生活改善クラブの食事改善

   



 生活改善クラブの標語に、「なんでも食べる子元気な子と」いうものがあった。私は虚弱児童であったので、もっと食べろ家でも学校でも言われていた。食が細く、少しのものしか食べることが出来ない子供だった。そこで何でも食べるを目標に食べさせられていた。

 その結果なのか好き嫌いはなかった。しかし、身体の小さいものと大きいもの、体質も違うものが、同じ量を食べなければならないというのは、おかしな考えだ。食べることが苦しくて、子供ながらに我慢できなかった。それでも何でもできる限り食べると言うことは、食い意地で頑張っていた。

 それでも今ほど、肉や魚は食べなかったのではないかと思う。子供の頃の食事は今から思えば、とても健康的なバランスの取れたものだったと思う。野菜中心で、肉より魚だった。野菜だけという食事も多かったように思う。味噌汁と納豆と豆腐は定番だった。

 そして、73歳の今元気に農作業をしている。目標は絵が描ける100歳である。食事は少しは気にしているが、ファミマの弁当も食べる。昔のままの小食だ。小食の方が良いと考えている。毎日体重は計り、55キロを超えたら酒は飲まないと決めている。お酒が飲みたいので小食である。間食はしない。少量の酒は身体に悪くないと決めている。

 健康のために菜食するという考え方はしない。野菜だけ食べる考えは思想としてはあり得るが、菜食では健康に良くないと考えている。ビーガンとか、ベジタリアンとか、様々な範囲が在るようだが、思想としてそれを実行するのは立派だとは思うし、かまわないことだが、健康のためであれば間違っていると思う。

 余計なお節介だから、人のことはどうでも良いことではある。自分の身体で感じてきたことはできる限りまんべんなく食べることが健康には良いと言うことだ。偏食が良くない。出来おる限り広くまんべんなく食べる。その中には魚や肉や卵があってもかまわない。

 そもそも食べられるものは何でも食べるのが人間だ。あらゆるものを食べることが出来たので、弱い人間が生き延びて来れたのだと思う。人間は雑食に出来ている。ビーガンで生きて行こうなどと原始人は思っても、出来なかったはずだ。縄文の遺跡でもイノシシが沢山捕れた時期はイノシシの骨ばかりがでるらしい。

 問題はこのまま肉の消費量が増えて行けば、地球環境の維持が出来ないと言う事になるなる。肉の生産には広大な草地が必要になる。飼料作物の生産のために、お米や麦の生産が減少する。石垣島でも石垣牛のために、農耕地は徐々に草地になっている。

 人類の多くが肉中心の食事になる前に世界は肉不足になる。食べたくても肉は食べられなくなる。急激な価格上昇が起こるだろう。草地が不足するはずだ。それでも豊かな国が肉を求めて、世界の環境の破壊を進めることだろう。その意味ではビーガンの思想は優れている。しかし、蜂蜜も食べないというのはどういうことなのだろうか。

 たぶん肉食が昆虫食に変わるのだろう。昆虫養殖であれば、環境破壊にはならない。昆虫養殖は最も効率の良い食料生産の方法のはずだ。そこまでしても動物性タンパクを食べるべきなのかどうか。たぶん食べた方が健康に良いはずだ。昆虫タンパク質は、なんとなく肉よりも良さそうな感じだ。

 自動車や石炭火力発電所よりも、地球環境の変動に一番影響を与えているのが、人間の肉中心の食事への変化である。それを考えると肉はできる限り食べない食事が正しい食事なのだ。4つ足の肉食を禁じた江戸時代ぐらいの食生活に戻った方が良い。隔日ぐらいに卵は食べて、何か特別な日に鶏を絞めて食べるぐらいが丁度良い。

 家族の数だけ鶏が居るという状態が自給生活の基本形だ。そのくらいの数の鶏であれば、食品残渣で飼うことが出来る。生ゴミ処理機が鶏になる。鶏は最も飼料効率が良い生き物だ。昆虫と近い効率になる。雑草の処理もしてくれる。鶏の糞であれば、畑の肥料になり環境汚染にはならない。

 自給生活になれば、自ずと肉を食べることはなくなる。豚を飼って豚肉を食べるというようなことはなかなか大変である。せいぜい鶏だ。江戸時代も鶏は食べても良かった。鶏はその点自給生活に織り込みやすい。畑から出る残渣もまず鶏小屋に放り込めば処理してくれる。無駄になるものがない暮らし。

 食事は朝と昼のみ。夕食はない。もう働かないのに飯を食べる必要が無いと言うこと。この辺は仏教の戒律からきているところもある。しかし、座ってお経を読んでいるお坊さんと肉体労働者の庶民とは違うから、江戸も中期になると夕食も食べるようになる。

 仏教で言えば薬席である。夕食を食べるようになれば、当然夜なべ仕事である。夜の間に筵をおったり、俵を編んだり。百姓はありとあらゆる道具を作り、内職として売りに行く。忙しい暮らしになって行く。金次郎は田んぼの裏作に菜種油を栽培した。明かりの登場である。

 食事が3食になると言うことはそれだけ働くようになったと言うことなのだろう。当時はご飯を一日4合も食べるのが普通。600gである。年間219キロも食べた。ご飯だけ食べる偏食である。余り良い食事とは言えない。だから寿命が短いのだろう。

 庶民の食事は一汁一菜程度の粗末なもので、上層階級だけが魚まで食べていた。寿司やウナギもあったわけだ。食事におおきな階級差があったわけだ。魚も食べた方が健康に良いという考えはあった。しかし、魚介類、鳥、酒、たけのこ、きのこ、油揚げ、酢の物、玉子、梅干し、粕漬などが食べてはいけない物と書かれたものも在るそうだ。

 医食同源と言ってもどうも得体が知れない。中国の養生訓から来ているらしいが、この中で気になるのは酒くらいだ。どちらかと言えば健康に良さそうなものが禁じられているのがおかしい。何時の時代も健康法というのは不健康なものだと考えれば良いのかも知れない。

 どうも江戸時代の食事を健康に良いものとは到底言えない。戦後アメリカの影響を受けながら、生活改善クラブが進めたような食事が良かったということだと思う。藤垈の家には配られたポスターが貼られていた。3つに分かれた図で、炭水化物、脂質、たんぱく質 の3大栄養素を毎食食べようと言うことだった。

 今は5大栄養素でミネラルとビタミンを追加したものになっているらしい。さらに食物繊維を加え、6大栄養素と考えることもある。どんどん何でも食べろという方向に変わって、日本人の寿命は世界で一番になったと考えて良い。何しろ戦後80年の間に寿命は30年も延びたのだ。

 これは食生活の変化以外には考えられない。そして、とても良い食事を通り越して、だんだん悪い食事になってきたと考えても良いだろう。肉や脂質の食べ過ぎである。ファーストフードの影響もある。油の値段が下がったことがある。昔は油は極端に高いものだった。一番価格の変化した食品である。

 天ぷらなど滅多なことでは食べれるようなものではなかったのだ。私の感覚の中にはまだ揚げ物信仰が残っていて、揚げものは贅沢品なのだ。それが今やファーストフードの主流なのだから、当然不健康食事にならざる得ない。しかも、油信仰は肉や魚にもおよび、脂身のような霜降り牛。脂身そのものの大トロ。

 

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