飲酒健康法と納豆健康法

   



 少量のお酒は健康に良い。コーヒー毎日5杯飲む人が一番長寿である。と言う考え方もある。その一方で、わずかな酒もガンのリスクを高める。コーヒーのカフェインは1杯でも身体に悪い。コーヒーも酒も習慣になると止められない飲み物だから、健康論議が繰り返されるのだろう。

 コーヒーもお酒も私には止められないものだから困る。止められないのであれば、健康に良いものと考えて飲むに越したことは無い。身体に悪いのではないかと不安な気持ちで飲んでいるのでは、悪い結果に繋がる。スパシーボ効果である。

 実証主義のつもりである。良いか悪いかはやってみなければ分からない。私に良いことも、他の人には悪いと言うことはいくらでもある。自分のことは自分で検証しなければならない。私の身体が特例なのかも知れない。ただ、100歳まで生きて証明したいと考えているのだが、残念なことに証明はまだまだ先のことだ。

 酒の少量は泡盛100ccである。大して量は飲まない。年に何度か大酒を飲むことはあるが、日常はこれ以上飲まないで居られる。しかも、体重が55キロを超えたらば、飲んではいけないという決めているので、週に2日は飲まない日が出来る。昨日はまんじゅうを食ったのだから、仕方がないと言うことになる。

 そのために我慢して、甘いものを食べない。甘いものが嫌いなわけではないが、酒を飲む方が勝るので、食べないで我慢は出来る。夜の飲む酒のことを考えるからだ。そう夜以外に酒を飲むことはない。甘いものよりもお酒の方が、比べて見たら上位に来る。

 要するにすべての食べものに、良い所も悪い所もあるのだ。すべての食べ物を多種類、適量に食べるのが一番である。ばっかり食というのが問題になる。そ言う意味で野菜だけというのも私には合わない。タンパク質に、大豆、魚、肉とあれば、どれでもえり好みせず食べた方が良い。そして自分の身体で確認する。

 酒自体がそれほど美味しいかというと、そうでもない。別に美酒を味わうと言うようなことではない。すべては中毒的に、気分の問題である。酒を飲んだ気分が良いのだ。良い気分になり、日々の後悔や、心配事や悩み事を忘れたいわけだ。そんなには無いのだが、いくらかあるような気もする。

 人間が眠るのは頭の回復のためである。別段眠るのが楽しいというわけではない。起きて何かをするという目的があるから、そのために寝て身体と心を回復させる。夜寝るときよほど辛いことがあっても、朝になればかなり辛さが軽減していることがある。

 お酒を飲むのは心を回復させるためと言うことになる。甘いものを食べて回復できる人も当然居る。自分の健康は自分で決める以外にない。お酒は少量でも身体に悪いというような説は、モルモン教徒か、イスラム教徒か、仏教もそうか。悪意のある目立ちたがり屋の主張だと決めつけておくことにする。その方が身体に良いからだ。

 納豆は毎日食べる。自分で作った納豆は必要不可欠なものだと思っている。買ってきた納豆についている醤油は使わない方が良い。変に美味しいからだ。納豆自体も不自然に美味しいものがある。どうも一工夫して美味しくしていると思われる味がする。今の時代美味しいものは怪しんだ方が良い。

 変に美味しい大量生産品はこの拝金主義の時代では気を付けた方がだいたいは良い。毎日自分で作った納豆を食べていると、市販の納豆とは味が違うから何か疑問を感じる。小糸在来種の大豆を自然栽培で作り、その大豆を発酵して納豆にして毎日食べている。この味が本来の納豆の味だと考えている。

 納豆菌というものがいかに強力な微生物であるかを痛感しているからだ。養鶏をしていた頃は、鶏の餌を毎日納豆菌で発酵させていたのだ。温度が80度以上に上がる。温度をここまで上げれば、かなりの悪い菌が死滅するからだ。死滅したからそれで安心かと言えば、もちろんそれでも危険な菌で生き残るものも居る。

 しかし、25年自然養鶏を続けて、納豆菌発酵の餌を与えて、産卵率が下がるというような事故は一度も無かった。納豆菌を使ったエサが、一定の安全性を保ったと言うことだ。余計なことだが、家畜保健所では危険だから止せと言っていた。魚のアラと米ぬかを混ぜて、そこに納豆菌を加えて発酵させる。

 エサは800キロ入る回転ドラムで、連続的に作るので、時に納豆を加える程度のことで、全体が納豆菌の発酵になる。手など入れられないほどの高温になる。マグロの大きな頭なども貰えることがあったのだが、そのまま入れるのだが、1週間するとその頭が姿すらなくなる。

 この経験から、納豆菌の強さを痛感するようになった。100度を超えても納豆菌は死なない。胞子を作り生き残るのだ。もちろん冷凍庫でも死ぬようなことはない。腸の中で活躍できる強さを持っていると感じた。だから納豆健康法はいいと考えた。

 納豆を作るには大豆も作る必要がある。大豆も色々の大豆を作って見た結果、味を比較して一番美味しかったのが小糸在来種である。この豆で味噌造りをする。豆腐も素晴らしい味になる。醤油を作れば絶品である。醤油は市販の醤油とは味が異なる。なにか市販の醤油に疑問が残る。

 醤油以上にこの豆を納豆菌で発酵した納豆は、市販の納豆とは味が違うのだ。色々変化させてより美味しい発酵をした納豆を目指している。この場合市販の納豆には何か秘密があると考えるほか無い。市販の納豆は乾燥納豆のような味が強い。何かその辺に工夫があるのだろうか。

 自分の味覚が強い味に反応するようになっている。微妙な大豆の味わいよりも、化学調味料のきいたような味の方に引きつけられる。大豆そのものの味わいを感じられるような繊細さが失われてきているのだろう。歳をとると微妙な味に反応できなくなり、強い味にだけ反応するのかも知れない。

 歳をとると舌が劣化する。強い味しか感じなくなる。たぶんこうした傾向があるかも知れない。丁度良いが強い方にずれてゆく。まだ劣化が進んだほどではないが、どこか味に鈍くなっていると考えても良いだろう。塩分糖分控えめにして、気をつけて暮らした方が良い。

 餃子とか、小籠包とか、大半のものに醤油を付けると言うことは無い。それくらいでも少ししょっぱいと感じている。醤油を付けるのは刺身ぐらいだ。さらに意識してそのものの味で食べるように気をつけることにする。年寄の丁度良いは行き過ぎと言うことなのだから。

 

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