぼならば、すべて手作業で行うことが可能だろう。年一回の種まきの直播きから始める。石垣島では12月播種が良いのではないかと考えている。株は40センチ間隔に播種する。625株と言うことか。満作になれば50キロは採れる可能性はある。現状では2畝で1家族だ。
将来は2セで2家族が暮らせるくらいまで進めたい。小さい田んぼほど管理が万全になる。雑草など完全に取り去ることが出来る。虫が出れば手ですべてを取り除くことだって可能だ。そして年3回の収穫。あと8年間で何とかそこまで進めたいものだ。