水の力、稲の力
田んぼをやっていると水ほどすごいものはないと思うようになった。田んぼが何千年も同じ場所で可能なのは、水があるからだ。これが畑の麦や、トウモロコシやタロイモであれば、必ず同じ場所でやっていれば、年々は作物は作りにくくなる。同じ作物が同じ肥料を求めるからだ。
肥料を入れ無ければ作物が作れなくなるということは、土壌が作物によって変化してゆくことになる。そしていつかは、土壌の偏りが生じてくる。病気が蔓延したり、害虫が増加したりする。そして、その植物が育たない土壌になってしまう。
畑の土壌は休耕や輪作が必要になる。耕地を三分割し、一つは春耕地(春蒔き、夏畑、秋収穫)として豆・燕麦・大麦を、一つは秋耕地(秋蒔き、冬畑、春収穫)として小麦・ライ麦を栽培し、一つを休耕地とし、それを年ごとに替えていく「三圃制」が普及した。
休耕地には 家畜を放牧し、糞尿を畑に入れて地味を肥やしていた。主食生産という意味では、稲に競べて生産性が低いものだった。しかも家畜を放牧すると冬期にエサ不足が起こり、家畜の餌の生産をしなければならないという問題も生じた。
田んぼには水というものが流れ込んでいる。水が限りなく微量要素を運んでくる。稲が湿地の植物と言う特徴が特別なものだった御陰なのだ。たまたま長江の中流域に野生の稲があった。中国の長江下流の新石器時代の上山遺跡(浙江省浦江)から、約1万年前の世界最古の栽培稲のもみ殻が見つかった。
これが中国の文明の大きな発展のための転換点になった。稲は1万年同じところで栽培が可能な作物なのだ。しかも水が肥料分を運んできて聞くれることで、改めて肥料を外から持ち込む必要も無かったから、栽培品種が改良選抜されても、地味が衰えることがなかった。
同じ場所で、稲という作物をくりかえし耕作すること可能になることで、文明も1万年継続されることになった。 そのような植物は他にはない。なぜ可能かといえば、水の力が大きく作用している。水の中で生育する稲という作物の特性である。
水は上流部から流れ下り、様々な微量要素を含んで流れてくる。土中からの湧き水であるとしても、土中の様々な要素を含んで湧き出してくる。そのさまざまな肥料分が、稲と言う植物に有用なものが、繰返し上流部や土壌中からもたらされる。
そのために、同じ場所で少量の肥料を加えるだけで稲は生育できる。その肥料も田んぼという場で生産される可能性も高い。例えば冬の間菜の花を栽培すれば、その残渣を漉き込むことで、春からのお米の肥料になる。ベトナムで11世紀からあったというアカウキクサ農法は表面のウキクサの窒素固定能力を利用した農法である。
場面場面の工夫によって、何も入れないでも稲は健全な生育を続けられたのだ。水のある溜め池には必ず植物が繁茂する。アカウキクサのようなものも現われる。その稲以外の植物が、稲の栄養になり、好循環が起こる。こうして何も入れないで、収穫物だけを取ることが出来るという、他にはない恩恵を受けることになる。
水の力には驚くべき物がある。ミネラルのような微量要素を含んでいるということもあるが、植物を気候の激変から保護する役割もある。強烈な退行公が土壌の微生物をころしてしまうところを、表層の水や植物によって土壌の劣化を防ぐことになる。
水は植物にとって決定的な役割がある。水のないところでは植物は生きることが出来ない、水と大気と光は、生き物にとって不可欠なものだろう。すべからく生物は水と大気と光がなければ生きることが出来ない。稲はその水が豊富にあるところで育つという、素晴らしい植物だ。
イネは多量な水のある場所に生育する植物である。その水の御陰で、アジアの農業は豊かな3000年の展開をすることが出来た。「水の力」である。水は寒さを防ぎ、暑さを緩和する。水があるために、イネは熱帯から寒帯まで、その生育域を広げることが出来た。
日本に水田稲作が伝えられたのは3000年前になる。そして南から北に徐々に生育範囲を広げて、今では寒帯である北海道が日本の有力なお米の生産地になっている。南ということでは熱帯ではどこでも栽培可能である。素晴らしい品種改良の成果だろう。
水がある水田で作ると言うことで、稲はどんどん栽培地を広げることが出来た。これからの食糧危機の時代を前にして、稲作はもう一度見直さなければならない作物のはずである。耕作地を広げたとしても環境を豊かに出来るという、素晴らしい作物なのだ。
日本の文化が稲作文化と言われる。瑞穂の国日本と言われる。石垣島の八重山民謡には田んぼを唄う歌が実に多い。祭りには必ずお米が奉納される。踊りの所作には田んぼの姿が反映していると言われる。すべては水がもたらしたものだ。田んぼが出来る水がある島の素晴らしさである。
また水がある景観というものは、特別に美しいものだ。世界中の庭に池というものが伴う。水が心穏やかにしてくれるものだからだろう。修学院離宮はその最高峰のもので、水田を庭にしている。美しい暮らしと言うものが日本の水田のある姿なのだ。
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稲作はあらゆる農作物の中で、最もSDGSな作物である。環境負荷が一番少ない農業。環境を豊か何していく可能性がある作物は稲だけである。地球の永続性を考えるのであれば、米食にするほかない。環境活動家などといいながらパンを食べているのであれば、知識が足りないということになる。
ノーベル賞を取ったマララ・ユスフザイさんは言いたい放題だが、是非お米を食べてもらいたい。人間が生き残るためにはパンを食べていたのではだめなのだ。お米という素晴らしい美味しい食べ物を食べる以外無い生き残れないのだ。そしてお米を食べると穏やかな性格が作られる。
世界の古代4大文明と言われるが、エジプト、メソポタミア、インダス、中国文明のなかで、唯一生き延びたのは稲作をしていた中国文明だけである。インカ文明も同じくトウモロコシの主食で、滅んだ。当然のことだ。トウモロコシも、麦も、連作をすればだんだん取れなくなる。
お米は連作すればするほど取れるようになるという素晴らしい作物なのだ。麦もトウモロコシもタロイモも厳しいものがある。主食作物の中で最も優れたものが稲作だった。イネを見付けて作物にしたというだけでも、中国人に感謝をしなければならない。お米を食べている中国人が、台湾侵攻をするはずがない。
日本はイネを中国から学び、この小さな島国で幸せに暮らすことが出来たのだ。比較的平和な国として、継続されてきた。もう一度日本全土が、水田が広がるような国に戻ることだ。そうすれば自給できるし、軍隊なども体内でも我慢できる国になる。