韓国非常戒厳宣言

   



 南アルプスの北岳、間ノ岳、農鳥岳、甲斐駒などだと思う。まだ高校生の頃、確か畠山君と登ったのだと思う。営林署の小屋に泊めてもらった。おじさんが営林署の職員だったので、泊めて貰えた。あの頃の元気さは格別で、走るように登って降りてきた。

  韓国という国は不思議である。非常戒厳宣言が出され、朝令暮改どころか、暮令夜改である。何が起きたのかと理解しがたい思いである。大統領のあまりの判断の至らなさに驚く。何の見込みもなく、こんな捨て鉢なことをやるとは、大統領はどこまで行き詰まっていたのだろうかと思う。

 実際の所、韓国は立派な国になったと思う。国民や国会の反応は実にまともで、この非常事態宣言を、あっと言う間に覆す勢いがあった。経済成長をして、国民生活も安定した。北朝鮮という、独裁国家との間に臨戦態勢にある中で、良くここまで安定した国になれたと感銘を受けている。良かったとも思う。

 韓国は日本の経済を追い越した。この差はこれからも広がって行くのだと思う。日本が長期停滞と言うこともあるが、韓国の努力がすごかったのだと思う。先端技術の分野で、世界をリードする企業がいくつも登場した。日本の新しい産業の出現できない、現状を思うとうらやましい限りだと思っていた。

 ただ、ナッツ姫のような不安定さはあるのだなとも思っていた。こうした極端なことが突然起こるのが、韓国という国柄なのかも知れない。しかし、政治の世界でこれほどどうしようも無い事が起こると、何か政治のゆがみを感じざる得ない。

 今度は国の要である大統領の判断ミスである。こんなことをしでかしてしまうのは、腹心がいないということなのだろう。大統領に対して本音で意見を言える部下がいない。こんな心理状態に大統領が成ってしまう置かれた状況が良くないのだろう。

 野党は大統領の政策に対してすべて拒絶である。野党は尹政権に入り22件の閣僚などの弾劾訴追案を国会に提出しており、4日には、尹大統領の側近といわれるソウル中央地検検事長などの弾劾訴追について票決が行われる予定だった、 という。

 韓国と日本は未だにあまり仲が良くない。日本の植民地時代への恨みが深く残っている。たぶんそれだけではなく、歴史的に考えれば、仲が良かったことは一度もなかったのかも知れない。何かと角突き合わせていたようなことが目立つ。兄弟げんかのようなものかも知れない。

 しかし、日本は韓国をとおして、日本が受け入れやすい形の中国文化を学んだのだ。百済観音や弥勒菩薩を見ると、以下に日本文化の神髄に韓国の影響があるのかと思う。当時の宮中では韓国語が飛び交っていたと言うから、仲が良い時代もあったのか。あるいは戦乱で日本に逃れてきたのか。

 侵略戦争を行い、植民地化を行ったことは、全く弁解の余地がない明治政府の覇権主義である。そして最後には日本の敗戦という結果である。悪いのは日本の方でどれだけ謝罪しても終わりはない。これは韓国の主張道理のことだ。ただこのまま仲が悪いままでいることは、両国にとって大きな損出になるのだろう。

 互いの利害を考えると、何とか我慢して仲良くなって貰わなくては、東アジアの安定はない。これは中国との関係を考えると極めて重要な要件になる。しっかりとした独立国家である韓国と日本が連携できれば、対中国に対しても、普通の関係が持てるはずだ。ここを探求する必要がある。

 日本が謝り続ける事は当然のことではあるが、両国が新しい関係を作り平和国家としての連携を見付けることは、それ以上に極めて重要である。韓国も高度成長期がおわり、次の段階に向かう過程あるのではないだろうか。ここからは互いに未知の分野である。

 互いに試行錯誤して足りないを補い合い、良い関係を見付けるべきだろう。韓国の歴史文化は深い。学生の頃に、韓国に絵画分野のすばらしい作家がいることを知った。韓国は国を挙げて、現代美術の作家を育てようとしていた。その中から世界的な作家が登場した。

 今も韓国現代美術は日本よりは面白い。10年前の展覧会に韓国日本の作家12人展。がある。この展覧会を見ると、日本に人の作品の自閉症的つまらなさが、気になる。独りよがりに日本の作家が陥っている。社会に対して目を向ける力がない。人ごとではないが。

 そして10年後はどうなっているのか。韓国も日本のように独りよがり作家が増えたのだろうか。それは精神が社会に対して閉じたと言うことになる。社会に対する可能性を、作品で見せられなくなったのだ。つまり芸術活動ではなくなる。韓国はこの点でも日本と似た状況に陥った。

 10年前のイウォノさんという方のダンボールの家の作品がある。ダンボールを家の形に貼り合わせた作品である。一見これも自己中作品かと思いきや、この空虚なダンボールの家は、路上生活者のダンボールハウスを買い取り、つなぎ合わせて作品化している。

 そのように考えてこの作品を見ると、路上生活者の家をつなぎ合わせて、大型化して再現する。そして、家というものを社会に回答を求めている。同時に、路上生
活者との間にかわした、家の売買契約書を展示している。家とは何なのか。

 たぶん韓国もその後の10年を通して、社会と向き合うような現代美術は失われたのではないだろうか。知らないで書くので申し訳ないが、韓国の現代美術の作家もどうも商品絵画としてせいさくし、世界市場に進出する勢いのある作家がいるらしい。日本と似た状況に入っている。

 社会を変えるのではなく、社会の時流にどのように乗るかの方に、かわった。そのように変った途端に、作品は芸術ではなくなる。そして時代を超えた力は失う。資本主義末期の芸術の状況は世界中大きくは変らない。この点でも10年で韓国は日本を追い越していったのだ。

 話はそれたが、韓国では政治状況も日本よりも先鋭化している。日本では国民が支持しない自民党政権が、妥協しながら政治を進めようとしている。石破氏の国会答弁は誠実に応えているようではあるが、全く腹の内が読めない曖昧なままだ。

 今は序の口であるが、何も決まらず、何も進まない中で、参議院選挙が迫ってくる。自民党も野党も誰が悪いのかを印象づけようとするばかりである。企業献金の扱いを国民がどう考えるかである。軍事企業が自民党に献金するのは、軍事拡張を願うからである。そして、裏金キックバック方式も同じ意味だ。

 韓国では大統領の政策がいちいちに否定され、大統領夫人の贈収賄問題が司法によって裁かれるところまで進んだ。ここでぶち切れてしまったのではないか。韓国の国民のことを忘れてしまったのだろう。どうも韓国も日本もいちばんおくれているのが政治の世界のようだ。

 - Peace Cafe