自給の島石垣へ
一番下にある6番田んぼ。少しずつ水が入り始めている。大雨の時に代掻きが出来れば水の維持は出来るはずなのだが。1月2月と水が十分に溜まるほどの雨はなかった。2月は過去に無いような小雨だった。この少雨傾向はこの先も続くと天気予報は言っている。
天水田の難しさなのだが、この6番田んぼの田植えは3月25日26日になる。それまでに一度だけでも大きな雨が欲しい。どうしても雨が無いのであれば、溜め池の水を思い切って流すのが、最後の手段である。これはその後が怖いからなんとか避けたい。
石垣島は自給の島の聖地になるのではないかと思うようになった。水共生ワークショップ以来、なんとなく考えていたことなのだが。石垣島では自給農業の地域を目指せば良いと言うことだった。石垣の気候や水土の条件は一般の稲作には向いていないが、自給農業には向いていると言うことである。
言い換えれば大規模農業には余り向いては居ないが、市民が行う自給の農業には最適な場所なのだ。水が島のあちこちで少しだが湧いていて、小さな田んぼであれば、適地がいくらでもある。そうした場所は昔は天水田であったが、今は放棄された場所が多い。
一年中稲が育つ地域は日本では南西諸島以外にない。石垣島では田植えをずらし、毎月稲刈りが可能な地域なのだ。もしこのやり方が実現できれば、自給農業が一段と楽になる。お米の保存がいらないことになる。石垣島の自給農業は楽しいものになるはずだ。
日本は停滞している。政府は有効な政策を出せない。政府の方針として、食糧自給、子育て支援、地方創生、財政再建、政府の方針はどれも空しい。耳たこほど聞いたが、少しも実現したものがない。口だけの無策にあきれ果て、政府に期待などしていないで、自分がやれることをやるいがいにないという覚悟になる。
これから石垣島の自給農業の研究を始めると言うには余りに、残り少ない時間ではあるが、伊能忠敬の晩年の仕事に思いを巡らせ、それにかけてみようと考えるようになった。とにかく出来るところまではやるつもりだ。身体がなんとか動く時間を延ばすほか無い。当面の目標は80歳までやれる農作業。そう思うと毎朝の動禅はいよいよ欠かせない。
一年中稲が作れる地域で、毎月稲刈りをする稲作は考えただけでも愉快ではないか。それにはひこばえ農法が意味を持つはずだ。ひこばえ農法が日本で可能な地域は八重山諸島と、与那国島だけだろう。石垣島は自給的に生きたいと考える人には素晴らしい島なのだ。
もちろんひこばえ農法とは限らない。毎月直播きをして、毎月稲刈りをする。こういうことでも良いはずだ。しかし、ひこばえ農法が実現すれば、年3回の収穫になる。上手く取り入れれば、毎月の稲刈りだけになる。さらに楽な自給になる。
一人の人が、60坪の田んぼで、5坪ずつ毎月田植えを行い、毎月稲刈りをする。一月に5キロから10キロのお米が取れる。それで食糧自給になるとすれば、どれほど楽であろうか。これにひこばえ農法の技術が加われば、田植えをすることなし、毎月5坪ずつ稲刈りだけだから、せいぜい手刈りで1時間の作業になるだろう。
人一人は一日1時間の労働で、食糧自給が出来る。のぼたん農園でその石垣島での技術を完成する。そして食糧自給を考える人に来て貰える島にしてゆく。この構想は決して夢ではないとおもう。日本は階層化してゆく。と言うことは人間の価値観も多様化していく。
金持ちが上等と言うことでは無く、お金に関係なく生きたいという人も現われるはずだ。そういう人が自給自足的に生きたいと本気で考えるようになるかも知れない。その時に石垣島ではその方法を教えて貰えるとなれば、学びに来る人は必ず居るだろう。そしてそれが世界に広がる。
サリブ農法が可能なお米の品種の選定が必要なのだろう。あるいは作出選抜までやらなければならないかも知れない。中国ではサリブ農法向きの品種が作出されているようだ。山岡先生は早刈りだけの問題だと言われているが、どうもそれだけではないような気がしている。
お米だけではない。麦、やサトウキビではサブリ農法の可能性はある。今度麦刈りをした後、どうなるか様子を見てみよう。大豆、ジャガイモ、里芋、田芋、サトウキビ、様々な果樹。常備作物を中心に共同で作れば、食糧自給は誰にでも可能なものになる。
ネズミや鳥による獣害の問題が、一番大きなことになる。先ずはイノシシを入れないために、農場をネットで囲うつもりだ。ネット程度ではだめだという意見もあるが、少し入りにくくすれば入らなくなるとみている。他の農地でイノシシを防いでいないからだ。
自給農業が可能になるためには、自給農業のための技術の完成に尽きる。様々試してみながら、あと4年で一定実用に耐えるところまでの自給の技術のの完成を目指したい。まだまだ課題はあるが、一つずつ粘り強く試してみてゆきたい。
ひこばえ農法は中国南部では完成しかかっているようだ。スマトラ島にひこばえ農法はネズミの害で潰えた、と言う話を聞いたが何かおかしい。ネズミの害はひこばえだろうが、普通の
農法であろうが同じにあるはずだ。稲刈りまで水を入れておけば、ネズミはかなり防げると考えている。
農法であろうが同じにあるはずだ。稲刈りまで水を入れておけば、ネズミはかなり防げると考えている。
ネズミがひどいというのは確かに石垣でも起きている。それでも防げないはずはないと考えている。ネズミをある程度防ぐには水である。水があれば、稲がすべて食べられてしまうほどひどいことは起きない。また、しっかりした防風ネットで覆った苗床はネズミにやられていない。
もう一つは5坪ずつの収穫であれば、1ヶ月5坪の範囲だけをネズミが入れないようにすれば良いのだ。10畳の蚊帳を考えれば良い。その囲いを1ヶ月ごとに移動させれば良い。ネズミの対応策は必ずある。ネズミを毒でころすとか、罠で捕まえるというのでは他の動物まで問題が出る。
世間には一人で自給自足をしている人は多い。しかし、のぼたん農園はゆるい協働の自給だ。人に伝えてゆく自給だ。協働の自給は一人の自給の半分の労働時間で可能になる。どこまでゆるい関係でいられるかが問題である。もう人間の方が歪みきっているから、ゆるい関係を理解できない人が必ず現われる。
そういう人まで含無難しさがある。ゆるい関係とは実はとても神経細やかな関係なのだ。これがカリスマが居るような組織とか、宗教とか、政治的方向とか、で結びつく組織であれば強い関係になるが、これではだめだと考えている。
ただ自給を共に行うという方向だけの協働を、一人一人が神経を使いながら作り上げる。ここが重要である。自給を自足を考えるならば、まず石垣島に行ってみたら良い。と言われるようなのぼたん農園にしたい。日本は必ず近いうちにそういう場所が必要になるはずだ。