子供の頃の好きなこと

   



 人間はしあわせに一日一日を生きると言うことが、結局の所生きる目的である。どうすれば日々しあわせと感じて生きられるかに尽きる。人は産まれてきて死ぬ。この当たり前の事がなかなか苦しいことなのだ。苦しいけどなかなかやりがいのある事でもある。
 いま好きなことを精一杯できると言うことが素晴らしいと思う。今更他のことはやれないが、子供の頃は何をやるのかと言うことには悩んでいた。好きなことを探すのが子供の仕事だと言われて育った。しかし、好きなことが良いこととは限らなかった。中学校の入学試験の面接で、好きなことは何ですかと聞かれて、考えて正直に「遊ぶことです。」と応えたぐらいだ。

 普通は死ぬということ、人生最悪の事態だと誰しも思うだろう。だから、病気にならないように、事故に遭わないようにと生きている。それでもいつかは必ず死ぬ。その死を仕方がないことだと受け入れなければ成らない。死にたくないとしても死ぬ訳なのだから、せめて仕方がないなと諦めなければならない。

 死ぬことを諦めるためには、今生きているときが楽しくなければならない。今が苦しいなら死にたくなるほど辛いことになる。今が楽しいというのは簡単なようで案外に難しい。その時は楽しくて我をも忘れているとしても、後で後悔してしまうような楽しさもある。

 子供の頃一日遊びほうけて楽しくはあったのだが、後でまた失敗したなと思うことが良くあった。子供は遊びほうけていないで、勉強をして、手伝いをする。これが良い子供だと教えられていたからだ。予習復習どころか、宿題などまるでやらずに学校に行くので気分は悪かった。

 4年生5年生の2年間ほど、時間のほとんどをベイゴマ作りをしていた。発達障害的傾向があったと思う。中学になってから聖路加病院の精神科にも行かされた。最強のベイゴマを作ろうとありとあらゆることをした。何であれほどはまり込んだのかは不思議なほどだが、ものを作るという面白さはあのときに体験したのだと思う。

 父親は口癖のように、子供の仕事は好きなことを見付けることだと言った。だから、ベイゴマが好きだと言ってすごく怒られた。そんなくだらないことじゃないといわれるのだが、何が意味ある好きなことで、何が意味の無い好きなことなのかは分からなかった。

 小学校6年生の頃、絵を描くことが好きだと言うと父親も喜んでくれた。どうも絵を描くのは意味のある好きなことらしいと思うようになった。それがそのまま今に続いている。結果的には一生やり続けてもまだやりたいというほどおもしろかったのだ。子供の頃にはそんなことは分からなかった。

 今の子供であれば、パソコンゲームをやるのが好きという子供がほとんどではないか。寝ないでもやりたいと言うこどももいるに違いない。これは意味の無い好きなことになる。なぜだろう。生活が出来ないからだろうか。そうでもない、ゲーマーという人の中にそれで生活をしているプロがいる。一億円プレーヤーだっているらしい。

 では、競輪選手はどうだろうか。将棋の棋士はどうだろうか。株の投資家はどうだろうか。プロ野球の選手はどうだろうか。オリンピックの選手はどうだろうか。だんだん健全な仕事に近づいていて来た。政治家などは親がして欲しくない職業の3番目くらいにあると言うことだ。

 勉強は嫌いであったのだが、学者というのが一番素晴らしい仕事に私には見えていた。それは今もそうである。記憶力がひどく悪くて、勉強が出来なかったのが実に残念であった。努力不足と言うより、脳の作りが記憶障害的なのではないかと思う。今でもすぐ何でも忘れてしまう。

 絵を描くことなら嫌ではないし、なぜか熱中もする。親も絵を描くのは良いことだと考えている。絵描きが好きだと言うことで行ってみようと決めた。好きなことだからいくらでもやりたい。ベーゴマと違って怒られることもない。本当に好きなことなのかはやってみ無ければ分からないと思った。絵を描くことは飽きることが無かったわけだ。

 しかし、ゲームが悪い事で、勉強が良いのだろうか。子供の頃から将棋をした。今思うと小学生の時に初段ぐらいはあったと思う。暗譜だけで風呂屋で将棋を指したくらいだ。将棋ばかりやってとこれもまた怒られていたわけだが、将棋をやることで、一つのことを長く考えると言うことが出来るようになった。

 次の一手を1時間も考えてしまうので、相手に怒られたものだ。算数の問題を1時間考えるのと、その意味は違わないのではないだろうか。数学者になるわけではないし、思考する力を高めるという意味では将棋の思考方法はかなり意味があると思っている。将棋でも定跡を覚えるという事はできなかった。

 ではゲームはだめで将棋なら良いのか。もちろん将棋もダメなのだ。ベイゴマ作りも、将棋の熱中も、奨励されてやるようなことではない。私が熱中したのは勝負事だったからだったとおもう。勝ち負けのあるようなことは望ましいことではない。

 子供の頃やるべきことは勝ち負けのない好きを見付けることのほうがいい。その点では鶏を飼うと言うことは、子供の頃熱中したことの中では増しなことだっただろう。真黒の矮鶏を作ると言うことに熱中した。眼の中から、足の爪まで黒
い矮鶏である。

 子供の頃に日本鶏を飼うことが後の養鶏業に繋がり、その後の農業にも繋がった。東京の家の屋上に200羽も飼っていたのだから、親も奨励してくれたと言うことだろう。親も生き物を飼うのが好きだったので、子供が鶏を飼うのを一緒になって楽しんでいた。

 好きなことをやりきる。生きるというのはそれでいいわけだが、好きなことにも、善悪が存在する。余り感心できないようなことを好きになることの方が多い。生活に繋がればそれでいいと言うことでも無い。人のためになると言うことが、分岐点になる。人のために生きることが出来れば、安心である。

 人のためになると言うことに価値を見いだせば良いかと言えば、それも角度を変えて考えればおかしいところがある。人から評価されなければ、安心立命が出来ないと言う事になる。自分自身が自分を評価できなければならない。自分が成りたい自分になれるかである。

 正しい方角はどこにあるのか。絵を描いてきたわけだが、人のためになる絵。人間のためになる絵。そう思えば、評価されない絵しか描けない自分であれば、成り立たなくなる。自分自身が納得の行く絵を描ければ良いのだが。それでは人のためとは関係の無いことになる。

 今でもこの辺は悩むところだ。自分を突き詰めることが、人様の役に立てば良いのだが、そうとは限らないだろう。それでも、絵を描くという方角は自分だけの方角である。道元禅師が只管打坐で正法眼蔵を残さなければ、他の人には関係の無いことになる。そうした只管打坐の僧侶が理想なのだろうか。この辺が分からない。

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