新型ウイルスが現われる理由
今回の新型のコロナウイルスの登場で世界中の人にとって、ウイルスが何故登場してきているかの理由は、人ごとではなくなったはずである。一言で言えば、人間の暮らしが自然から逸脱したことにある。
誰もがいつかは新型コロナウイルスに感染する。そのときに備えて、肺の強化体操をしている。スワイショウと8段錦と太極拳24式と蹴り上げ肝心体操のセットである。45分で一通り出来る。筋力を高めることは免疫力の向上である。
家に居る時間が長いのだから、その分余分に体操に当てている。小田原に居れば、自然に1万歩以上歩いているのだが、石垣では中々1万歩歩けない。その分体操に当てている。後は明るい気持ちで暮らすように心掛けている。この機会に暮らしを見直した。
人類がこのままの暮らしを続ければ、必ず数年おきに新しいウイルスが登場してくると思わなくてはならない。さらに深刻なウイルスが登場して来ると考えておかなければならない。
人によってはインフルエンザウイルスでも日本でも例年3000人ぐらいは死ぬから、コロナウイルスぐらいで騒ぐな。一通り感染すれば終わるのだ。と言うような人がいる。新型ウイルスの登場を理解できない人である。いつまでもこう言うその場しのぎの考えで居れば、さらに深刻なウイルスの登場がかならずやってくる。
インフルエンザでは健康な人はまずは死なない。インフルエンザで死ぬ人は他の病気を持っている人が大半である。ところが今回の新型コロナウイルスはどんなに健康な人でも死ぬ。80歳以上であれば致死率が11%である。70代であれば5%である。
もしコロナ肺炎になれば、人工呼吸器がなければ必ず死ぬ。人工呼吸器を付けて、ICUで完全管理して何とか助かると言う重い病気だ。だから、今の日本の医療体制では重症患者がこれ以上増えると、医療崩壊が起き大量死が起きる。今日本はギリギリの所だ。インフルエンザではそういうことはない。
もう一つ今心配なことは感染し回復しても免疫が出来ない可能性が出てきたと言うことだ。これはワクチンの開発が極めて難しいウイルスと言うことになる。この点はまだ分からないが、ワクチンのない感染症は別段特殊なわけではない。ヘルペスウイルスのように、どこかに隠れていて、身体が衰えると又発病するというようなウイルスもある。
ウイルスに関してはまだまだ未知の領域のものなのだ。今回のコロナウイルスもセンザンコウやコウモリが持っているものだとか言われているが、それがどういう形で、ヒトヒト感染するウイルスに変異したかはまだ分からない。
この変異の原因には野生動物の暮らす環境へ化学物質や薬剤が蔓延を始めたと言うことが想像される。環境汚染の進行である。そうして野生動物の体内のウイルスが変異をした可能性もある。ビニールのような今まで食べたこともないものを野生動物が食べてしまう。
当面今回のウイルスでの対応を反省して次に備えると言うことがあるが。本当の解決策は新型ウイルスが登場しないような世界に、人の暮らしに変えて行くと言うことも必要なのだろう。
かつての未開地にも人類は分け入り、暮らすようになった。そして化学物質を多量に使う農業や畜産が効率を求めて行われている。食料生産が経済競争の元に行われるようになり、巨大化し、機械化し、自然の循環から離れてきた。この地球環境の変化が新型ウイルス登場の大きな要素に違いない。
自然の摂理を超えた農業生産はどこかで破綻する宿命にあったと思うしかない。化学肥料を使う。大型機械を使う。化学農薬を使う。遺伝子組み換えの農産物が登場する。日に日に農業生産が自然の営みとはかけ離れたものになって行く。その結果何が起こるのかはまだ見えないが、新型のウイルスを生み出している可能性は高い。
環境破壊が進み、オゾン層の破壊が進んでいる。それは生き物全体の循環を狂わし、人類の免疫系を弱めている。一方海洋汚染が進み、食料の循環の中に化学物質の混入が増加する。これも免疫力を低下させているだろう。食品の中に入り込む化学添加物の増加も免疫力を低下させている。
人類は様々な医療の進歩で淘汰されることがなくなったことにより、弱い遺伝子が淘汰されることなく、人類全体に残ることになっている。平均寿命が急激に伸びて、老齢人口の増加も免疫力の低下につながっている。
人間はひっきりなしに世界中を行き来している。情報も世界中を同時進行で交差している。一地域で収まるはずのウイルス感染もたちまちにして世界中に広がることになる。今回のウイルスの感染拡大をみると、人間の出入りが想像以上に大きくなっているのかを実感した。
又、マスクの生産が国内で行われていない国ではこうしたときに緊急事態になると言うことも身にしみたことであろう。物流が世界を駆け巡っている。このこともウルスの感染拡大の要因であった。従来のレベルの水際対策ではウイルスの防御はできないと言うことがよく分かったわけだ。
アメリカは日本よりも早くから、防疫体制をとったが、日本以上に早くて大きな感染爆発が起きてしまった。対策が成功した、台湾と韓国と中国の事例は世界が学ぶ必要がある。個人情報や国家統制の是非とは別に考えることだ。
1970年大阪で開かれた、万国博覧会は「人類の進歩と調和」をテーマとしていた。あれから50年確かに世界は進歩はしたのだろうが、調和は失われたのだ。意図できないような進歩という危うい方角に世界は進んできた。豊かになる競争が実は必ずしも幸せな暮らしとは言えないと言うことだったのだ。
原子力発電が人類の進歩だと考えた時代もあった。農薬や化学肥料が人類の進歩だと考えた時代もあった。科学技術の進歩が人類を豊かにするはずであった。新型ウイルスで世界中が恐怖に陥ったこの機会に、どこで何を間違えたのか考え直さなければならない。
大都市というものがダメだということもはっきりした。通勤するという形も問題が大きいと言うことが分かった。これから本当の意味での地方の時代を模索しなければならないのだろう。