新米が出てきたがお米が高い。本当に高いのか。

新米が出てきたがお米が高い。本当に高いのか。農林水産省は8月のコメの各銘柄の平均卸売価格が、前年同月より17%高い60キログラム当たり1万6133円だったと発表した。60キロが一俵で、分りにくいがお米の価格は公表される物だ。
8月の平均卸売価格は、これまで13年の1万6127円が最高だった。過去最高価格だから嬉しいと農家が喜ぶだろうか。何しろ、10年以上前の価格よりも一俵で6円高いだけの話なのだ。物価と較べてどうだろうか。5キログラムの新米を、3千円超で販売されている。
ご飯一膳65グラム程度である。40円が小売価格と言うことになる。これが高いという価格なのだろうか。他の食品に較べれば安い。パンならば食パン一枚と同じくらいだが、目方で較べれば、二枚少しで一膳分のお米になる。お米が高くなったと言っても、パンはお米の倍の価格なのだ。
これを三菱総研の試算ではパンもご飯もほぼ同じ価格だとしている。全くどういう研究をしているのかと思う。お米に悪意があるのだ。カロリーで比べて見れば、ご飯が234グラムで、食パンは160グルムである。価格で見れば、さらに大差が付く。
池田総理大臣が「貧乏人は麦を食え。」こんなことを60年前には答弁して大騒ぎが起きたことがあった。まさに「貧乏人は米を食え。」が今の時代なのだ。何故、米が高いと新聞やテレビや三菱総研では報道しているのだろうか。物の値段が分らないのだろうか。あるいは何か意図があるのだろうか。
昔、と言うか戦後の食糧難時代、農家が豊かになった時代がある。食べるものを求めて都会から買い出しに出掛けた時代である。食べ物を作れば高く売れた時代があった。どんどん農村が豊かになった。お米は配給制度があった。朝の連ドラでも話題になった、配給以外食べないで、栄養失調で亡くなられた判事の方がおられたのだ。
食管制度という物が出来た。お米の買い取り制度で、価格は政府が取り決めたのだ。米作農家にお米をどんどん作って貰わなければ、食糧が足りない時代があったのだ。米あまりになり、と言うか日本人が昔の半分以下しか、お米を食べなくなり、余るようになった。
その結果何が起きたかと言えば、中小農家の離農である。中山間地の地域崩壊である。政府はスマート農業推進を主張している。確かにそれも悪くはない。しかし、誰がどう考えても日本の中山間地はスマート農業には不向きな地形である。
日本の稲作を大規模スマート農家だけに任せて大丈夫と考えて良いのかである。私は無理だと考えている。半分ぐらいまでは何とかなるだろう。しかし、半分は中山間地の農家を維持して、生産して貰わなければならない。非効率であるのは分るが、それが日本の環境保全であり、国土保全なのだ。
中山間地の稲作を維持することが、国の食料安全保障である。国土保全計画でもある。地方創生計画でもある。それが瑞穂の国日本の文化である。直接支払いを基本にすえる以外に、条件不利地域の農業を維持する方法はない。直接支払いをしなければ、さらに離農して、地方の社会は消滅することになる。
この基本にある思想は、食料は自給しなければならないという考え方である。これは国是である。そのためにはお米はまだ安いのだ。せめてパンと同じまで上げる必要がある。安心してお米を作れる状態にしなければ、さらに中山間地の農家が減少する。それを良しとするのが、自民党政権の本音なのだ。
昔は農家を守るのが、自民党だったのだが、今や農家を離農させるのが自民党なのだ。それは農家はパーティー券を買わないし、票数も知れている。むしろ旗を立てて国会にも押しかけない。裏金自民党にはもういらない人達になっている。食料を作る人達が国の大本である事を忘れているのだ。
農家の人は間違っても、つまり昔は自民党支持だったのでつい間違えやすいのだが、自民党には投票しない方が良い。自民党は普通の農家を減らすことしか考えていない。そして、大規模企業農家だけにしたいと考えているのだ。政府の出す政策を見ればすべてがそこに向かっている。
日本の中山間地の農業を維持させなければならない。政府も口先では似たようなことを口にする。しかし、具体的な農業政策を見て行くと、どうやれば中山間地の農業が維持されるかの見通しがない。だからどんどん減少しているのだ。多分本音はなくなっても仕方がないと考えている。
食糧自給率も一貫して増加させると口先では主張する。しかし、現実には増えることがない。当然のことで、離農者が増えていて、新規就農者が増えない。農業従事者が他の産業とは較べられないほど減少しているのだ。いくら機械化と言っても中山間地ではすでに限界状態なのだ。
地方創生も口先では主張している。しかし、現実には地方の人口は減り続けている。仕事が無いからである。地方で暮らしたいと考える人は居ないわけではない。都会のコンクリートに固められた暮らしに限界を感じる人は今後も増加するに違いない。過密の都会は子供の成長には良いとは言えない環境なのだ。
政府は地方社会に仕事を作らなければならない。企業を誘致す
るとか、観光産業とか、色々あるだろうが、まず第一にやれるし、やらなければならないのものが、農業である。その基盤はすでに整っているのだから、どうすれば普通の農家が暮らせるように出来るかだけだ。
るとか、観光産業とか、色々あるだろうが、まず第一にやれるし、やらなければならないのものが、農業である。その基盤はすでに整っているのだから、どうすれば普通の農家が暮らせるように出来るかだけだ。
まず稲作が基本である。食料の安全保障と組み合わせて考えなければ成らない。中山間地の農家に対して直接支払いを行うこと。政府は企業的農家の支援ばかり頭にあるので、邪魔になると考えているのだろうが、共存できる方法はある。
すでに農家への直接支払制度はある。これが上手く機能していない。お金を支援するのも一定必要だが、それよりも営農の支援が重要である。直接支払いはわずかな保障で、しかも申請が実に面倒くさい。田んぼをやって貰うだけで暮らして行けるぐらいでなければ、誰も新規就農など出来ない。
特に、新規就農者の支援制度はグジュウグジュである。農家の顔だけして、生産を本気でやらない人が実に多い。これが制度を破綻させている。本気で農家をやる人を支援しなければ意味が無い。農業をやれば支援を受けられるという制度設計にしなければならない。
地域に小規模な製粉所や精米所を作る。昔は地域地域に水車小屋があったのだ。農業機械の貸出制度を作り、農業機械を地域の農業者に無償で貸し出す。農地の政府所有を増やし貸し出す。生産物の販売支援を行う。農家が必要とすることを、親身になり具体的に支援することだ。
お米はまだまだ安過ぎる。食料は生きるために必要不可欠な物だ。これを国が確保するのは、安全保障上の義務である。日本人がまた中山間地に暮らせるようにするのも、国は本気で考える必要がある。アベ政権の悪政から何とか抜け出さなくてはならない。