小選挙区制の害悪

   

伊豆西海岸 10号 西伊豆にも面白い半島、入江が沢山ある。東海岸と光が逆になる。

小選挙区制は日本の政治風土に合わないものである。選挙制度が変わってから政治家の、能力が下がってきている。新憲法制定の自民党と、護憲勢力の公明党が野合しているのが現状の国政である。憲法は政府や国会に対して、この政治理念で、日本の政治を行うようにと、国民が政府に命じているものである。「平和主義、基本的人権の尊重、国民主権」この3つの柱は、日本が敗戦の悲惨を踏まえて、新しい民主国家を目指して、戦後70年余り歩んできた道である。この政治理念の根幹が食い違っている、自民党と公明党が連立政権を作っている現実は、小選挙区制に原因がある。かつては、小田原の選挙区では、3名の国会議員が出た。河野洋平氏は長くこの選挙区で衆議院議員に選出され、新自由クラブを設立した時代もあれば、自民党の総裁の時代もある。現在、河野談話によって、自民党政権からは批判の矢面に居るともいえる。しかし、河野氏以外にも2名の衆議院議員が選出されていたはずである。

全国で中選挙区に基づいて衆議院選挙が行われ、同じ自民党内でも違う思想の持ち主が、違う派閥に所属して、自民党内に多様な思想の存在が許されていた。ところが、小選挙区制になって以来、自民党の議員は、自民党の社員の様である。それぞれの固有の考えを持って、多様に議論が交わされる傾向は無くなった。所属議員が党の執行部のいいなりの状態なのではないか。現在、牧島かれん氏がこの地区の衆議院議員であるが、そのホームページを時々見るが、独自の思想を表現しているとは、到底思えない。農業政策では「多様な後継者確保のため、足かせとなる税制の見直し。•自然の循環を保つため、治山治水、里山保全を進める。 •農商業連携でブランド化。販路拡大により海外に売り込む。」このように掲げられている。農協の総会にも見えていた。TPP交渉に自分らしい考えを示したことはない。小田原の稲作の今後に対して、考えを表明したこともホームページでは一度もない。

個人のことはともかく、すべての自民党議員が、自民党の社員のようにしか見えなくなってきた。会社の方針の伝達はしているが、政権の思想と違う自分の独自考えを打ち出す力量が落ちている気がしてならない。そういうことを禁じる自民党になってきている表れなのではないか。神奈川17区で自民党の衆議院議員になるためには、自民党の公認を得るということが不可欠であろう。又、公明党の支持は得なくてはならない。こんなまた裂き状態の中で、自分の政治思想を主張するような、意欲のある政治家が現われるとは思えない。無難に党の意向や顔色を見て発言するのが安全なやり方である。それでは、自民党以外の議員がこの選挙区で当選できるかと言えば、公明党次第である。公明党と他の野党が連携すれば、当選の可能性が高い。つまり、小選挙区制では、公明党の議員の単独の当選も可能性がない。こんな膠着した選挙制度が、民主主義を育てるわけがない。何故、政治家がこの現実に反発しないかと言えば、所属議員で十分という範囲の、自己保身には都合がいいからだろう。

マニュアル議員である。党の意向に沿ってうまく発言して行くだけの議員になる。各党の衆議院候補が、本当の議論を有権者に向けて各選挙区で行い。その政策力を向上させることが出来ない。選挙民の中にある多様な考えが反映できない制度は、民主主義の成長の芽を摘んでゆく。政治への関心度がさらに下がってゆくだろう。一部の特殊な人たちの就職先に政治が成ってゆく。マニュアル議員たちは、日本の新しい時代を作り出すことは、避けるに違いない。一部の党執行部とそれに従う大半のマニュアル下部議員。これは、国会議員の公務員化の様なものだ。脱官僚どころか、選挙で官僚を作り出しているような状態。すべては小選挙区制を辞めるところからだ。しかし、小選挙区を既得権とした、自民党と公明党は、これを壊すことはまずしないだろう。議員定数の削減など、問題の根本でないところでの、選挙制度の改革を述べているにすぎない。

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