フェイク情報の海辺で
フェイク情報があふれている。一人一人の真実を見分ける力が問われている。最近の選挙はフェイク情報に影響を受けている。斉藤兵庫県知事の問題は、知事に対する批判した内部通報者の調査を命じて、虚偽だと一人で決めつけてしまい、処分をしたことに尽きる。
これは明らかに権力者の犯罪行為である。何故未だにこの事件を検察が起訴しないのか不思議で成らない。知事として罪を犯した人間の、フェイク情報が飛び交って、いつの間にか被害者であるかのようにでっち上げられた。その結果知事に再選された。
ここまであからさまなフェイク選挙は日本では初めてだったかも知れないが、類似の事件は数限りなく起きている。誰かを陥れようとして仕組めば、かなりの確率で実現できる状況になっている。音声や映像を、AIで作り上げて流すことはいくらでも出来るようになっている。
目立つ人間は、良い意味でも悪い意味でも何かと狙われている可能性が高い。狙って金儲けになるのであれば、悪い奴らは今も画策しているはずだ。映像も、音声も情報として信頼できない時代に入っている。競争会社を潰すためのフェイクニュースだって作られる可能性がある。
フェーク情報は、情報で出来上がっているような人を狙う。政治家やいわゆるテレビに出るような有名人である。情報でイメージを作り上げているのだ。会ったこともないし、知っているのは二次情報だけの人だ。本当のその人が、どんな人間で、何をやれるのかなど、実際の所は分らない。
まさに斉藤知事がそうだ。情報だけで想像して斉藤知事像が出来ている。そうした人にフェイク情報を被せれば、いかにもそんな人かと新しいイメージが簡単に作られる。今回はいじめに遭っている知事像が出来たのだろう。現実に起したことよりも、情報が社会を動かす。
ユーチューブを眠れないときに見ているのだが、フェイク映像も流れている。いかにも最もらしく間違ったことを流しているものが少なくない。一方でユーチューブで教えられた価値ある事実も多い。稲の起源が遺伝子解析で分った話はユーチューブで知った。
そこから様々にネット情報を掘り下げて、なるほどそういうことかと、伊根の起源を教えられた。稲の栽培に役立つことを色々知ることが出来た。有り難いことである。欧州少林寺拳や中国の様々な太極拳のユーチューブも、自分の運動を見付けていく上で参考に成った。
何が正しくて、何がフェイク情報なのかを見分ける能力がなければならない。視野を平明にして、先入観を持たずに、すべてをまじ「批判的」に見ることだ。まさかそんなことはあるはずがないと言うところから情報に接する。その無限にある間違いの中から、どう疑ってもこれは真実だというものを探し当てる。
子供の頃近所で火事があった。それは知り合いの材木屋さんの火事だった。翌朝新聞にその火事のことが出ていたのだが、何故か色々間違えていた。そもそも材木屋さんでなくなっていた。よく知った材木屋さんのことだから、その間違いにすぐ気付いた。なるほど新聞も正しいことだけではないと、それから考えるようになった。
先ずは疑うところから入る。韓国の戒厳令も最初はまさか嘘だろうと思った。しかし、どう調べても事実らしい。では何故戒厳令が出されたのか。それに対して韓国の人達の本音はどこにあるのだろうか。色々考えてみた。国会のまわりに集まったデモ隊を賛美する人が多かった。何故なのだろうか。
大統領がフェイクニュースに騙されたのだという情報も出ていた。韓国の国会デモの絶賛の評価は怪しいものだと思っている。賛美したら間違う。韓国社会にある、誰かを悪者にしようとする不満のようなものが、背景にあるとみた。ナッツ姫の事件が大騒動になったことと大差がない。何か社会の不満がくすぶっている。
大統領は精神的に追い詰められていたのだ。大統領を追い詰めるために、あらゆる角度からせめられていた。特に奥さんのスキャンダルのダメージはあったのではないか。追い詰められて正常な判断力を失った。その時に唯一相談できる相手の盟友の国防大臣が間違った判断を導いた。
と言うようなことを、様々な情報に接する中で、自分勝手に考えている。それでブログに書く。時間が経って読み返してみる。正しい判断だったのか、間違っていたのか。時間が経てば分る。そうして自分の判断力を確かめている。文章化すると言うことはその意味で大切なことだ。
稲の栽培でも様々な情報が流れている。多くの情報がうますぎる話で納得いかないものの方が多い。やってみるほかない。やってみれば何が正しい考え方なのかは分る。上手いことを言いすぎる人や、都合の悪い側面は言わない人。条件設定がそもそも明確でない考え方。
やってみなくても間違っていると分るものも多い。農業の情報は一般化など出来ないのだ。参考に出来る考え方というものがあるだけだ。例えば不耕起栽培は良いと言うことはよく書かれている。何を目的にして、どういう土壌で、何を作るかによるはずだ。
小田原の渡部さんのやる高畝栽培は、まわり環境から栽培場所を切り離
すと言うことが要だと思っている。耕作地はいつもまわりとの関係で出来ている。まわりからの影響を受けている。それを切り離しその作物にとって良い環境を改めて高畝の中に作ると言うことに意味がある。
すと言うことが要だと思っている。耕作地はいつもまわりとの関係で出来ている。まわりからの影響を受けている。それを切り離しその作物にとって良い環境を改めて高畝の中に作ると言うことに意味がある。
農業もフェイク情報が多いと言うことだ。その中から参考になる情報を見付けるためには、実行して経験を重ねる以外にない。そして自分の観点を持ち判断をする。そして失敗を有意義なものとして、繰返しやってみる。それ以外に自分の観点を磨くことは出来ない。
ありとあらゆる事に偽情報が広がっている。その背景にあるものは、たいていの場合拝金主義である。情報発信で一儲けしようという人間が嘘を垂れ流すのだ。農業にも、環境関連の人達にもそういう人は多い。善意に見せかけた金儲けが徘徊している。
嘘とまでは言わないでも、大げさに言うのだ。大げさに言っている内に信者が現われるのが現代の危険だ。いつの間にか大げさな話が教祖のお告げになっている。科学的思考が失われた時代なのだ。再現性のないことは危険な技術なのだ。エセ科学の可能性がある。
インターネット革命期に生きているのだ。自分を高める以外に、フェイク情報の海を渡って行く事はできない。価値観が変化していく。下手をすると拝金主義に巻き込まれて行く。金儲けを考える物は大体に怪しいと思って避けた方が良い。