名護市議会議員選挙の結果
今回も辺野古米軍基地移設反対を主張する議員数が、上回った。27議席中16対11という結果と言うことだ。しかし、菅官房長官は「辺野古移設は普天間の危険性の除去と米軍抑止力を考えたとき、唯一有効な解決策だ。(仲井真弘多)知事から埋め立て承認を受けて、粛々を進めている」と発言している。仲井真知事は知事選への影響については「他の市町村を見ると、私の政策に賛成する方向の方が多い。ちょっと厳密な計算をする必要があると思うが、名護だけが沖縄ではない」とコメントした。地方議会と言うものは、国の政策に対して、意味を持たないというのが、知事や政府の考えのようだ。国防と言う様な、日本全体の問題に対して、一番身近な地方議会の意見と言うものが、これほど軽く扱われていいものだろうか。地元の意思と言うものを無視して、基地の様な迷惑施設を作ることには、憲法上問題がある。
民主主義の根幹は基本的人権の尊重である。一人の人間の権利であっても、守られなければならないものはある。現在、の沖縄の県民の意思を政府が無視してもかまわないというのでは、民主政治を放棄したことにならないのだろうか。こうした国防という最も重要な場面でこそ、充分にその場所で暮らす人の声を尊重し、踏まえなければ、良い結果が出るわけがない。沖縄の基地軽減を政府自身が主張しながら、沖縄の都市部から、過疎地へ基地を移転するという政策では、過疎地の人間が被害を受けるのは、少数者だから仕方がないというようなことになる。肝心なことでは国益が優先され、住民の意思が尊重されないというのでは、民主主義国家ではない。辺野古移設問題では、名護市議会、名護市、県知事と選挙に置いていずれも移設反対意見が勝利している。仲井真知事は覆したが、次の知事選挙結果も無視されるということか。
地方議会の意思と言う一番身近な住民の意思が、最も重視されなければならないのが、民主主義の原則でなければならない。国は国益の為に、住民の意思を尊重しながらも、どのような妥協策があるかを探る努力が必要である。ところが、今回の菅官房長官の意見によると、国益の前に、地方議会の意見等無視して粛々とすすめさせてもらうということの様だ。自らの主張する所である、沖縄の基地軽減の主張との整合性はどうなるのだ。沖縄周辺の無人島にでも基地を作ればいい。アメリカ軍がそれで嫌だと言うなら、日本から出てもらうしかない。他所の国に基地を作っているのだから、その地域の住民の意思を無視するのでは、アメリカが民主国家ではないということになる。アメリカは常に人権侵害を、正義の価値観にしているではないか。名護市民の人権を侵害して当然とする、日本政府に便乗するなど、正義に反した行動ではないか。アメリカが人権を重んずる国であるなら、もう一度次善の策を検討すべきではないか。
本来国防重視であれば、日本中に基地は分散すべきだ。日本人が等しく負担を負うべきだ。昭和天皇実録では「昭和天皇が沖縄の軍事占領継続を希望している」と明記され、天皇が「占領は米国の利益になり、日本の保護にもなる」などと考えた。ここにも沖縄差別が存在する。弱者に負担を押し付けるという、強者の論理は、民主主義国家として恥ずべきことだ。沖縄は本来独立国であった。中国や、薩摩藩に2重支配される様な、複雑な歴史を経ている。先日、オオシッタイというやんばるの森の中の古い集落を訪ねた。日本政府が琉球王朝の人々に、明治政府が開墾させた村が他にも沢山やんばるにあると言う話を伺った。会津藩の人々が下北半島に行かされたことに似ている。国内にもこうした差別が残っている。沖縄は独立国であったが、日本民族である。むしろ、本来の日本人的な縄文文化的要素を色濃く残している。日本人は沖縄から学ぶことが沢山ある。これからの、軟着陸地点は沖縄的なものだと思っている。日本政府の名護市議会選挙無視の横暴は、琉球処分と何ら変わらないではないか。