播種一週間目
1月9日海水選、溜め池からの水に漬ける。14日に水から上げる。1日新聞紙の間で陰干し。15日にばらまき播種をする。21日1週間目の発芽の状態。「ゆがふもち」
1月14日にイネの種まきをした。今日が1週間目である。普通に生育していれば、針のような鋭い芽が出はじめているはずだ。この最初に出てくる葉がほそく鋭い1本の芽が出るものを単子葉植物と分類される。
農作物ではショウガ科、ユリ科、サトイモ科、ラン科、イネ科などがある。農業をしていて、いつも種を蒔いてからの1週間が一番ドキドキする。条件が整わず発芽しないときもある。芽が出る条件は適切な水分量と、日々の蓄積温度である。どの植物も何時種を蒔くかの適期がある。
小田原の稲作では5月の遅霜が降りなくなった頃が播種時期になる。石垣島ではどんなに寒くても小田原の5月と同じくらいだ。だから、普通の稲の種であれば、何時播いても必ず発芽はするはずだ。1月に播けば、小田原と同じように、1週間ほどで発芽するはずだ。
今回は2年目で、播種も4回目になるので、すこしづつ石垣の水土環境がつかめてきている。1月14日に播種して、今日で1週間目になる。昨日はまだだった。今日はきっと出てきている。そう期待している。わくわくドキドキである。
石垣島では12月から1月にかけて播種して、稲を育てることが一番望ましい時期になる。台風が来る前に収穫にたどり着ける可能性が高い。だんだん日が長くなる時期で稲の成長や生理に不具合が起きにくい。これが7月播種の2期作であれば、だんだん日が短くなる時期になり、成長に不具合が起こる可能性がある。
ジャポニカ種のイネは、日の長さが短くなると花が咲く植物(短日植物)で、花をつけるホルモン であるフロリゲンを合成するための遺伝子(Hd3a)は、10 時間日長(短日条件)栽 培では働いて花芽をつけますが、14 時間日長(長日条件)栽培では働かないことがわ かっている。
つまり、石垣でジャポニカ種を育てると、短日条件が来ない5月のうちに花を咲かせて、実を付けることになるために、13枚目が留葉になる可能性が高い。まだ理由は不明だが、15枚の葉がそろわないうちに、穂を付けようとしてしまう。
小田原でサトジマンを栽培すると稲は本来の生育になり、15枚の葉を出すが、石垣島では13枚の葉で穂を付けることになる。しかし石垣島でインディカ種の稲を作ると15枚の葉が出て穂を付ける。たぶん、日照の影響のない熱帯の稲だからだろう。
熱帯に原産地のある、インディカ種の稲は日長変化のない赤道付近の原産であるので、花芽の形成に昼と夜の長さの変化が影響しない、中日植物と言うことになる。そこで、石垣島での栽培にはインディカ種とジャポニカ種の交雑した品種が栽培に適していることになる。
かつて石垣島でも作られていた、台湾で作出された蓬莱米はまさにそうした交雑種である。日本が台湾を植民地としていた時期に、磯永吉という農業技師が、当時は無かったインディカ種とジャポニカ種の難しい交配を成し遂げたのだ。そして台湾から日本へお米の輸出をしたのだ。
但し味覚が現代人にはあわなくなり、現在台湾では台粳9号 、台南16号、台南19号や台中18号、台中194号のような、インディカ種とジャポニカ種両者の良さを取り入れた、台湾の気候に向いた品種がいろいろ出てきている。
石垣島の12月から2月までは天候が不安定である。日照が少ない年が多い。今年も晴天の日は週に1日在るかどうかだった。冬の晴天日ほど気持ちの良いことはない。一年で一番過ごしやすい一日に成る。種を蒔いてからの1週間は5日が雨で、風が強く、2日だけ陽が差した。
それでも遅れていた発芽は徐々に始まりそうだ。先日バンが1羽来て網の中にいた。ネズミは入ろうとすれば入れる。すでに食べているのかも知れない。不安は今も続いている。どうもよく分からない。ネズミを防ぐためにはどうすれば良いのだろうか。不安を抱えながらの1週間が過ぎた。
昨日は石垣島への移住希望の方達の農業体験があった。クルバシャーをやってみて貰えれば、一番良いと考えた。それで福仲先生に来ていただき、指導していただいた。私ではとても水牛が上手く動いてくれない。甘やかしすぎだといわれている。しかたがない。
何とか皆さん、上手くクルバシャーをやってくれた。転んだ人も居てドロドロになってしまったが、日本でこの体験が出来るのはのぼたん農園だけだから、是非ともやってもらいたかった。水牛がどんなに賢い動物か分かってもらえたことだろう。
農業経営を石垣島でやることはとても難しい。移住して農業をやるのはほとんど不可能だと思う。もちろん実現されている方も居る。様々な特殊解である。当たり前の形で農家になる
ことは無理にみえる。一番の理由は石垣島の気候はかなり厳しいと言うことにある。
ことは無理にみえる。一番の理由は石垣島の気候はかなり厳しいと言うことにある。
石垣島の農業技術を身につけると言うことが、なかなか出来ないだろう。小田原で35年やってみた私であっても、石垣の環境を簡単には把握できない。寒さのない環境。生き物の違い。たぶん微生物のおおきな違い。土壌の成り立ちの違い。分からないことだらけだ。
子供の頃から石垣では雨が降ると土壌はどう変わるというようなことを知っているならばまだ良いのだが、他所から来たものには想像が出来ないほど違う。数年の体験ではたぶん先が見えないだろう。それは技術が身につくまでの5年間収入が無いと言うことになる。
石垣島では農業は厳しい状況にある。どんどん辞めて行くと思われる。いくらか希望があるのが、果樹や肉牛であるが、これも展望があると言うほどの状況ではない。小田原よりも厳しいというのが私の見たところである。全体を分かっているわけではないのだが。
石垣の農地を維持できるとしたら、経営と関係の無い、自給のために農地を使う人達だ。何か勤めをしながら、自分の食べるものを生産する。この形であれば、石垣の魅力在る農業に関われることになる。先ずは、石垣での働き口を探すことだろう。
昨日管理機が来た。早速麦畑の間を耕してみた。案外上手く耕すことが出来た。これで時々耕していれば、草を抑えることが出来るだろう。