沖縄県、辺野古工事「承認せず」

   



 沖縄県、辺野古工事「承認せず」辺野古の第2期工事の大浦湾側への格調埋め立て工事を沖縄県は承認しないことになった。県民の一人として、当然のことだと思っている。辺野古に米軍基地を建設する理由は、世界一危険だと言われる普天間基地の移転である。

 沖縄県民は誰もが、普天間基地の移転を望んでいるだろう。ただし、その場所が辺野古であることには、大きな失望がある。だから、県民投票では71.7%のものが反対をした。その反対を無視して、辺野古へ米軍基地を作っていることは、民主主義をないがしろにしたものなのだ。

 住民の意思は沖縄県の米軍機負担の軽減である。そのことに対して、政府は口先では、沖縄の基地負担の軽減を言いながらも、現実には基地負担は減るどころか、自衛隊基地という形に置き換えられてゆくだけである。日米安保条約では、自衛隊基地は米軍は自由に使うことが出来るものだ。

 結局日本国民全体が、基地を沖縄に集中させて行くことに、向き合っていないという現実に許しがたい思いがあるのだ。石垣島にも自衛隊基地が出来ている。まったく住民の意思は無視されたまま進んだと事だ。そして、中国全土に届く、ミサイル基地を今作ろうとしている。

 なぜ沖縄に中国を攻撃するミサイル基地を収集させるのか。沖縄の基地負担の軽減というのであれば、ミサイル基地は日本全体に分散させれば良いだろう。それよりも、潜水艦から発射できるミサイルにした方が良い。いや、それよりも、敵基地攻撃ミサイルなど、日本は持つ必要が無い。

 日本人全体が、自分の家のすぐそばにミサイル基地がある状態を想像してもらい痛い。それは自分が暮らしている場所が、突然危険な地帯になったと感じるはずだ。中国全土に届くミサイルであれば、日本中どこに配備しても同じことなのだ。

 中国にしてみれば、もし台湾侵攻をする際に、日本から飛んでくるミサイルに対して、その100倍以上のカ所に保有する、膨大な量のミサイルで攻撃をするだろう。それはハマスが、イスラエルの鉄壁と言われた、ミサイル防衛網を機能させなかったのだ。

 中国と日本のミサイル戦で日本が勝てる可能性など全くないのだ。あの広大な中国各地に分散しておかれているミサイル基地をすべて攻撃する能力など日本にはない。もし一部にミサイル攻撃をすれば、一気に日本のミサイル基地は攻撃対象になり壊滅するはずだ。

 この彼我の差を、自衛隊はよく分かっている。敵基地攻撃ミサイル基地が始まれば、必ず中国に匹敵するだけのミサイル基地の設置が要求されることになる。それは、第2次世界大戦の前の軍事競争に戻るだけだ。必ず最後には、盧溝橋のような、軍の策謀によって、実際の戦争が始まってしまう。

 辺野古の米軍基地建設は、その象徴的な問題なのだ。米軍は辺野古移転を決定する前には、海兵隊の国外移転も言われてはいた。海兵隊員の卑劣な犯罪が続いていて、沖縄の反米軍意識が高まっていたからだ。その時も政府は口先だけで、実際の基地負担の軽減はなかったのだ。

 日本政府は中国を仮想敵国として、攻撃型軍備へと転換を図ろうとしている。米軍の要請にしたがっているのだ。米軍は中国からの攻撃を、沖縄を前線基地として、戦う戦略なのだ。軍事力による対抗を考えるアメリカは、中国の経済力の急速な発展を脅威と考えているのだ。

 日本は本来アジアの国である。中国との関係はアメリカとは違う。日本はかつてすべてを中国から学んだ国だ。政治も、思想も、技術も、文字も、宗教も、藝術も、中国から教えてもらった。中国から学んだ様々なものを基盤として、日本は日本的に変容させて、日本という国作りをした。

 しかも幸いなことに、日本は中国に支配されることがなかったために、日本独自の文化を培うことが出来た。その日本の文化は世界でも一流のものであると誇れるものになった。その根底には中国からまなんだものがある。中国と日本の関係は、日本を占領支配したアメリカとは違う。

 日本人はアメリカに占領され、アメリカに従い、その逆鱗に触れないように生きる奴隷の国になってしまった。常にアメリカの命令に従うことが、日本の国防政策になったのだ。それは原爆保有国と、それ以外の国のでは止むえない軍事力の根底の違いがあるからだ。

 北朝鮮がなんとしてもアメリカに対抗するために、原爆を保有するのは、当然の軍事的な対抗手段なのだ。そして、ついに北朝鮮はアメリカまで届く、原子爆弾搭載可能なミサイルを保有した。この状況の下でアメリカと対等というわけだ。

 ますます世界は戦争の危機である。軍事的均衡によるいわば硬直状態の平和は、いつか必ず敗れる。ウクライナや、ガザ地区ではすでに戦争が始まり、継続している。軍事力は安全保障上、危険を増しているようなものなのだ。ではどうすれば良いか。

 それは、日本国憲法の平和主義である。まったく頼りないものであることは、憲法擁護派の私にも分かっていることだ。しかし、この一見頼りない平和主義が、人類の唯一の希望なのだ。もし日本国憲法がなければ、日本は戦争に巻き込まれていたに違いない。

 憲法にある平和主義はアメリカに対しての言い訳になるのだ。アメリカ占領下に出来た、アメリカが主導し、承認して出来た憲法である。日本には攻撃型武力は持てない憲法がありますと、説明してアメリカから売りつけられる武器を断ることが出来る。

 日本の攻撃型武力が無ければ、中国は日本を攻撃する必要が無い。もし台湾侵攻をするとしても、日本を軍事作戦の計画に入れないで済むのだ。日本の安全は、非武装なのだ。そのことは石垣島に暮らすものとしては、生活実感として分かることだ。

 例えば、波照間島という石垣島から、東に55.3キロ離れた島がある。もちろん軍事施設などない。この島の住民に対して避難訓練をしているのだ。中国軍が攻めてくるからと言うのが理由だ。その避難経路が、まず石垣島に避難する。

 そして、石垣島から九州に避難するという。なぜ波照間島にそのまま居ては行けないのか。誰がどう考えても、それが一番安全に決まっている。中国軍は無意味に波照間島を攻撃する理由がない。ミサイル基地を作ると言うことは、その島を危険な状況にすると言うことなのだ。

 日本国民が、辺野古に米軍基地を移転することを、なぜ受け入れないか不思議に思うだろう。普天間の危険除去になればありがたいだろうにと、多くの人が当然のごとく主張する。しかし、辺野古米軍基地建設が沖縄を防人の島にして行く象徴になっていると言うことだ。

 なぜ、日本国民は自分のこととして、普天間基地移転をを考えないのか、腹立たしいばかりだ。日米地位協定の改定すら出来ない日本政府に、沖縄県民は耐えがたいのだ。日本人全体で、日本の安全保障のことを税とも考えてもらいたい。

 

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