26回水彩人展 初出品者の作品の感想。

   

 
  水彩人展審査が始まります。
 初出品の方の作品は水彩人展ホームページに掲載されます。

 今回も初出品者が多く15名もいた。良い作品が多かった。落選という人は数人しかいなかったのだが、一般の出品者の絵がなかなかのもだった。初出品者の急増は予想外のことだったのだが、水彩人をやってきた成果が出てきたかもしれない。

 水彩人が公募を始めたのは、水彩の仲間を探したいと考えたからだ。水彩画の研究を深めてゆくには、よい仲間が必要だと考えている。水彩人が世間で認められたいというようなことはない。ひたすらそれぞれの絵が前進するための会である。

  良い仲間がいて、切磋琢磨する。そのこと以外に絵が良くなると言うことはないと考えてきた。そして月一回絵を持ち寄り研究会を続けた。そのグループの研究発表が水彩人展になっていった。その後公募展になり、より広く水彩画の仲間を募ることになった。今回の初出品の方が15名というのはそのうれしい結果なのだ。

 26回展は新しい出発という主題で開催された。1室は会員の人たちの中で次の水彩人を担うだろう人の部屋になった。2室は例年になく良い作品のそろった、一般の人たちの部屋になった。そして3室が同人を中心にした小品室。4室が同人を中心にした、大作室。そして、5室、6室がその間くらいの絵を展示した。最後の7室が抽象作品の部屋である。

 毎回、初入選の人の絵に対する感想を書くことにしている。それは是非とも水彩人の仲間になって欲しいからだ。26回展は15名と言うことになる。まず第2室にある有望とされた初入選者5名の感想から。



 田中宏美 「にじいろにそまったファンタジーアニマルランド」
 
 20歳の方である。今までになかった傾向の作品だった。昔からの水彩画に混じり、異彩を放ち新鮮である。新しい絵画といえる。いや今の若い人には普通の絵のかもしれない。絞り出した絵の具そのままの色が、むしろ新鮮に見えるのだから不思議だ。今後の成長が楽しみな人だ。



 鈴木智子「陽光の中で」

 子供の描き方が実に魅力的だ。子供の顔が地面からの照り返しで、明るく光り輝いている。よく子供という人間に迫っている。ただかわいらしいという思いだけでないものが絵にある。子供の明るさに洗わているものは、絵を描く喜びにつながっているようだ。人間を水彩で描くということは極めて難しいことになる。今後のさらなる精進を期待する。



 大濱一弘「網中の賜物」「潮流の賜物」

 素直な物への迫り方で、迷いがない。その一途な姿勢が卓越していて好感が持てる。ここまで迷いなく描写に集中できることは、ただ者ではない。しかも、ものに迫る姿勢には混じりけがない。迷いがない。よくよく見るとただの写実的な描写ではないことが見えてくる。何か描く人の人生をのぞき込んだような気がした。水彩画では近年描写性の強い作品が増えている。ぜひ、絵画における描写の問題に踏み込んでもらいたい。



 村尾昭子「伊尾木洞 早春」

 自然への祈りのようなものがある。緑の魔境という言葉を思い出した。深い緑の中にある魔。そして、自然という物に備わっている豊かさ、暖かさ、そして親密感のあふれてくる世界が描かれている。描いている人の自然に対する視線が感じられる。さらに自然の中に踏み込んで、感じている自分の世界を表現してほしい。



 窪田千寛 「田園」

 絵画としての造形の魅力がある。風景を線や色面に解釈してゆく姿にそう快感があった。当然のことだが、絵を描いているのだ。風景を写すのではなく、自分の見て作り出した、自分の絵を描いている。これが絵を描くうえで一番大切な姿勢だ。次に、この描写法で何を描いて見せてくれるのか、いまからが楽しみになる。



 山根幸恵「ポトスー橙・紫・緑のコンポジション」

 丁寧に描かれた静物である。水彩画の薄い塗りが折り重なり、現れた色が美しい。良く水彩絵の具の使いい方をわかっている。明るい部分を塗り残してゆくうまさもある。ただその明るさが、光を反射した葉がばらついている点が気になる。画面全体の美しさは十分理解してるのだから、もうわずかな整理だけだろう。

次に小品室に飾られた作品3名

 佐藤正章「海辺まで50歩」

 「海に早く行きたい」」そう50歩なのだ。あの日、足の裏に熱い砂を感じながら、走った海への道。海にどぶんとつかる世界への、期待に膨らむ子供の純真な鼓動が感じられる。見るものも子供の頃の記憶がよみがえる。期待が広がる構成はあるのだから、さらにうごきがある海へのムーブマンがすべてのものに感じられたらばどうだろうか。

 市川悦子「錦秋の音」

 紅葉の明るさと悲しさのような物が、滝の流れを取り巻いている。自然を見つめてゆく視線が良い。そう自然の音である。滝の物理的な音ではなく、紅葉という世界からくる静けさの音。佇んでいるような世界。さらに絵が深まることが期待される。

 高瀬イロナ「活況市場」

 異国の市場かもしれない。ざわつく賑わいが聞こえてくる臨場感がある。細かく心得て、描くことも悪くはない。それが市場の乱雑な魅力なのだろう。ただ一様に細かさが同じである点が気になる。白く抜かれた紙の色が少し強い。物の中でさらに描き込むところがあるとさらに良くなったのではないだろうか。

4室の大作室に一人

 蓮沼勇悟「祈り」

 ドシン、ドでん、圧倒してくる立派な大仏である。この仏の重量感は圧巻である。仏像の形を描くだけでなく、確かに祈りの世界が描かれている。絵として問題はないのだが、こうして作られたものを描くという場合に、自分の絵画としての創造というものが、どうかかわるかは難しい。



5室に3名



 山口栄美「花・夏色に、」

 描写力が圧倒するほど確かである。写しているようでいて、花を作り出している。特にひまわりに集中してゆく描き方は美しい。花の省略した表現と、克明に描く描き訳も見事だと思う。淡く絵の具を薄めてゆく手法もなかなかのものだと思う。水彩画の手法としては、画面の外側に来る白は、地肌の紙の白は、押さえたいと思う。水彩画では余白と言うより、画面のどこも等価値であるという意識で描きたい。



 宮島淳子「静かな時間Ⅰ」

 絵画の深さが伝わってくる。自分の色を持っているのだろう。深い色調の中に伝わってくるものがある。暗い空間の中に確かな品格が感じられる。静物画の持つ時間感覚が、確実に伝わってくる。味わえる絵画だ。絵というものをわかっているのだと思う。描けば描くほど深まる絵だ。次の絵はさらに期待できるはずだ。



 渡辺照代「デコイのある静物」

 絵に作者が向かい合っている。真面目な描き方だ。しっかりと描こうという気持ちに好感が持てる。問題は静物画では、描く静物を通して、「何を描くのか」が明確になっていないとならない。見ているものを絵を描く以上に、見ているものを通して世界を捉えるかどうか、ここが問題なのだと思う。

6室に1名



 山本有里「DNA」

 ほのぼのとした空気に引きつけられる。何気ない、素朴な描写が、その素朴さゆえに絵の豊かさを生み出していると思う。これで問題はないのだが、さらに進めるためには、アヒルというもののかわいらしさだけではないところまで、わかる必要があるのではないか。それは余分なことかもしれないが。鳥を飼ってきたのでつい。

 実はもう一名おられたのだが、10年以上前に出されていた方で、久しぶりに出されたので、初出品と間違えていたことがわかった。
 
 

 - 水彩画