土地開発の無残な結果がある

   



 ひこばえの様子。4,5枚の葉で穂を付ける。少ない葉をどれだけしっかり育てるかが重要。特に止葉をどれだけ大きく幅広の厚い葉に出来るかで、穂の大きさ粒張りが決まってくる。これから葉を育てる良い方法を探求して行くつもりだ。農総研のひこばえの研究では1期作の半分の収量と言われている。

 小田原の私の家のそばにも、南足柄市塚原にグリーンヒルという、1970年代に大規模開発をして出来た「住宅なのか別荘分譲地なのか 」と言うものがある。今でも空き地があり、販売が続いている。開発された頃よりも価格は下がっている。やはりあれはバブルと呼ばれる、不思議な膨張だったのだ。
 
 開発が始まったころ、東京を離れたいという気持ちが強かった頃で、写生をして歩くついでに、小田急線の栢山駅から歩いてどのくらいの場所か、探しながら尋ねてみた。その頃はグリンヒルまで昼間もバスがあった。条件は何とか東京に通える場所である。その点は可能な場所だった。

 しかし管理の仕組みに問題があった。管理組合が最初から無いのだ。テニスコートや公園などもあるのだが、それをどこの誰が管理するのかが見えない。役所に確認に行ったが、道路の管理なども行政はやらないとはっきり言っていた。これでは買うわけには行かない。

 東京には寝泊まりは出来る場所があったので、学校にはそこから通い、土日と週末東京近郊の山の中で暮らせればと考えていた。その頃房総半島とか、伊豆半島、埼玉の丘陵地帯など、関東一円のギリギリの地域の山の中を探し歩いていた。最終的に山北に土地を見付けて移住して、開拓暮らしをしたわけだ。

 新聞にグリンヒルの広告が出ていた。当時はそうした不動産広告が新聞に良く出ていたものだ。広告の中では健全な開発に見えた。多くの広告は鉾田市の大洋村のように見えた。見に行く気にもなれないものが大半だった。こうした土地開発はひどい結果になるだろうと考えていた。

 バブル時代では土地は必ず値上がりするということで、投資先として様々な開発された土地が注目されていたのだ。今考えれば驚くような条件の土地が、不動産会社が投資目的の開発に力を入れていたのだ。投資だから実際には使わない人も多いから、上手く転売して利益を上げた人もいるのだろう。

 新聞には不相談の広告欄というものがあり、様々なおとり広告のようなものがでていた。慣れてくると、どれがおとりなのか、希望のある物件なのかは見えてくるものだ。グリンヒルのような、大規模開発はそれは関東一円至る所にあった。今は原野に戻ったところが大半である。

 おとり広告は割安な物件であるが、様々なおもしろい問題点がある物件である例えば、崖が売り地なのだがそれには触れずに、その上に少しの平ら地、下にも平ら地というものがあった。ウソではないのだが、微妙な土地。この物件は長い間繰返しおとり広告に使われていた。

 新聞広告だけ見ると、ついうまい話で連絡をしたくなるのだ。不動産屋さんは先ずはその土地を現地案内はするのだが、それは買う人がいるはずもない。それから売りたい物件に誘導してからが、商売である。買い手もわざわざ遠くまで来たので、案内だけはしてもらおうと巻き込まれて行く。

 おとりが上手く行ったのかどうかは分からなかったが、長く新聞広告を切り抜いて比較していると、何度もおなじおとりが掲載されるので、実体が見えてきたのだ。もちろん良い物件だって無いわけではないし、良い不動産屋さんにも出会った。

 当時はインターネットというものはないから、情報は現地に行き訪ね歩くか、新聞広告しかない。不動産屋さんと言っても地元の昔からのお店もある。こうしたお店を尋ねると、私のような者は対象外で、実に場違いな感じだった。何の話をしているのかとちんぷんかんぷんだった。

 新聞に載せるような業者の多くは、バブルに便乗しようとかなり胡散臭い人達もいたのだ。話はそうした不動産屋さんの方がすぐに通じた。それで決めたいと思うような物件もあったが、決断までは行かなかった。決めなくて良かったと今は思っている。

 不動産屋さんというものは、本来見るからにいい人でなければ出来ない仕事だ。出会ってこの人は信頼できるという人でないと、土地の購入を決断が出来ない。いい人の不動産屋さんは成功した。不動産屋さんは千三つ屋と言われることがある。千の内3つぐらいしか本当のことはないつまりウソばかり語る人。

 こうして探し歩いた最後に山北町に土地を見付けて移住したわけだ。その前段に、長い土地探しの時間がある。アーサーミラーの「セールスマンの死」である。大学の時の英語の教科書だった。あの広島弁の先生は良い先生だったのに名前を忘れた。印象に残っている。セールスマンは農園を作る夢を描き続けながら、実現せず死んでしまう。

 夢を描き続けることで、現実の不条理を忘れようとしたのだ。私の土地探しも似たようなものだが、少し違うのは、中学生の時にすでに土地探しを始めていた。東京に違和感があり、育った藤垈の向昌院のようなところで暮らしたいといつも思っていた。

 長い土地探しの結論は、別
荘地はだめと言うことだった。大規模開発の投資用物件など論外である。だいたいに管理会社が頼りない。中には管理はしないで売りっぱなしの所多々ある。管理がない別荘地など、販売が終われば荒れ地化して行く。管理会社が売り終われば倒産するという場合もよくある。

 伊豆では沢山の別荘地を見た。管理会社はしっかりしていると思われたが、入る気がしなかった所もある。伊豆の池田20正規美術館の周辺はそうした別荘地だった。一体どういう人が住むのかと当時から不思議だった。そもそもあの美術館は見に行く人がいるのだろうか。友人が個展をやったが、余り人は来なかった。そのような施設が伊豆に沢山ある。

 別荘地の住民は年寄ばかりで、10年後を考えたら怖いようだった。布団を干すのを、商品を届けてくれるお店の配達人に頼むというような状態なのだ。近所に暮らしていて見て見ぬ振りは出来ない。まだ若かった私には年寄に紛れて行くのは出来ないことだった。

 投資などを考えて土地を購入するのは間違っている。移住した山北のその土地は私が開墾したのだが、今も人が暮らしている。良い場所だったので、今暮らしている人も快適なはずだ。今になればその家は建築後35年は経過するわけだが、何の問題も無く、立派に暮らしている。

 その家の建て方ではすぐに壊れると多くの人が忠告をしてくれた。結果を見れば分かるように、まったくそんなことはなかったのだ。地元の人の言うことはだいたいが偏見である。何かいちゃもんが付けたくて、欠陥を指摘する。それでいて無視するとだいたいの人が、親切で言ってあげているのに、不遜な奴だと言うことになった。

 家や土地を買うのに投資目的と言うことが一番悪い。自分が最高に生活するために買うのだ。石垣に家を建てたときも50年は大丈夫な家だと言われたが、そんな必要は無い。私が死ぬ頃壊れれば良いのだから、30年壊れなければ大丈夫だとお願いした。

 石垣島でも投資のために農地が買われている。仮登記をして、その土地を抵当に入れているのだ。だから農業者では無い人が、農地を使わずに仮所有している。本来であれば、農地の仮登記だから、有効期限が10年程度である。仮登記している間に、その人が農業者になるという事が本来の仮登記である。

 こうして動かせなくなった農地は、県の農業公社が解きほぐす以外に方法はない。農業公社には弁護士さんもいるはずだから、法的に行政が関わり生きた土地に戻す必要がある。しかし、実際にはそうした動きを県の農業公社がやった事例は石垣島ではないようだ。

 

 - 楽観農園