石垣島の炭素循環農法
先日、石垣島で炭素循環農法の畑を見学させて頂いた。花谷農園という、バンナ公園の北口から歩いて10分ほどの所にある農園である。若い人が有機農業に挑んでいた。野菜をハウスで作っている。名蔵アンパルの環境を守る会の主催であった。
花谷農園は父親が東京から50年前に移住してきて始めた農場と言うことである。石垣島では一番広くハウスでゴーヤを栽培してきたそうだ。その後継者と言うことで農業を行っている。有機農業に情熱を持って取り組まれている。
有機農業に取り組む家庭で、2,3年前から炭素循環農法に取り組み始めたと言うことらしい。木質系チップを無料で運んでくれる業者がいると言うことらしい。畑の脇に大量にチップが積み上げられていた。
炭素循環農法はあしがら農の会でも「ぽんぽこファームの中村隆一さん」がやられている。畑を見ながら、しきりと二宮の中村さんのことを思い出していた。中村さんはとても自由な発想な人だった。よくぞ思い切って炭素循環農法に切り替えた物だと思う。
中村さんは炭素循環農法を10数年前から取り組んでいる。その指導で1昨年、農の会の大豆の会の畑一反で実証実験として試みさせて頂いた。土壌の浸透性が悪く水がたまるような畑だった。それで、半分は麦から大豆を繰返し栽培して得に穴など掘らないで、循環させてゆく。半分を炭素循環農法にして大きな溝を掘り、チップを入れ続けて行く。
炭素循環農法では畑に大量に木質系のチップを入れて行く。一メートルほどの深さでまで溝を掘る。幅20センチほどの溝を掘る機械がある。これで120センチおきぐらいに畑に20本ほど溝を掘った。そこにチップを入るだけ入れて行く。ダンプカーで3台ほどチップが入ったと思う。
他には特に何かをするわけではない。大豆は溝のない所に種を蒔いた。そのチップは徐々に微生物によって分解されて行く。すると又溝を掘り、チップを入れる。そのうち、土壌中にはチップを分解する微生物が増えてきて、たちまちに分解するようになるのだという。そこまではまだやっていないので様子は分からない。
中村さんのポンポコファームの畑は確かにあるときから、急に生産性が上がった。見事な野菜が出来るようになった。そうなるまでかなり時間がかかったと思う。畑に入れたチップが分解されるためには、最初の内はむしろチップを分解するために畑の力が使われてしまい、作物の栽培はむしろ困難を増して行く。
畑はチップを分解するために窒素が使われてしまい、窒素不足の状態が起こる。それでもあえてチップの分解を行う菌の出現を待って、堆肥すら入れることはしないという。農の会の実証圃場では、最初の段階で堆肥を同時に投入してしまった。大豆が出来ないのでは困るからである。ある意味水の浸透性の改善だけに終わった面もある。
一年目の大豆は炭素循環の方がよくできた。大豆の株自体は大きくなったわけではないが、実が多く付き収量は多くなった。2年目の大豆は大きな違いは見られなくなった。小麦の栽培で、土壌の浸透性が徐々に改善されてきたのではないかと見ている。
中村さんは堆肥を入れてはダメなんだよなーと、少し嘆いておられたけれど、数年作物が出来なくとも仕方がない、というわけにはやはり行かない。大豆の会では大豆が採れなければ、活動そのものが成立しない。中村さんがポンポコファームの畑にユンボで大きな溝を掘り出した頃は、作物の出来ない畑を前にして、よく頑張れるものだと、内心あきれていた。
山の上にある畑で、田んぼに行くときに時々様子だけは見せて貰っていた。いつかは出来るようになるのだろうと思っていたわけだ。中村さんとは、二宮のつむぎ農園の井上昌代さんの紹介でお会いした。20数年前になるのだろう。話はさらに逸れるが、ここで忘れないように書いておく。
井上さんは長野のオリザ農園で研修された人だ。オリザ農園は高校生の頃からの友人である窪川真さんがやっていた有機農業の農園である。多くの研修生を受け入れていた。窪川さんがいなければ私が農業を始めたかどうかも分からないくらい影響を受けた人だ。大学を出てからも長く一緒に北都という雑誌を作っていた。
窪川さんからオリザ農園で研修を終わり、二宮で新しく農業を始める人がいるというので紹介してくれたのが井上昌代さんだった。井上さんが幼稚園の子供たちが参加する田んぼを中井でやるので、協力してくれないかというので中井の消防署のそばの田んぼに通うようになる。
そこで、中村さんを紹介される。二宮で就農した人だと言うことだった。その幼稚園の田んぼはどういうわけか、最後は中村さんと2人きりでやるようなことになった。乗りかかった舟だから、最後までやろうと中村さんと田んぼを続けた。
そして、最後には中村さんとさらに大磯で新しい田んぼを一緒にやろうということになる。中村さんはともかく考え方が柔軟な人で、前向きにすべてのことを考える。だからどういう人でもどんな農法でも受け入れることが出来る。大磯田んぼには多種多様な人が集まってきていた。大磯田んぼには5,6年は通った。
そういう中村さんだから、炭素循環農法が始められたのでは無いかと思う。最初はブラジルから見えた人から教えて貰ったという、まだ日本では取り組みの初期だったと思う。そのご「たんじゅん農法」の事務局的な役割をするようになる。最近は「微生物ネットワーク農法」と名乗っているようだ。そういえば余り詳しいことも聞いていない。
炭素循環農法は立ち上がりが大変な農法であることは確かだ。石垣島の花谷農園では畑に穴を掘ってまで、チップは入れていない。畝溝にチップを敷き詰めている程度である。まだ2,3年と言うことで、炭素循環農法の土壌には成っていないように見えた。
切り替えて行く一番苦しい時期かもしれない。何しろ石垣島の土壌は難しい。乾くと干しレンガのように堅くなる。この土が柔らかな、土壌に変わるにはどれほどのチップを入れれば良いのだろうか。どこか気が遠くなるような作業がまだ横たわっている。
畑の隅に不思議な土の小屋を作っていた。土にセメントを混ぜて、積み上げて行くのだそうだ。本当は消石灰を混ぜるらしいが、高いのでセメントにしたと言われていた。もしかしたら、石垣の土壌なら、何も混ぜないでも固まってしまうのではないかと思えるが、きっとそうでもないのだろう。この小屋が出来る頃にはまた見せてもらいに行きたいと思う。