移民がペットを食べている。デマ

   



 トランプアメリカ大統領候補はなんと、「移民がペットを食ベている。」というデマを大統領候補のテレビ討論の中で、口走った。トランプ氏は13日の演説で「(当選したら)大規模な強制送還をスプリングフィールドから始める」と言い放った。 こんな発言にもかかわらず、トランプ氏の支持率は変わらないらしい。

 トランプ氏の過激発言は計算されつくしている。トランプ支持者の意識である。過激であればあるほど投票したくなるのだ。しかも、真実であろうがなかろうが、移民をたたく発言であれば、大歓迎なのだ。討論と言ってもハリス氏を戦う訳ではない。論理で戦えば負ける。そこで、でたらめを発言して極右支持勢力をつなぎとめようとした。

 こんなでたらめの発言を根拠もなく口にする人が大統領候補であるという、アメリカの社会の病巣に驚くばかりである。しかもこの発言はいまだ撤回されていない。なんとイーロンマスク氏はこの発言を拡散しているそうだ。あの議会侵入事件と同じだ。これはうっかりした発言ではなく、大統領選挙に向けた戦略と考えなくてはならない。

 共和党の副大統領候補でオハイオ州選出のJ・D・バンス上院議員が9日、Xの投稿で、ハイチからの不法移民がスプリングフィールドに混乱を起こしていると主張し、ペットがさらわれ、食べられているとの報告があると訴えた。 これも戦略上の発言だ。

 大統領選挙が劣勢のため、こんな悪質な戦略を展開していると考えなくてはならない。生成AIで作成されたとみられるトランプ氏が猫を抱き黒人男性から逃げたり、ハリス氏が猫をフライパンにのせ調理したりしている画像も広がっているという。こんな劣悪な選挙戦略が通用するのが今のアメリカ人の実態なのだ。

 ひどすぎる社会である。もしトラが実に危険なことになるかを示している。アメリカ国民の皆さんしっかりしてください。悪質なデマ情報を大統領候補が口にしたらどうなるのだろうか。今回だって、トランプが言うのだから、本当かもしれないと信じた人は多いのではないか。

 これでは移民の人の命が危うい。選挙で負けたときもそうだった。議会に暴動がなだれ込み死者まで出たのだ。もし、たとえ犬を食べた人がいたとしても、こんな形で公表し、批判をするのは犯罪行為である。これで罪のない移民の人が危険にさらされているのだ。こうなることをわかっていてやっている。

 トランプが異常人格者であるのか、虚言僻なのか、あるいは扇動家なのか。それは分からないが、アメリカにはこんな発言で、銃の乱射をしかねない人間がいるのだ。冷静な、うそをつかない大統領がどうしても必要だ。しかし、アメリカの有権者はこんなデマを信じたいと考える人が、かなりいるのだ。

 世界は日に日に状況が悪くなっている。社会は分断し、敵を作らなければ保てない世界なのだ。あいつが悪いから、自分たちの暮らしが苦しいのだと思い込んでいる。自分の何かに問題があるとは考えない。何か問題があれば、人のせいにしてしまう。弱いもののせいにしてしまう。

 確かに難民の問題はある。文化も歴史も、生活そのものが違うものが、隣り合わせに同じ場所で暮らしてゆくわけだ。犬を食べる民族だって、死んだ家族を食べる歴史のある民族だっているわけだ。ペットを食べているなどと思い込むものが現れる。

 日本は外国人労働者を準備なく入れようとしている。それは労働人口が減少しているという、国内事情から生じた経済の都合である。経済のために、何でもやろうというのが、日本政府の方針である。社会はまだこの問題を外国人とともに暮らす社会を理解すらしていない。

 遠からずアメリカと似たような問題が出てくる。この2週間上野界隈にいたわけだ。外国人が増えたと思う。石垣島もそうなのだが、2割ぐらいが外国人の社会である。水彩人にも世界からのお客さんが見えている。国名を記載してもらっているのだが、何と40か国以上あったのだ。

 水彩人展でも、題名の英語表記はしている。本気で外国語表示をしなければならないとつくづく思った。まず「Entrance fee」や「admission fee 」ぐらいは表記しなければならない。英語の分かる方あるいは通訳機能付きのスマホでの案内係の対応が必要かもしれない。

 トランプの発言で思い出したのが、関東大震災での「朝鮮人が井戸に毒を入れて歩いている。」このデマ事件を思い出した。この震災虐殺事件をなかったことにしたいという動きがある。朝鮮人の方で殺害された人の数は834名が確認されたとあるが、数字が様々で分からない。慰霊碑には6000人という数字が記載されている。

 この朝鮮人慰霊碑の前で、日朝協会などでつくる実行委員会が74年から毎年、大震災のあった9月1日に追悼式典を開き、歴代都知事が追悼文を寄せてきた。小池百合子氏も16年の初当選直後には送ったが、17年からとりやめた。何故なのだろうか。
 
 都知事選の踏み絵になっている傾向がある。票を取るためにはどちらが良いかの選択なのだと思う。いま日本ではこの思い出したくない事件を葬り去りたいという有権者の方が多くなったということではないか。分断の社会は日本でも始まっているのだ。

< /span>
 社会は、能力主義の競争を勝ち抜いた「勝ち組」が傲慢ごうまんになり、置き去りにされた人々に優しさを示さない社会になってきたのではないか。 ホリエモン時代と名付けてきた。その後、続々とホリエモン後継者がもてはやされる時代が来ている。

 「だめでもいいじゃん」である。競争に負けたものが、社会で差別を受けるような社会は間違っている。アメリカで起きたことは日本でも必ず起こる。同じ道を進んでいるのだ。能力主義が限界に達したのだ。資本主義の末期的現象である。

 社会が階層化し、階級化して、分断が起きている。日本の大企どう業の社長の報酬が低いと言って、億を超える給与をもらうようになった。私は道義がないと思う。倫理がないと思う。先日国会議員が使えるお金が月に20万から、30万円だと高市早苗氏が不満を叫んでいた。

 この人には20万30万で暮らしている庶民の暮らしが想像できない。何が文句があるのか。いやならやめればいいじゃないか。世間には20万から30万円で暮らしている人の方が多いのだ。国民が苦しんでいるのであれば、国会議員が高級を取る必要などない。

 道徳のある社会に戻るべきだ。その先頭に立つのが、国会議員ではないのか。20万円30万円でというが、一体政府の交付金はどこに行ったのだ。おかしいではないか。自叙伝によるとずいぶん贅沢をしていたではないか。あの暮らしは20マン30万円では無理だ。あの金はどこから出たのだろうか。
 

 - Peace Cafe