アトリエカーの中の宇宙
最近のアトリエカーの中で絵を描いている様子である。中の空間は巾130の長さが220くらいで高さが170センチである。5$33A5ぐらいの空間である。前後左右に窓がある。石垣の強烈な夏でも、風がよく通る。その時間の陽射しを考えて車を止める向きを決める。
暑さで困ったことはない。断熱材が良く効いている。絵を描くので、光が邪魔にならないように、時間によって車を移動している。車の前が太陽のある方角にする。そうすると、軽トラの運転席が光を遮ってくれて、窓からあまり光が差し込まない。
写真のように、このところは年賀状を描いていた。正面にある絵は中判全紙である。普段はだいたい中判全紙ぐらいを描いている。気持ちを変えるときには、10号ぐらいの絵や年賀状を描いたりしている。一応は出来てきたところだが、もう一度見るといくらでも描きたくなる。終わりがない感じで描いている。
閉じている空間だと安心して絵に集中できる。以前は外に出て風景と向かい合って絵を描いていたのだが、現実の空間が大きすぎて、落ち着いて絵をかくことに集中がしにくい。小さいアトリエカーの空間の中に収まったときに、絵を描く感覚が動き出す。
禅宗の修行の場は禅堂である。一人での修行は良くないとされ、複数の人が集まり修行を行う。修行僧は本来禅堂の中で、籠って坐禅修行を行う。一人に1畳大ほどの単と呼ばれる場所が与えられる。僧堂は元々、雲水にとって、坐禅・食事・就寝まで、一切を行う生活の場である。
アトリエカーの中に朝8時半から、夕方4時まで居る。ここに泊まり込んで絵を描いていたって良いのだが、そうも行かないので家に帰る。昼食はアトリエカーの中で食べる。絵を見ながら食べている。食事の途中で絵を描き始めることもある。
中で寝ていることも良くある。絵を描いているのかねているのか、大きな違いは無い。腕時計を見ると、歩数計とか、心拍数が出ている。51から54となっている。静かな状態なのだと思う。絵を描いていると言うときは、あまり寝ているときと変らない状態かもしれない。
大脳を使っていない状態。小脳で絵を描くようになればと思っている。理屈で良い絵を描こうなどと考えないで描いている状態。反応で絵を描いている。なぜこんな風に描いたのだろうと自分でも思う。時々外の風景を見る。何かを確認している。見ないと描けないものもある。見ると描けないものもある。
アトリエカーの中を狭いと感じたことはない。十分に広い空間だと感じている。絵を描いていると絵の世界と向かい合っていて、意識は絵の広大な宇宙を扱っているから、広い無限を感じている気がする。だから現実の空間が狭いという意識がないのだろう。
インドのヨガの行者で、小さな出入り口の無い小屋の中で暮らしている行者のことを思い出す。この人は外に生涯出ないという自分を見物の材料にして、見物料をもらう。近所の人にお金を払い食事の世話をしてもらっている。多分、下の世話もだろう。何かインドらしい不思議な世界だ。
私はアトリエカーから日に3,4回は降りて、水牛の世話をしたり、畑の草取りをしたりしている。日によっては、ほとんど外に居ることもある。別段決めているわけではない。その時の具合で、人が来たら一緒に働くことになる。ただただ、苗代の苗を眺めていることもままある。
種から芽が出る不思議に飽きることが無い。今はジャガイモの芽が伸びる。伸びていないのか、日に3回ぐらいは見たくなる。トウモロコシの芽もおもしろい。あちこちからデタラメに出てきている。まっすぐ何センチ置きというようなことが嫌いだ。
トマトも直播きしてみた。畑でそのまま育ててみるのは初めてのことだ。今のところ良く発芽した。双葉から本葉に変わり始めている。いつ頃定植すれば良いか考えている。全部で40本ぐらいあるから、これではトマト畑が出来そうなくらいだ。
植物の命のつなぎ方は実に素晴らしい。感動に満ちている。見いってしまう。この芽が出るを彫刻にしていた人が居た。たしか、天竜市の方の実家に戻り役所に勤めたはずだが、どうされただろうか。彫刻の芽が出たのだろうか。ああ、意味が少し変る。
今稲の芽がぐんぐん伸びている。種を水に漬けたのが、11月28日。苗代に蒔いたのが、12月3日。12日目である。平均で6㎝ぐらいの芽になっている。1葉期が終わり2葉期が伸び始めている。気温が高いから、生育は実に早い。寒い時期に苗を作った方が良いと考えたのだが、石垣島に寒い時期はない。
アトリエカーの宇宙は広い。冒険に満ちている。毎日未知の世界への扉を開いている。アトリエカーで、日本中を移動しながら絵を描いてみたいと考えていた。福岡まで車を送り、そこから絵を描く旅を始めたいと考えていたのだ。しかし、水牛を飼い始めてしまった。1ヶ月空けられる日が来るだろうか。
Bの放牧地ならば、草については1ヶ月でも十分にある。水牛の管理は居ないときには、交代で見てもらっている。7グループあるから、週一回きてもらう。今は月に1回である。これが1ヶ月続いても大丈夫だろうか。いつかみんなに相談してみたい
と思っている。
と思っている。
昔描いて歩いた、平戸。天草。阿蘇。四国もまたゆっくり回りたい。四万十川。室戸岬。吉野川上流部もまた行きたい。笹村農鶏園で研修された人が、就農をしたがどうされているか。そういえば、台湾で農業をやられている北村さんの所も一度行ってみたい。
台湾に車を送り、台湾を写生旅行する。まるで夢のような話だが、実現可能だろうか。もし出来るとしても、十分に動ける間だから、数年の内のことになるだろう。早く決断しなければ、行きたくとも行けなくなる。今でもかなり危ういものだろう。
アトリエカーは絵を描くものには最高のものだ。なぜ広がらないのかと思う。安く作ろうと思えば、100万円で何とかなる。自作軽トラキャンパーというのはいくらでもネットに出ている。田舎暮らしの人なら、軽トラに乗っているかもしれない。その上に乗せれば良いだけのことだ。
別世界を持てるのだ。自分の世界を持てる。ここが自分の寺院になるかもしれない。茶室が一番近いかもしれない。利休が構築した茶の湯の世界には、小さな茶室が必要だった。農家の納屋だ。ここでお茶を飲むことで、精神の宇宙を展開した。茶室が宇宙であるように、アトリエカーは絵画の宇宙だ。
もしアトリエカーで絵を描いている人が居たら、教えて欲しい。コメント欄に書いて貰えたらありがたい。