当たり前の国になる道
日本はアメリカの属国であり、中国を仮想敵国としている国である。これは片時も忘れてはならない現実である。この現実感は日本の大多数の人にはない。つまり、完全な独立国家ではない為に起きていることになる。経済だけに翻弄されて、尊厳ある国家としての方角を見失っている国である。
その原因は日本人の甘えの体質にある気がする。当たり前の独立し国家とは、国の安全保障を自分たちの手で維持している国である。この点日本はまるで国の体をなしていない。安全保障には、「国防と食糧と防災」の3つがあるだろう。
それ以外にも様々な国の成立要件はあるわけだが、まずこの3つがなければ後のものはいくら整備されても意味がない。所がこの肝心な三つを持っていないのが日本国である。何故こんなことになったかと言えば、国を挙げての拝金主義である。
戦後日本人は敗戦の経験から、お金さえあればなんでもできると考えてしまったのだ。お金があっても、食べるものがなければ、外国に滅ぼされれば、大災害がおこれば、どうにもならないと言う現実を忘れて、それは見事に高度成長に邁進した。
武力については、敗戦をして、侵略国家ということで、世界から武力を放棄しろと約束させられたこともある。非武装中立が国是になったのだ。武力がない以上アメリカの核の傘の下にいれば安全だという事だった。アメリカに前線基地としての基地を提供する代わりに、日本を守って貰うという考え方だ。
だから、拝金主義からすれば、それはそれで安上がりだと言うことだった。国土をアメリカに売り渡したのだ。だから、日米地位協定が不平等条約と言うことになった理由だ。今や一国主義者トランプは日本の安上がりを許しそうもない。
食料については、自給率が70%以下の国は安全保障上問題があるだろう。所が日本の自給率はその半分程度しかない。今年のようにお米がちょっとしたことで足りなくなるようでは、話にならない。主食が揺らぐことはあってはならない。40%以下の自給率の国は極めて危うい。
そして防災については、何度も何度も大災害が起こっている。そして近い内に大噴火や、大地震が予測されている。南海トラフ地震の想定死者数は32万人を超えるというのだ。線状降水帯による土砂崩れも続いている。大噴火も想定されている。その対策が十分でないのは誰もが不安なところだろう。
当たり前の国になるためには三つの課題の解決法を示さなければならない。残念なことに政府にはその能力がどうもないようだ。拝金主義が続いている間に、当たり前の事を当たり前の国の条件を考える政治家がいなくなったのだ。
こうした問題を挙げる政治家がれば、お金がなければもっと人は死ぬ。などと反論が入る。確かにそう言えないこともないのだが、国防をどうするかを考えないで、何故お金があれば良いというのだろうか。まず核兵器による世界の均衡は年々危うくなっている。ロシアはこれ以上、ウクライナやナトウのミサイルがロシアに撃ち込まれるならば、核攻撃も辞さないと表明している。
互いに攻撃を厳しいものにして行けば、最終的には核戦争に至る。それが日本への核兵器の使用だった。二度と原爆は使わないと世界は誓ったはずだった。所が核戦争が現実的視野に入り始めている。この状況を打破するのが日本の役割のはずだ。
ノーベル平和賞に日本被団協が受賞したのは、世界は核戦争を何としても防がなくてはならないという表明だろう。日本政府は核兵器を使用できないような世界の状況を作る為の努力を行う必要がある。無力に見えても、核武装していない国が同国の安全を確保するかの、「核の傘」ではない安全保障を模索しなければならない。
そのためにはまずアメリカの核の傘をお断りすることだ。傘のない国でも平和に国を維持できると言うことを死に物狂いで模索することが、被爆国日本の役割である。出来ないと諦めて、何もしないよりは、国の自立のために世界の平和を求めて動き出すことだ。
次の課題は食糧自給であるが、主食作物は食料生産はお金にならないから、取り掛からないのだ。何しろ菅前総理大臣は国会でそう明言したのだ。国の安全保障を分からない人なのだ。