セントバーナードのフクちゃんが死んだ。
南相馬から避難して来ていた、セントバーナードのフクちゃんが死んだ。生年月日は想像するしかないのだが、2009年ごろではないかと思われる。獣医さんはそう言われていた。そして死んだのが2017年8月18日。世話をしていたというより、心の支えになっていたような気がする。心の一角に空いた穴がある。今でも、そこにいるようで、いつも寝ていたところを見てしまう。私にとって最後の犬になるのではないか。フクは優しい心穏やかな犬だった。セントバーナドの特徴でもあるのだろうが、いつも気使ってくれていた。何処か遠慮がちで、一時避難なのだという気持ちを捨てなかった。いつか南相馬の生まれ故郷に帰るつもりだったのだろう。キングケンネルという南相馬のブリーダーのところにいた犬のようだ。預かった夏にキングケンネルのあった場所を訪ねたがたどり着くことは出来なかった。よく訓練をされた犬で、誰の命令にも従った。迷惑をかけないように居させてもらっているというような、態度を一貫させた。その辛抱強さのまま、辛かったろうに、苦しいこともあったろうに、一切表わさないまま、死んだ。犬という動物は学ぶところの多いい生きものだ。
大震災の時に南相馬の避難所の小学校に紆余曲折あってたどり着いたらしい。そこで、人を噛んでしまったというのだ。うちに来てからの様子では、人を噛んだことがあるなど信じられない犬だった。よほどの辛いことがあったのだろう。避難所で困って、寒川で救助犬の活動をしていた、湘南タッズさんの所に預けられた。タッズさんは今福岡で救助犬の活動を続けらている。湘南タッズの庭に繋がれていた。その頃のは溢れんばかりの犬がいて、もうケージが足りない状況であった。週一の状態で手伝いに行った。フクちゃんが大きすぎて入れるケージがないという事でもあった。毎日、預かってくれる人が現れて、犬は引き取ら手が見つかったり、家に戻れたりしてゆくのだが、フクちゃんはさすがに引き取り手がいなかった。来てから1か月ほどたってから、私が預かることにした。タッズさんは困っているような顔は見せない人ないのだが、なんとなく引き取ってくれればというような空気を感じた。私の家でもぎりぎりだったのだが、他にできることもないので預かることになった。前からいた、雷田とドンちゃんの2匹の犬ともすぐ仲良くなってくれて、困ることは全くなかった。
2011年5月20日に我が家に来た。家に来てからこの犬はセラピードックになるのではないかと思えるほど、おとなしくて、何をされても怒らない犬だった。やっと少し安心しできたのかもしれない。はしゃぐこともほとんどなかったから、着た時はすでに2歳は超えていたかもしれない。散歩に行くととしてもまるできままで、家の下まで降りるとすぐ戻りたがる日もあれば、何処までも歩いて行ってしまう日もある。一度だけ脱走してしまったことがあった。無理に扉をあけて出て行ったので、家に帰ろうと考えたのではないかと思う。警察に通報してくれた人がいて、すぐに引き取りに行けた。家の位置はよく覚えていたから、帰ることは出来たのに帰らなかった。何年も一緒に暮らしているのに、南相馬を忘れることはなかった。ブリーダーさんが手放さなかった犬なのか、売れなかったのかはわからないが、私には最高の犬であった。
体重は来たとき獣医さんに視て頂いたらば、46キロだった。2ヵ月の避難生活で大分痩せていて時だ。その後大くなって60キロはあった。私より重いと良く言っていたのだが、セントバーナードのメスとしては小さいほうかもしれない。何か大事なものが消えた。それは自分が死ぬという事にどうも繋がっている。死ぬという事がどういうことなのか、実感できたぐらいフクは自分の中にあった。原発が許せず、ソーラーパネルを作ったのも、フクが自分の中にいたからだと思う。フクは私の保護者だったようだ。だから両親が死んだときと変わらないような思いに陥る。友人だったそれまでの犬とは少し違った。書いて思ったのだが、誕生日である。68歳になった。そういう事かと、何がそういう事かわからないのだが、何か納得した。