第41回 水彩画 日曜展示
第41回 水彩画 日曜展示
サイズはすべて中判全紙、ファブリアーノ、荒目厚紙
169「名蔵の丘の農場の入口」
2021.2
170「中井篠窪の梅」
2021.2
171「笛吹市境川藤垈」
2021.2
172「石垣島大里農道からの眺め」
2021.2
173「名蔵の牧草地」
2021.2
174「伊豆高原」
2021.2
175「長野豊科の谷間」
2021.2
176「笛吹市 花取り公園」
2021.2
中判全紙8枚である。この2,3年前から描き始めていて、最近終わりにした作品である。少し傾向にばらつきある。方向としては169,170の最初の絵の方に進んでいる。今回少し構図を工夫した物も描いた。
だいたい一日一枚ぐらい描いている。日曜展示を始めたと言うことがある。いままでも、絵の掲載はしていたのだが、定期的なことではなかった。昨年の5月から日曜展示は始めたのだが、だんだんペースがつかめてきた。
今描いている絵と展示している絵は少しづれがある。30枚くらいたまっている。一度に出すのは7枚ぐらいを上限にしようかと思っている。その方が見やすいかと思うからだ。その位だと1日1枚と言うことになると言うこともある。
このペースだと1年に365枚絵を描くことになる。どの絵も次の絵のための練習のような物だ。目標はあくまで自分をやりきることにある。原発事故では絵が描けなくなったが、コロナでは絵を描き続けている。この違いはコロナは気をつければ、避けることができると言うことだ。
何で絵を描いているのか。このことは原発事故も、コロナも、問うてきた。「おまえは何をやっているのだ。」学生の頃、夜中に旧生協二階の美術部のアトリエで絵を描いていると、明かりが見えるのだろう。教養部を占拠している学生がやってきては、「おまえは何で絵を描いているのだ。」こう言われたことを思い出す。
あなたは大学を占拠して世の中が変わると思っているのか。私は絵を描いて世の中を変えてやる。しかし、絵を描いても原発はなくならない。コロナも止められない。改めて何で絵を描いているのかと思う。50年前よりも世の中はかなりひどいことになっている。
団塊の世代がダメだったから、こうなったわけだから、責任はある。絵の世界を見れば、50年前よりもつまらなくなっている。今の時代には中川一政も、須田克太もいない。最近世界で評価されているらしい、カボチャを描くおばあさんの絵のどこが良いのか全く分からない。絵だとさえ見えない。
わたしには原発事故は生き方を変えろということだった。コロナは絵に専念しろと言うことだった。学生のとき、おまえは何で絵を描いているのかと問われたことが、絵を描く生き方になった理由かもしれない。